新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ

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五輪マラソン札幌で日本の優柔不断

2019年10月18日 | 国際

 

自主的な決定が望ましかった

2019年10月18日

 東京五輪の花であるはずだったマラソン(及び競歩)の会場が札幌に移ることになりました。国際オリンピック委員会(IOC)が東京の酷暑を懸念し、やはり酷暑のドーハの世界陸上で棄権者が続出したことで、会場変更を決断しました。


 基本方針が決まると、重大な決定、変更を自主的にできないという日本の意思決定の弱点が露呈しました。異常気象に対する危機管理の意識に甘さがあることもさらけ出しました。マラソンに限らず、各種競技の会場変更の検討も望みます。


 日本の関係者は戸惑い、大会組織委員会の森会長は「変更に伴う運営経費はIOCに請求する」、小池都知事は「涼しい所でというなら、北方領土でやったらどうか」と、ピントがずれた発言です。北方領土に関係者が泊まれるホテルはありますか。異常気象に対するリスク管理意識が本質的な問題です。


 国際交流に携わる知人は批判します。「7月の東京で五輪を開催することが気狂いじみていた。昨年夏の酷暑、多湿、熱中症の続出は異常気象が異次元に入ったこと示していた。組織委、JOC、東京都、スポーツ関係者、医師会が早期に集まって結論を出し、IOCと協議を始め、1年前の昨年秋には対応策を決定しておくべきだった」と。


日本側に深刻な懸念なし


 IOCのバッハ会長は「我々がどれほど深刻な懸念を持っているかの表れだ」といい、東京五輪調整委員会のコーツ委員長は「ドーハと同じことが東京で起きたら、大きな批判の渦に巻き込まれる」と。最大級の懸念の表明です。

 

 環境庁の指針では「気温31°以上は屋外の運動禁止」です。今年は10月入っても気温が30°を上回る日がありました。「ビル街の日陰を走るコースを増やす」「霧吹き装置で散水する」程度の日本側の対応に、IOCは苛立っていたのでしょう。


 私は昨年夏、ブログで「5輪マラソンは猛暑避け富士山麓を走れ」(7/27)を書き、思い切った会場変更を提案しました。奇想ではなく、1976年から、つまり40年以上、富士山麓の河口湖周辺をコースとする「富士山マラソン」(2012に改称)が行われています。富士山はユネスコの世界遺産でもあり、日本最大の象徴です。

 

 富士山麓は空気が薄くなる高地ですから、都会中心の平地マラソンとは違います。「富士山麓で」というのは、大胆な発想の転換が必要なことを強調したかったのです。五輪に限らず、日本型意思決定ではそれができない。そこが問題なのです。


東京でという固定観念


 「東京という都市が招致する五輪」「マラソンは五輪の花、日本の花。東京でなくてはならない」という意識が脳裏から離れないのです。午前6時のスタートでしのぐというのも、無理がありました。札幌に変更しても、スタートは早朝でしょうか。


 沿道に配置するボランティアは、通常の札幌マラソンの4000人の倍は必要だし、警備の警察官は全国から集める。運営費は札幌市がかぶるのか、選手、大会関係者、報道の宿泊先を確保できるのか。米国のテレビ局の都合のいい時期ということで、7、8月の開催が決められる。かつての東京五輪のように秋の開催に戻せないか。


 問題が起きてからでないと、立ち上がらない。ピント外れの小手先の対応でしのごうする。IOCや米国テレビ局といった手ごわい相手に、弱腰になる。安易に構えていて、切羽詰ってから、あたふたする。JOCも組織委員会も、スポーツ関係者も、都も政府も反省材料が多いのです。


 最後に。テレビも新聞も五輪のスポンサー企業に収まり、利害関係者になっていましたから、メディアの問題提起力は削がれていました。


 



 

 


 




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