昨日(9日)は絶好の春日和でした。
午後になってクルマで15分ほどの公園に出かけて、ベンチに座ってぼんやりと梅園を眺めながら「日向ぼっこ」をしていたら、ついモーツァルトの「ディヴェルトメントK136」のアレグロが浮かんできました。春の浮き浮きした気分にまことに相応しい曲目ですね。
本書の著者「高橋英夫」さんといえばモーツァルトの愛好家兼研究家として名前だけはよく存じ上げているが、たしか9年ほど前にお亡くなりになったはずなので遺稿集のようだ。
「目次」をぱらぱらとめくってみたところ、「私のモーツァルト・ベスト5」という項目があった。
ウ~ム、どれどれ・・。
その人の好みの曲目を見れば良し悪しは別として、ほぼ「愛好度のレベル」がわかる。
で、その順位とは次のとおりだった。
1 「魔笛 K620」 ベーム/ベルリンフィル
2 「ヴァイオリン・ソナタ K526」 シェリング/ヘブラー
3 「交響曲25番 K183」 ワルター/コロンビアpo
4 「デュポールのメヌエットによる変奏曲 K573」 ハスキル
5 「春への憧れ K596」 シュワルツコップ/ギーゼキング
ウ~ム、「魔笛」が1位とは・・、お主(ぬし)なかなかできるな!(笑)
「音楽&オーディオ」の先達だった「五味康佑」さんの「好きなクラシック・ベスト20」の中でも「魔笛」が一番だった。
ただし、ほかの曲目はいいには違いないがベスト5に入れるほどではないと思うんだけどなあ~(笑)。
で、「お前はどうだ?」と問われたら、次のとおり。
1位 「魔笛」 ハイティンク指揮/バイエルン放送交響楽団
2位 「ドン・ジョバンニ」 フルトヴェングラー指揮・ベルリンフィル
3位 「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K364」 五島みどり/今井信子
4位 「踊れ、喜べ汝幸いなる魂よ K165」 コープマン指揮
5位 「ディヴェルティメント K136」 コープマン指揮
誰が何といおうとこれで決まり!(笑)
モーツァルトの音楽にほんとうに親しもうと思うのなら第一にオペラを好きにならないとね・・、それには「魔笛」と「ドン・ジョバンニ」は絶対に外せない。
ある専門誌に「どうしようもないモーツァルト好きはオペラ・ファンに圧倒的に多い」とあったが、まさにその通り。
とまあ、いろいろ言ってみても「魔笛」が1位とは一目置きたくなるし、ついうれしくなって真剣に読み耽った。
以下、記憶に残った個所を記録しておこう。
173頁「私の実感ではモーツァルトはどんな気の合った仲間でも、いかに親密な相手でも人と一緒になって心を合わせて手と手を握り合って聴く音楽ではない。ひとりで聴く音楽、それがモーツァルトの音楽のように思われる」
※ これには思い当たる節があって、オーディオ仲間と試聴するときに自宅であろうと相手宅であろうとモーツァルトを聴くのはどうも気が進まない。もちろん相手のご要望があれば別だけど、自分の殻の中にひっそりと閉じこめておきたい類の音楽ですね。
201頁「もっとも短くて見事なモーツァルト論は僅々600字余りからなる林達夫の「遊戯神通(ゆぎじんつう)の芸術」という文章である。
これは中央公論社から出たレコードの「モーツァルト大全集」の内容見本に寄せられた推薦文だが、林達夫が現代芸術批判から入っていって、一息でモーツァルトを言い切っているのに感嘆する。
だがこの文章は単行本に入っていないので断念し、代わって西欧人が達成した見事な典型としてカール・バルトの本を挙げてみることにした」
202頁「神学の大家バルトは毎朝まずモーツァルトを聴き、それから神学の著作に向かうと述べていたし、”重さが浮かび、軽さが限りなく重い”のがモーツァルトだとも言っていた」
※ モーツァルトの音楽の変幻自在で霊妙な佇まいを「軽さと重さ」で逆説的に表現するのはとても新鮮な印象を受けます。
あっ、そうそう、メル友の「K」さん(横浜)からお借りしているこの本を早く読破してお返ししなくちゃ~(笑)。
211頁 「先生は弦の組み合わせの曲がお好きなんじゃないですか」と訊かれた評論家小林秀雄はこう答えている。
「そうかもしれないね。カルテット、クィンテットに好きなものが多いな。変わったものじゃヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲など好きだなあ、弦楽器というのは本当に人間的な感じが強いものだ。それにくらべてピアノは機械的すぎるんじゃないかな」
212頁「僕(作家:大岡昇平)はモーツァルトが好きなことで人後に落ちないつもりである。個人的にはヴィオラの入ったK364がどうも好きだ。昭和12年ごろ、コロンビア盤をすり切ってしまったことがあるが20年経った今日でも趣味は変わらない」
稿を改めて「一番よく聴くのはK364である。初めて聴いたのはコロンビアの10インチ盤で緑のラベルが貼ってあった。演奏は忘れたがヴィオラはプリムロースだったはずである。これは小林秀雄が持っていた盤で、毎日少なくとも一度聴いていたらすり切れてしまった。(そのころ私は蓄音機を持っていなかったので毎日鎌倉の小林さんの家へ行って聴いたのである)」
※この曲目「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K364」は自分でもベスト3にあげているほどで少なくとも数日に一度は聴いており大岡さんとはとても気が合いそうです。
とまあ、以上のとおり小林さんや大岡さんなどかっての文壇の大御所たちの「レコード盤が擦り切れるほど」モーツァルトへの傾倒ぶりを知ることができて本書は予想以上の収穫でした。
しかるに、現代の作家たちや評論家たちから「モーツァルトへの傾倒ぶり」があまり聞こえてこないのは淋しい限り。
まず百田尚樹さん、石田依良さんあたりが浮かんでくるが、一般人ならともかく、「美意識」を生業(なりわい)としている人たちなんだからもっと多く居ても不思議ではないと思うんですけどねえ。
そういえば、女流作家は全滅です!
ちなみに、あの音楽好きで知られる「村上春樹」さんから、モーツァルトへの賛辞を聞いたことも読んだこともないけれど、彼のややドライともいえる「作風」と「涙が追い付かないほどに疾走する悲しみ」のウェットな音楽とを対比すると、頷ける一面がありますね。
とはいえ、大いに反論を期待したいところです(笑)。
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