ドキュメントと経済理論の対決
2024年1月4日
植田・日銀総裁の下で異次元金融緩和からの転換が始まろうとしています。タイミングよく中公新書から「財政・金融政策の転換点」(飯田泰之・明大教授)、岩波新書から「ドキュメン 異次元緩和」(西野智彦・元TBS報道局長)が出版されました。筆者も主張も好対照です。
ジャーナリストの手による岩波新書では、安倍・元首相が主導した異次元金融緩和政策の意思決定の舞台裏が活写されています。ドキュメントであっても、筆者の論評が随所に挿入されている。マクロ経済理論を駆使している中公新書では、財政金融政策の理論的な考察に努めています。
優劣をつけるとすれば、岩波新書の筆者が優れており、中公新書の筆者は学説にとらわれすぎ、敗色濃厚のリフレ派に分類されるという印象を受けます。リフレ派の安倍氏自身が途中でリフレ派の政策に対する関心を失いました(岩波)。
安倍氏の変心は、異次元緩和策が限界に来ていたことを示しており、その時点で区切りをつけておけば、日本の金融財政に与えた負の遺産はもっと小さくて済んでしょう。
安倍・元首相は異次元金融緩和政策によるデフレ脱却に向け、「消費者物価2%、2年で達成」で日銀に圧力をかけ、黒田氏も強引に非伝統的政策を推進しました。当初「安倍氏は金融政策だけでデフレから脱却できると信じていた」(岩波)。それが心変わりしたのです。
何年経っても2%目標の安定的な実現が困難であることをみて、安倍氏は2018年には「2%の達成時期にこだわることはない。何度も達成時期を先送り(計6回)を続けると信頼を失う」という判断に至りました(岩波)。政治的な判断です。リフレ派ははしごを外された。
効果がでてこない金融政策に対する安倍氏の関心が薄れてしまった。取り囲むリフレ派の学者の主張に飛びついた安倍氏も、やっと「無理して物価をあげる必要がない.。上げられない」という心境に至ったのです。
物価も株価も企業収益も改善したのは初期だけのことで、14年春、「見事に期待に応えていただいた」と黒田氏を絶賛しました。それがうそのようなことになりました。
安倍氏は銃撃事件で故人となった時、「古今東西、これほどマクロ経済に通じた宰相はいない」と安倍氏を絶賛していた若田部副総裁はいたく落ち込んだ(岩波)。学者がそこまでいいますかね。効果がなければ経済理論を簡単に放棄する政治家が安倍氏なのでしょう。
前代未聞の規模の大規模緩和を続けるうちに「市場機能(市場のシグナル効果)は劣化し、株価も債券相場も官製相場と化した。財政規律が緩み、国債は日銀引き受け(財政法違反)同然になっている」という批判が高まってきました。それにもかかわらず、黒田氏は意地になり、認めない。
安倍氏はあくまでも政治家です。経済理論は道具に過ぎない。「マクロ経済に通じた宰相」というのはあたらない。2018年、自民党総裁選の討論会で安倍氏は「異次元緩和をずっとやっていいとは思っていない。何とか私の任期中に出口をやりとげたい」、さらに「出口戦略は日銀にお任せしたい」とまで言い切りました(岩波)。
「出口をやりとげる」のに何年かかると思っていたのでしょうか。1000兆円を超える国債発行をし、日銀がその半分以上を保有する。減らしていく過程で歳出規模の抑制、日銀財務体質の悪化(日銀当座預金の金利の上昇)、国庫負担金の削減などを進め、軟着陸を終えるには2、30年はかかる。日銀ひとりでできることではない。出口とは何かを理解していない。
プリンストン大学の清滝教授は「1%以下の金利でなければ、採算がとれないような投資はいくらしても、経済は成長しない」と証言しています(岩波)。経済、産業が好循環して成長率が上がり、物価の上昇していく。金融政策だけでできると思ったのがアベノミクスの誤謬だったのです。
話を中公新書の飯田教授に移すと、気になったのが「刊行にあたり若田部氏に草稿への丁寧なコメントを頂いた」とあります。若田部氏は安倍氏のマクロ経済政策を絶賛した元副総裁(現早大教授)です。飯田氏は、安倍氏が途中で自ら断念したアベノミクノスの賛同者なのでしょうか。
岩田・元副総裁、若田部・副総裁、浜田エール大教授、本田・元静岡大教授(元財務官僚)、高橋洋一氏(同)ら、リフレ派はグループを作り、徒党を組んでいたようです。圧力団体めいたもので動くところをみると、リフレ派は特異な集団でもあるような気がしてきます。
中公の目次をみると「ゼロ金利制約と金融政策、金融政策の経路と非伝統的金融政策、マイナス金利とイールドカーブ・コントロール、日銀当座預金の負債性、一体化する財政・金融政策・・・」など、黒田氏が展開した大規模緩和政策への言及も少なくありません。
現代金融理論(MMT)、物価の財政理論(FYPL)など、経済理論も詳述しており、教科書に使えそうな内容が盛り込まれています。精緻な理論の部分ではなく、分かりやすい部分だけいくつか拾って紹介します。
「貨幣量と物価は密接に関連している」と、飯田氏は指摘しています。マネーサプライを増やすと、物価を上げられる。黒田氏の持論でもあり、異次元緩和ではマネタリー・ベースを2倍にすれば、2年で消費者物価を2%に押し上げ、デフレから脱却できると主張しました。
最近、1、2年物価が上がったのは、海外資源高、円安・ドル高というルートでした。つまり日銀が貨幣量を増やしたルートではなかった。海外要因、輸入インフレであり、黒田・日銀の設計と全く異なりました。
マネーサプライと消費者物価の関係について、飯田氏は2019ー2022年の米コロナ期のグラフを掲載しています。両者は右上がりの曲線を描いています。その因果関係はどうなのでしょうか。
「物価が上がったからマネーの量も増えた」のか「マネーをふやしたから物価が上がったのか」の解明が必要でしょう。しかも、日本ではなく、なぜ米国を例にとったのか。日本では国内緩和を10年やっても物価は上がらず、海外要因によったことを示すグラフが欲しかった。
「黒田氏は就任の際、『期待に働きかける政策』という言い回しが多く使われた」と、飯田氏は指摘します。黒田氏は総裁の去り際に、「期待通りには、デフレマインドが変わらなかった」と言っています。「期待」に期待をかける黒田氏の金融政策は空振りに終わった。
「日銀が債務超過になったしても、円の価値に何らの影響はでない」、「金融緩和による金利の抑制が金融市場の機能を低下させるといった批判は首肯しかねる」、「金融緩和による低金利が財政規律を弛緩させるという批判は無意味である」、「国債を発行(政府債務の増加)したからといって、将来世代につけを残すことはない」などなど。
通常の財政金融政策上の常識と異なる主張をしています。中央銀行の独立性について、「より限定的な政策の細部に関する独立性に限定すべきだ」などいっています。財政金融政策は、政治経済学的な力学で動くようになってきました。ポピュリズム政治はその典型でしょう。中央銀行の独立性、中立性を維持していかないと、政治的な圧力が勝つことになります。