菅首相にスピーチライターが必要
2021年1月22日
希代のアジテーター、かつ異形の大統領だったトランプ氏が邸宅を持つフロリダ州に去り、バイデン氏が米大統領就任式に臨みました。米国の政治社会が見せた正常化への復元力は凄いドラマでもありました。
「皆さん、民主主義は今、この時をもって勝利した」という格調あるバイデン氏の演説の陰には、インド系アメリカ人のスピーチライターがおりました。インドからの移民2世です。多様性の重視、人種間の平等を強調するバイデン氏らしい神経が行き届いていました。
虚実を問わない放言、暴言を乱発したトランプ氏もスピーチライターを使っていました。というより「たいまつは引き継がれた」の就任演説で有名なケネディは勿論、全て大統領はスピーチライターを置いていました。
「民主主義の大義の勝利を祝福」「分断でなく結束、暗闘でなく光明を」というバイデン氏は、就任式で詩を朗読した女性の黒人詩人、ゴーマンさんとも連動しています。バイデン氏は少年期に吃音障害を努力で克服し、「光は常にある」と締めくくった黒人詩人には発話障害があるからです。
バイデン氏の第46代大統領に対し、菅氏は第99代総理大臣です。菅氏の就任は昨年9月16日ですから、バイデン氏の当選とわずか2か月の差で、日米は新しいリーダーを迎えました。2人の就任演説を比べてみて、菅首相はやはり少なくともスピーチライターを置くべきだと思いました。
前任の安倍氏にはスピーチライターがおり、歴史上の人物の言葉を引用したり、国民に呼びかける表現を工夫したりしていました。菅首相は周囲に「そのスタイルは自分には合わない。自分には仕事本位でやっていきたいという気持ちがある」と、漏らしているとか。
今通常国会の質疑で、二階自民党幹事長から「地方の皆さんに対する哲学、思いを語っていただきたい」との注文を受けました。細かな各論の羅列に終始する菅首相の発言に物足りなさを感じたのでしょうか。
菅氏には、政治理念やグランドデザインの提示もなく、発信力が弱い。発信力を高めることも「仕事」の内なのです。
施政方針演説の締めくくりには、菅氏が師と仰いだ梶山清六官房長官(当時)から言われたことを政治信条としてきたと、述べました。「資源の乏しい日本にとってこれからがまさに正念場。国民の食い扶持を作っていくのがお前の仕事だ」と。スケールの小さなスピーチです。
首相就任演説では、「3密などに注意していただき、適切に運用してまいります」「グリーン社会の実現に注力してまいります」と、「まいります」の乱発です。ざっと数えましたら、20回以上にもなりました。
単調なスピーチは、今国会でも改善していません。施政方針演説では「就職氷河期世代の就職もサポートしてまいります」「国民のために働く内閣として、全力を尽くしてまいります」など。英語に比べ、日本語の語尾は選択肢が少ないにしても、「まいります」の語尾が全部で25回は多すぎる。
バイデン氏はどうでしょう。「国民を結束することに、私は全身全霊を捧げます」「同盟関係を修復し、もう一度、世界に関与していきます」など。菅首相も「全力を尽くします」「サポートします」でいい。「まいります」と語尾につけると、いかにも自信がなそうな印象を与える。
菅政権に対し、辛辣な評価が少なくありません。「菅『敗戦処理内閣』の自爆/危機の演出で政権を安倍・菅体制で維持してきて、本物の危機に躓いた」(政治学者・片山杜秀氏、月刊文春)とまで、言われています。
「『みなさん、こんにちは。ガースーです』-ネット番組でこう自己紹介する菅首相の姿を見て、これが一国の宰相かと、全身から力が抜ける思いがした」と片山氏。演説に限らず、プレゼンテーション(情報伝達)のコンサルタントを置く。だれもそういうことを助言しないのでしょうか。
日米は政治風土も違います。米国は多人種社会、大きな所得格差が生む階層間の対立、大統領を直接選ぶ直接民主主義(日本は間接選挙)、その中で1年に及ぶ長帳場の選挙期間を勝ち抜く演説力が求められています。
それにしても、何十年に1度という感染症危機の中で、国民に協力を求めるには、政治リーダーの訴える力が不可欠です。米大統領の就任式に至る政治的戦術、国民の支持を取り付けるプレゼン力に、日本の政治家は多くを学ばねばなりません。
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