「藤原正彦」氏著の「父の威厳、数学者の意地」(新潮文庫)は、66編の軽妙な短編が網羅された珠玉のような随筆集です。
その中の一編「第一感」はその題名どおり「第一感」の重要性が詳細に論じられています。
筆者もどちらかといえば論理的思考力よりもインスピレーション、平たく言えば「カン」に頼りがちなのでなかなか参考になりました。
藤原正彦氏は、周知のとおりお茶の水女子大学教授かつ数学者で先年、200万部を超える大ベストセラー「国家の品格」の著者ですよね。
「第一感」の内容は次のとおり。(要約)
数学においては、第一感が大切。これは瞬発的な感覚のようなもので命題の真偽を論理的に考えずに瞬時に見抜くことができるので非常に無駄が少なくなる。
他の分野でも、心理学の場合などでは仮説の良否を本質的か皮相的かなどを実験や討議を経てはじめて分るようでは良い研究者にはなれない。理由をすぐに述べられなくとも、第一感により確信に近いものを得られるのが理想的だ。
学問の世界ばかりではなく、将棋の世界でも名人はたいていの局面では第一感で一手しか瞬時に思い浮かばないそうである。長時間考える場合などは、おおむね、その手をさした場合の検証に費やすそうだ。
コンピューターが最も苦手とするところは実はこの第一感である。基本的な機能がしらみつぶしに調べることになっていることから五目並べやオセロのように単純なものなら人間よりも強いが碁や将棋になるととても読みきれないケースもあるようだ。
つまり局所的に巧手は打てても第一感がないので大局的にみると想像もつかない手を打つ場合がある。
そして、日常の判断では常識というものが頻繁に用いられるが、これも「公認された第一感」と言い直すことが出来る。
さて、この第一感とは一体人間のどこに根ざしているのだろうか。
脳神経生理学が進歩すれば解明されるはずだが、この分野では重要なことが未だわかっておらず当分は期待薄である。
著者の考えによると、第一感は美徳とか調和感などで代表される「情緒」に根ざしているとの意見である。
21世紀以降、情報量の爆発的な増大が予想されるがそれらを一つ一つ論理的に思考して取捨選択する時間はないから、これから第一感の重要性は増し、その良し悪しが人間の価値を決める鍵となる。
世の中が先端科学技術に依存し、その基盤としての論理的思考に支配されるにつれ、逆に人間が、第一感という情緒的なものに頼らざるを得なくなるのは興味深い。
拙い要約でしたが「大要」以上のとおりでした。
「第一感は情緒に左右される」にちょっと安心しました。というのも情緒はこれまで「音楽&オーディオ」で散々鍛えてきましたからねえ(笑)。
たとえば、音楽なんか第一印象で好きになれそうかどうかだいたい分かるし、オーディオともなると「好きな音」かどうかはほぼ瞬時に判断できる状況です。
これからの世の中は、コンピューターが処理できない分野に人間の能力が特化していくと思っているので、いわゆる情緒の領域に言及したこの一編を読んでどこかで納得しホッとさせるものを感じました。
それにつけ、幼年期からの「情操」教育の重要性につい思いが馳せられますね。「要らん世話」と言われればそれまでだが・・(笑)。
テレビや雑誌などでは、中国や韓国などではおしなべて若者達が貧困からの脱却の唯一の手段として、いい学校に入り、いい職業についてお金をもうけて親を楽にさせたいと異口同音に言いながら勉強に血眼になっている状況がよく報道されています。
同情すべき点が大いにあって、決して責めることは出来ませんが、一方で感受性の豊かな時期に「第一感」に必要な美徳、調和感などを養うための教養、文学、絵画、音楽などの芸術、美的感覚への涵養はどのようになっているのだろうかと他人事ながら心配になってきます。
すべてとはいわないまでも情緒性に欠ける若者たちの一部が不満の責任を世の中へ押し付けて惨事を起こさなければいいのですが・・。
最後に、究極のケースとして「人間の第一印象は情緒に左右されるのか」「チャットGPT」さんに訊いてみました。