パニックが起きるまで待ちの姿勢
2022年6月19日
世界がインフレ防止で一斉に金利を引き上げている中で、日本だけ一国が動かず、円安が1㌦=150円程度まで進むとの観測です。景気後退を覚悟しても引き締めにかかっている欧米とは真逆のスタンスです。
異次元の金融緩和と財政出動を続けてきた日本は、「進むも地獄、退くも地獄」という出口のない泥沼に陥っています。黒田総裁の記者会見の写真は、身振り手振りで必死の説明する姿には哀れささえ感じます。
重要な問題ほど「何も決められない日本」の姿を象徴しているのが、今の政府、日銀です。金融政策もパニックが起きないと、決断できない。そこまで追い込まれないと、動けない、動かない。総意が成立しない。
大転換期を迎えているこんな時こそ、新聞社説は健筆をふるってほしいのに、主要紙を読んで失望しました。最もひどいのは朝日新聞です。
「円安の影響を遅ぎ検証を」(19日)の見出しで「検証を急ぎ、先行き指針の再検討など、的確な対応をとる必要がある」と、至極当然の主張です。では、政府、日銀は検証して何をすればよいのかを主張しません。
「舵取りが難しい局面であればこそ、政策の意図や効果を丁寧に説明する必要がある」と指摘します。「丁寧な説明を」との表現は、新聞がこそ説明すべきなのです。
「欧米当局がインフレ高進を見通せなかった教訓を踏まえ、経済の変化に目をこらさなければならない」と、また当然の指摘です。日本は「目をこらして」何をやるべきか。そこを聞きたいのです。
読売社説も似ています。「円安進行に警戒を」(18日)見出しで、「日米の間で、金融政策の方向性の違いが一段と鮮明になった。日銀は金融緩和を続ける狙いを説明するとともに、為替相場の動向に警戒を強めるべきだ」と、主張しています。
「金融緩和に伴う円安が物価高の一因となっている中で緩和策を続ける場合、事態を改善する方策についてどう考えているか、説明してもらいたい」と。ここでも「説明を」の常套用語の登場です。
黒田総裁は記者会見で「現在の物価上昇は資源高によるコストプッシュ型のインフレだ。われわれが目指す物価上昇と異なる」と説明しています。くどくどと、説明しすぎるくらい説明しています。
聞きたいのは日銀の説明でなく、新聞としての主張なのです。例えば、「金利を上げるため、日銀による国債購入を減らしていく。国債費(利子)が増えるにつれ、歯止めが効かなくなっている財政拡張にブレーキをかけていく。景気後退を招いても、異次元緩和から抜け出すコストなのだ」と。
黒田総裁は「中央銀行が為替をターゲットとして金融政策を運営することはない。あくまで物価安定を目標に運営している」と、語りました。これは嘘に近いのです。そうした説明を批判するのが新聞の責任です。
9年前に始まった異次元緩和は、当初「2年で物価2%引き上げ」が総裁の言う目的でした。それが次第に、財政ファイナンス(日銀による国債購入)と円安誘導にすり替わっていきました。
当初の目的がどうでもよくなり、政治は財政拡張を歓迎する。そこを新聞は批判しなければならない。求められているのは、「丁寧な説明」ではなく、それに対する新聞の反論なのです。朝日も読売も同じです。
円安については、「日本企業が海外にどんどん進出している。円安にメリットがあるという時代は終わった」、「円安やゼロ金利でないと収益をあげられない企業が増え、実質賃金や潜在成長率の低迷をまねている」という指摘が本質的な問題です。
それが正論なのに、日経の社説「円安の利点を生かせる日本経済に」(19日)には、驚愕しました。「円安には円安の利点がある。海外からの観光客や投資の誘致だ。円安による輸出増にも期待したい」と。
「当面は円安基調が続くだろう」という見通しですから、それを生かせるだけ生かすという感覚から書いたにせよ、経済専門紙なら円安の本質的な問題に鋭く迫り、「金利を引き上げるよう政策転換すべきだ」との主張が欲しいのです。日経の円安容認社説は経済紙だけに罪が深い。
日本全体で公職追放が必要