「前線なき世界戦争」か
2015年1月21日
イスラム過激派がパリで新聞社を狙ったテロ事件を起し、今度は安倍首相の中東歴訪のタイミングを狙って、人質の日本人の殺害予告をしました。突然のように大量の報道、論評が流れ、いったい、どう考えればいいのか戸惑っている人がほとんどでしょう。イスラム圏に滞在したことのある日本人、駐在したことのある日本人は少なく、判断の基準も土地勘持ち合わせていないのです。
そこで誰もが反対しないような反応が現われます。安倍首相の「イスラム国のテロには屈しない。国際社会と連携して地域の平和と安定に一層、貢献していく」はまさにその通りです。新聞の社説も「殺害の脅迫は許されない」(読売)、「卑劣な脅迫は許されない」(日経)、「許しがたい蛮行だ」(朝日)と、みな同列ですね。事件の背景、考え方、思想もよく分らない相手にこの段階でものをいうとすれば、当然の指摘なのかもしれません。
「身代金2億ドルを払うな」も正論です。日本が払うはずもないし、金額が非現実的だし、日本が払ってくるとは相手側も思っていないでしょう。それでも、こういう発言がなされます。「テロに屈しない」は、この種の事件が起きると、決まって聞かれる表現です。問題はその内容であり、「身代金は払わない」、「中東政策を変更しない」、「関係国は力を合わせる」、「テロは卑劣だとの批判を続ける」でしょう。いずれも異論がなさ過ぎて、事件の深層がわかりません。
経済支援までテロの対象か
そこでイスラムの専門家の解説、論評が目に入ります。英語圏などと違い、この領域の専門家は限られています。著名な東大準教授は「イスラム国が日本の対中東支援を特定して問題にした事例は少なかった。これがテロの対象になったことは重大な要素だ」、「英国人の殺害には英国人の戦闘員というように、被害者と処刑者の出身国を組み合わせている。今回は日本人の処刑者を確保できなかったのだろう」と、イスラムの詳しい知識に基づく分析は参考になります。
残念なのは、「わたしは多忙で仕事に追われている。仕事場に電話をかけてきて、答えるのが当然、という態度で取材を行う記者には必要な対抗措置をとる。イスラム問題の著書を出版しているので、まずそれを読んでからにして欲しい」と怒っているのを、ネット通信で知りました。
無礼な記者は少なくなく、確かにこれは残念なことです。もうひとつ、そこまで立腹しなくても、日本人がイスラムへの理解を深めるいい機会だと、前向きに考えてもらえないのかな、とこれも残念なことです。日本では、イスラム専門家が少なく、やや傲慢になり、「誤った解釈、論評が多すぎる。わたしの主張こそが正しい」を言わんばかり発言が目立つのは、残念ですね。
富の集中による格差拡大
別の専門家は「現代の紛争、テロの主体のほどんどはイスラムが絡む。米国における同時多発テロをはじめ、イスラムと非イスラムの境界線上で多発している。前線なき世界戦争の時代だ」といいます。新聞も「イスラム過激派が乱立、拡大」という現地情報を送ってきています。中東、アフリカなどの各地で、イスラム国、タリバン、アルカイーダ、ボコ・ハラムなどの勢力にわかれ、主導権争い、あるいは逆に協力関係のもとで、反政府勢力が現地の政権を打倒するなど、武力衝突が続いているといいます。「前線なき戦争の時代」だとすれば、単に「テロに屈しない」、「身代金は払わない」という次元をもっと掘り下げて、対応を考えねばなりませんね。
21日の新聞の片隅にマッチ箱のような小さな記事が載り、目にとまりました。民間団体の調査報告書です。「世界の最富裕層1%が保有する資産が世界の富の48%にのぼる」というのです。正確度はともかく、国家間、地域間、さらにそれぞれの国の国内格差の拡大が、国際情勢の流動化、国内情勢の不安定化の背景にあることは事実でしょうね。こういう指摘に、「テロから目そらさすのか」という短絡した反応をしないことですね。もっと大きな扱いでよかったですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます