説明不足でボヤが大火にも
2020年10月5日
菅首相は、日本学術会議が推薦した新会員候補のうち6人を任命しませんでした。「安保法制などで政府に批判的な学者を狙い撃ちした」との解説はあたっているのでしょう。
「学問の自由を脅かす」は過剰反応にしても、今後、政府に迎合的な学者が増えてくると困る。政府がいつも正しい方向を目指しているとは限らないからです。「批判を聞くことは必要で、安易な排除を続けると、国益を損なうことになりかねない」との警告も聞かれます。
「学術会議側が新会員を推薦し、首相が任命する」という日本学術会議法の条文の規定通りに、歴代の首相は推薦された候補を任命しなかったことはこれまでなかった。今回、何の前触れもなく、首相が突如、6人だけをはずしたため、会議側は抗議し、野党も国会論戦に持ち込む構えです。
菅官房長官当時、密室における調整で検察庁法の解釈を突然、変え、政権に好意的な黒川東京高検長の定年延長を例外的に認めた件と似ています(黒川氏は賭けマージャン事件で辞任)。法律解釈の変更が恣意的な判断で素通りしていくようでは、法治国家の名が泣きます。
こんなことすれば、どのような反発がおきるのか深く考えず、学術会議人事が持つ意味を過小評価したのでしょうか。前例踏襲の打破が新政権の方針だから、「それに沿ったまで」と考えたのかもしれない。
検察庁法の場合は、政権寄りの人物への優遇措置でした。今回の学術会議法の場合は、反政権的な人物に対する差別的な措置で、好対照です。検察庁法の学習効果がなかったのでしょうか。また国会の空転ですか。
政府はこれから説明する考えのようです。「これまでの慣例を変えたことも、変えた理由も政府が公表していなかったのはなぜか」「法解釈の変更を公の場で審議せず、密室で進めたのはなぜか」。
学術会議や国民に納得してもらえるように説明していくのは、かなり難しい作業です。学術会議は内閣府の機関であり、会員は非常勤の国家公務員という扱いですかから、首相に任命権があります。
それならそれなら「任命しないこともある」と、法解釈の変更を事前に明らかにしておくべきでした。それに対する会議側に意見も聞いておくべきでした。そうした手順を踏んでいなかったのはまずい。
政府は国会で「任命の手続きは形式的なもので、推薦された者をそのまま任命する」(83年)と、答弁してきました。この解釈を、政府に都合のいいように、2018年に密室で変えてしまった。ルール違反です。
一方、学者側は「学術会議人事への政治介入で、憲法で保障した学問の自由(憲法23条)を脅かす行為」と反発しています。今回のことだけで「学問の自由を脅かす暴挙」(朝日新聞)というのは、過剰反応です。
菅政権に対し「国家の存亡にも関わる愚行」との学者の批判もあります。「国家存亡」とは、またオーバーな表現です。これくらいのことで、学問の自由が脅かされるとは情けない。
「学術会議は『学者の国会』に相当する」「87万人の学者を代表する」と、学者側は主張しています。そうなのでしょうか。
会員の経験者は「学術会議の見解、声明がどの程度、政府の政策を縛っているのか、どのような形で生かされているのかよく分からなかった」と、言います。「学者の国会」というのは、実態から乖離しています。
「会員でない大多数の学者は、推薦する候補者の決定に関与できない。投票権もない」という人もいます。ですから「87万人の学者を代表する」(毎日新聞)も誇張でしょう。学術会議の過大評価です。
「会議の文系(社会科学系)活動家に乗っ取られている」との批判があります。「だからいっそのこと廃止するか、民間組織に変えてしまえ」の声も聞かれます。学問の尊重との関係もあり、単純化しすぎている。
日経社説は「政府は異例の決定に至った経緯と理由をきちんと説明すべきである」と、主張しています。「理由を説明すれば、あなたは任命拒否を認めるのか、それとも認めないのか」が次の問題です。
また「会議側が推薦者の決定基準を透明化する」「推薦を受けても、自動的に首相が任命するとは限らない」などを明文化する。「学問の自由」には触れない範囲での人事政策を政府が約束する。これらが必要です。
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