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全国紙の元記者・中村仁がジャーナリストの経験を生かしたブログ
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稲田氏の靖国参拝で真珠湾の色はあせたか

2016年12月31日 | 政治

 

首相の指示があったと想像

2016年12月31日

 稲田防衛相が安倍首相に同行、真珠湾での追悼式に臨んで帰国した翌日、靖国神社を参拝しました。刺激的だし意図的、政治的ですね。「わざわざ真珠湾の翌日を選ばなくても」なのか「翌日だからこそ意味がある」なのか。前者は多くの国民の声、後者は首相や稲田氏の背後に存在する国粋主義的な人たちの声でしょう。せっかくの真珠湾の色があせました。


 新聞などによると、「首相や稲田氏の支持基盤である保守層には、真珠湾訪問に懐疑的な声があり、支持者への配慮があったようだ」(読売新聞、30日)。米軍兵士に対する追悼式に出るくらいなら、日本の靖国神社参拝を避けるなという声が、保守層というか国家主義者、国粋主義者、右翼的な人たちに根強いのでしょう。


 国内には、「中韓など外部から靖国参拝にとやかくいわれる筋合いはない。内政問題だ。外交問題にするのがおかしい」という声もありますね。そう言いながら、「外交問題化」に日本の政治家が手を貸しているのです。日本国内の内政問題だから放っておいてくれと、開き直れないのです。米国もことあるごとに「慎重な対応を」と、日本に迫っています。


 稲田氏は今回の参拝について、「未来志向に立って、日本と世界の平和を築いていきたいとの思いで参拝した」との発言です。そのこと自体、「本当にそう思っているのか」との反論を誘発します。安倍首相も一言、「ノーコメント」と、述べました。事実上の肯定であり、首相の参拝指示があったとみるのが自然です。中韓からみると、参拝のタイミングといい、かなり政治的な動きです。


A級戦犯は対象外となぜ言わぬ


 せめて発言するなら、稲田氏は「慰霊はあくまで祖国のために命を捧げられた方々への追悼」に加え、「悲惨な戦争に突入し、国民に塗炭の苦しみを与えた戦争指導者、後に合祀されたA級戦犯は追悼の対象としなかった。平和を考える上では、A級戦犯の罪は重い」と述べれば、中韓も外交問題にしにくいのかもしれません。


 A級戦犯の分祀(除外)は動きは消えましたし、国粋主義的な人たちはA級戦犯の合祀にこそ価値を置いているのでしょう。ですから、首相も参拝閣僚も「祖国のために命を捧げた方々への敬意と追悼」という表現から、一歩も出ようとしていないのです。歴史修正主義には、戦争指導者を否定するどころか、先の世界大戦を肯定ないし擁護するという考えも方もあるのでしょう。


 靖国参拝というと、外交的な問題が主として論じられます。わたしは、まず国内問題、つまり悲惨な目にあった国民に対する問題だと思いますよ。戦争指導者が無謀な戦争に導いたことで、兵士、民間を含め300万人の犠牲者がでました。安倍首相は戦争について、「痛切な反省」、「深い悔悟の念」とか言いながら、靖国参拝問題を別次元に置いているのですね。

 

 

 



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13 コメント

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Unknown (マリマリー)
2016-12-31 20:49:47
稲田さんは「なんちゃって」感が強いですよね。
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Unknown (aa)
2017-01-01 14:36:32
なんかペラい論評だな
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Unknown (Unknown)
2017-01-01 22:12:05
翌日参拝に賛成したら国粋主義者ですか?。
笑わせてもらいました。
自称言論人は反論できなくなるとレッテル貼りをしますね。
所詮二流。
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貴殿それでも日本人ですか (離人彷辺)
2017-01-02 18:24:47
前略、小生は間もなく還暦ですが、我々の世代より古い連中は、自分の偏った見識をもって、それがあたかも国民全部の意見の代弁のごとく言うのを、まず、やめてもらいたい。

真珠湾の戦艦アリゾナには米兵の魂は宿っているかもしれぬが、昭和16年12月8日における日本側未帰還29機と特殊潜航艇5隻、計64柱の英霊のみたまは、戦死の瞬間に千里の空を飛び帰り、靖国の御社にしずもっている。

彼らは徴兵でいやいや戦場に引っ張り出された一般庶民ではない。航空部隊の搭乗員はすべて、志願してこの道を選んだ優秀な青年であるし、特殊潜航艇の乗員9名のうち、4名の艇長は海軍兵学校出の士官であり5名の艇付も、いずれも志願の最優秀の下士官だ。そうして彼らは皆、戦死したら靖国で会おうと誓って出撃したのだ。

首相が、真珠湾の慰霊行事に参列しておいて、我が方のこの戦いに仆れた英霊のみたまに、鎮魂の誠を奉げずして何としょうと、稲田防衛相が、矢も盾もたまらず、敢然、参拝したのに対して、貴殿はなんという情けない記事を書くのだろうか。小生は貴殿より若い世代の、教職にあるものだが、あきれ果てて物も云えない。

貴殿は読売新聞のOBらしいが、現在、一応保守ということになっている読売の立場が、靖国神社否定、国立追悼施設建設であることに長くいぶかしんできたが、貴殿の記事をみて、その浅薄きわまりない裏舞台を垣間見る思いだ。

外務省帰国子女相談室長を最後に退官され、すでに故人である、予備学13期の土方敏夫氏は、戦時中は、日本海軍戦闘機隊の最後の精鋭を結集した203空戦闘303飛行隊の零戦搭乗員であったが、

戦後、特攻に出た、同期の飛行予備学生に言及し、「皆、靖国神社で会おうと言って出撃したのです。我々の仲間は千鳥ヶ淵などには一人もいません。」と断言している。

土方氏は成蹊学園で数学教師として長く務められ、その間、小学算数教科書の編纂などにもタッチされた、思想に偏りのない文化人であったが、現内閣総理大臣、安倍晋三氏の高校時代の恩師でもあった。その薫陶は安倍首相の中にも脈々と息づいていると信じる。
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国の為に一命を捧げた (案山子)
2017-01-03 22:52:27
靖国神社は、国の為に・・・
では東条英機は満州で国の行政機構を日本人で統治し、アンダーグラウンドでアヘン仲介し、上納金として金を収めさせ、43年2月ガダルカナル島撤退で日本の敗戦を確信している。43年11月には立て続けに,大東和会議で東南アジアの独立を促す。現実は日本の統治した方法は、真逆と言えるだろう。また同月軍需省を作り、大本営発表で勝つまでもう少しだと煽り、国民に工業用と称して金・銀・プラチナ・ダイヤモンドを供出させた。戦後これがGHQが社会主義勢力の対抗戦略に利用したM資金と言われている。戦後東条は処刑されて直接は手に触れたかは不明だが、東条とコンビを組んで満州・軍需省を運営した、岸信介(A級戦犯)後釈放されたが、満州でも軍需省でも同じ道を歩んできた。岸氏の残した言葉「政治は力であり、金だ」「金は濾過機を通せ」戦後接収貴金属処理法に基づいて、一時経緯を調査したが、昭和34年病院での変死事件等発生して取りやめ、貴金属が日本の元官僚・日本の元軍人・アメリカの軍人等から発覚摘発される。A級戦犯すべてとは言わないが、調べれば調べるほど、戦争指導者は、残念ながら日本の国の為に死んだとは思えない行動をしている。
安倍外交は、南沙で中国を挑発し、靖国で挑発し、その度に中国公船が迫ってくる。本番を想定して、引き金を引く準備はできているのだろうか。
内部的に自分の力を見せつけるために、強がっているふうにしか。私には見いない。
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案山子氏に応う (離人彷辺)
2017-01-06 00:00:35
安倍外交は、南沙で中国を挑発し、靖国で挑発し、その度に中国公船が迫ってくる>

いつ日本が南沙で中国を挑発しただろうか?自衛艦隊に護られた、輸送揚陸艦おおすみ型に1000名以上の兵員を積み込んで南沙諸島に上陸占拠したというのなら、それは、挑発したと言われても仕方がなかろうが、今、私が述べたのと全く同じ事をやっているのが中国ではないか、

靖国で中国を挑発し、----笑わせてはいけない。中曽根大勲位が江沢民の意向を、必要もないのに忖度して首相参拝を自粛するまでは、中国には、このことに対して一言も言わせなかった。

これは全くの内政干渉で、これに屈していては、日本は押せば引っこむ国だという侮りを生み、今後の他国との外交交渉において、国益を棄損すること著しいものがある。

イソップ寓話にあるではないか、こういう話が、

狼が子羊に目をつけました。ふつうは、ご馳走には有無を言わせずバクッとかみつく狼ですが、この子羊がとても頼りなく無邪気にみえたので、命をとる何らかの口実が要るように感じました。
「よくもおれの川で泥をかき立ててくれたな!お前には厳しい仕置きがふさわしい。」
子羊は震えて答えました。「あなたが飲んでいる水を私はたぶん濁していません。あなたは上流にいて、私は下流にいますもの。」
 狼は激しく言い返しました。「おまけに去年おれのことで嘘をついたと聞いたぞ!」
「そんな事できるはずがありません、私は今年生まれたんです。」と子羊
「ええと、それじゃあ」と狼は歯を剥いて言いました。「とにかく、おれは説得されて朝食を食べないつもりはないのだ」
そうして有無をいわせず狼は子羊をつかみ、森へさらっていきました。
教訓
暴君は常に横暴な行為の口実を見つけられます。

今の中共が、日本に対する姿勢も全く同じだ。靖国も尖閣も、すべてこの狼のふっかける屁理屈の産物よ。

徳川家康が弱体化した豊臣家を滅ぼす口実に、方広寺の釣鐘の銘文に因縁をつけたようなものだ。歴史上、この手の事は推挙にいとまもない。

何をどうしようと、近く中国は、必ず、日本に対して侵略戦争を仕掛けてくるのだ。覚悟を決めよ。

団塊世代も腹をくくるべし
昨日までと、今日はもう、違うのだ。

そしてクラウゼヴィッツが言ったように、流血を厭う者は必ず、流血を厭わない者に征服されるのだ。

まもなく尖閣をめぐって、第一回の会戦があると見なくてはならない。好むと好まざるとに関わらず敵は必ず来るのだ。

日本の立場としては、第一回の会戦で、相討ちになったとしても、一機、一艦、一人の兵士でも生きて返してはならない。今、人民解放軍の主力をなしている壮丁は、ほとんど一人っ子政策の頃の子弟で、一家にたった一人の大事な跡取りだ。沿岸部の各家庭に相次いでもたらされる戦死の報は中南海を揺さぶり、無謀な開戦を決定した責任を追及が、権力闘争の材料となって内部崩壊することだろう。核を持たない日本は、その僥倖に賭けるしかない。

大切なのは、第二次大戦の英本土航空決戦時、チャーチルを信じ切って、国民 心を一にして勝ちぬいた英国国民のごとく、

全国民が力を結集して祖国を護ろうとする気概だ。
(いかなる堅艦、快艇も人の力によりてこそ、その精鋭を保ちつつ、強敵、風波に当たり得れ)
という古い軍歌があるが、日本の未来はそれを担う人の教育に掛っている。
閑話休題

話しを転じて、東条英機氏は、中野正剛氏を拘引、自決せしめたりして、性格にかなりヒステリックな面があったことは事実と思うが、清廉潔白の人であったと思う。

それは、この人の円満な家庭をみればその一端はうかがい知れよう。すなわち、ヒトラーのように、後に自殺する姪のゲリと関係したり、自決の前日に愛人のエバ・ブラウンと結婚式を挙げるというようなゆがんだ精神は欠片もなかった。

妻の勝子氏を一筋に愛し、部下の少佐がタイピストをからかって、その尻をなぜたりすると激怒して叱りつけるような清廉な人だった。もしかするとご存じかもしれないが、長男 輝雄氏は、戦後初の国産旅客機YS-11の主任設計技師であった方で、若い時期は、先年上映されたアニメ『風立ちぬ』の主人公、三菱の堀越二郎技師の下で零戦の開発スタッフの一員だった人物である。

子だくさんの東条家であったが、皆、懸命に努力して戦後、それぞれに一家をなされた。
貴殿の書かれているアヘン貿易の事は、実は、自分も少し知っている。陸軍航空隊に筑紫次郎少佐という人がいて、戦時中、のちに戦後、私の上司になる方の上司だったのだが、終戦間際には、中国大陸でアヘンの密貿易に携わり、それで得た巨額の金で、上海で米国製の航空用工作機械を買い付けて内地に送る仕事の元締めをしていた。

戦争中のこの時期に、魔都上海では、戦争をしている当の相手国の軍需品である、航空用の高級工作機械が、金さえ積めば、入手できたのである。

日本は戦前に敵国である米国から輸入した工作機関を使って飛行機を作ったが、これが空襲で焼かれてしまうと後が続かず、

このような邪道な方法で入手するしか他に手がなかったのである。すなわち、その売り上げは公金であり、ワタクシできる性質のものではなかったのだ。

アヘンの密貿易はもちろん悪事にはちがいない。さりながら、弁解めくが、あのとき日本は必死だったのだ。と、もう故人となったが、かつて、上司は私に語った。

このとき上海では同時に、ロッキード事件で一時有名になった右翼の児玉誉士夫が、海軍軍令部次長の大西瀧次郎の意を受け、海軍児玉機関として工作機械用ダイヤモンドや、タングステン、触媒用の白金などを買い付けていた。

こちらは終戦時、北出大太氏の操縦する最後の飛行艇で内地に運ばれ、戦時中、民間から供出させた宝石、貴金属などと合わせて、児玉の私腹として秘匿され、のち、自由民主党の設立に使われたのは事実である。児玉があの事件で摘発されるまで、長く政界の黒幕として君臨し得た力の源はそこにある。

戦時の商工大臣であった岸信介が、総理の座につく際に、児玉の金が動いたのは、憶測ではあるが本当だろう。その実弟の佐藤栄作しかりである。

しかし、歴史的にみて、かつまた「政治家は結果責任である。」という千古普遍の原則に照らせば、彼ら兄弟こそは日米安保の下で、戦後の日本の永い安寧と繁栄をガバナンスした功労者というべきであろう。特に、岸は、その間 安保闘争の嵐を乗り切って日本丸を安らぎの港に導いた功績がある。

彼らは、安倍晋三の今に至る、吉田茂学校の保守本流の正統を継ぐ両人であった。

そこで話しを現代に戻して、安倍晋三氏が、現下の危機の日本の宰相としてふさわしいかというと、自分としてはふさわしくないと思っている。
彼は第一次安倍内閣が破れて野にくだった時、靖国神社に参拝しなかったことだけは、一生の恨事だったとしながら、いざ総理に返り咲いてみれば、おっかなびっくりで一回参拝しただけで、昨年夏の8月15日にも、自らが参拝しないばかりか、外務大臣の岸田にミスリードされて、稲田防衛相の参拝まで、掣肘していかせなかった。
靖国は今や重要な外交カードだという観点からみても、断じて行くべきであった。あれで、日本の安倍は強がってはいるが、押せば引っこむ弱虫だと、全世界の国家元首、とくに東亜諸国に向けて、誤ったメッセージを発してしまった。
かつての東亜独立の希望の星であった。中韓北を除く諸国は、あれで日本は弱くなってしまったんだと悟ったのだ。ベトナムが中国に転び、フィリピンまた中国に転んだのはそれから間もなくだ。
そして屈辱の日露外交で、プーチンに侮られて食い逃げされる結果を招来した。

今、ドイツでは、ヒトラーの著書『わが闘争』の発禁処分が解けて、飛ぶような売れ行きとのことだが、メルケル総統閣下が、移民政策でエライ間違いをしたのに加えてドイツ銀行は破綻寸前、ベルサイユ体制下のような暗雲が全土を覆っていると聞く。祖国の為に戦死したユーゲントの少年兵達の墓に泥をかぶせて、戦時中の事は皆ナチスのせいにして口を拭ってきたドイツ国民は、あわててわが闘争を読み直しているのだろう。
しかしながら、わが日本はそんな悪夢のごとき独裁者の著書などを引っ張りだす必要も泣く、奇跡的に今日まで、靖国神社を保ちえた。いっさいいいわけするな。百年後の名を期せ とご子息の東条輝雄技師にいいのこして、大東亜戦の立たざるを得なかった事由を堂々主張し、昭和天皇に科せられるはずの罪科をすべて背負って、デス・ハンギングの判決に軽くうなずいて刑死した東条元首相や、城山三郎の伝記、落日燃ゆの主人公、広田弘毅元首相、土肥原中将などの、国を思う誠を知れば、とても連合軍の尻馬に乗って、A級戦犯だから分祀などと、日本人の口からは言えまい。
一時、分祀論が出た時、A級戦犯刑死者の遺族のうち板垣征四郎諸軍のご遺族などは、国の妨げになるならば合祀を取り下げてもらって結構ですと答えたが、当時、三菱重工取締役の東条輝雄氏が、他の方の事はぞんじあげませんが、父には一片の私心もなかったと確信していますので、合祀取り下げには承服できませんと強硬に主張したので沙汰やみになったと仄聞している。

さて長々書かせてもらったが、自分が思う、危機の日本を双肩に担う、救国の総理は、橋下徹氏以外には思い当らない。
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現実を見極めて・・・ (案山子)
2017-01-07 12:46:00
そもそも中国・韓国の反日政策は、それぞれのタカリであったり、不平不満を日本に向け自分の国の安定を図る手段だろう。
その原因を作ったのは、戦前の特権階級と言われた人達の政策の誤りであり、やむを得ない部分も斟酌する必要はあるだろうが、戦後マッカーサーにより農地解放・婦人参政権・労働者の権利・政治、教育の自由等が定められ改善された。団塊世代に腹をくくれ・流血を恐れるなと言われても、そう簡単な話ではない。
中国共産党も馬鹿ではない。崩壊前にもし戦争を仕掛けるのなら、確実に勝てる国に牙を向けることを選択をするのが、正当な方法かなと思う。反面日本の軍備は侮れないと思つているはずである。だからこそ隣の敷地南沙諸島では、領有権争いが発生し多くの国々が領有権を主張している。付け込まれたと私は思う。その上フィリピン・ベトナムは、中国との貿易の繋がりが大きく、それぞれの国際法に違反する、人工島の取り扱いに対する交渉も、腰が引けた対応になっている、と思う。それをアメリカのオバマもフィリピン・ベトナムも直接対峙していると見せかけて、裏では貿易もしっかりやりましょうと言っているのに、日本が先陣を切って、中国共産党の非を論うのは、得策には思えない。その結果尖閣諸島に大量の漁船団が押し寄せ、この機を捉えて、安倍総理の公約尖閣諸島に公務員を常駐させるのかと思いきや、相手を刺激してはまずい、冷静に対処しなければならない。私から言わせれば、安倍外交は何を遣っている、突然熱く成ったり、腰抜かしたり、公務員を常駐させてもどうてことはない。毅然と海流調査のためとか言えば良い。所詮日本はアメリカの核の傘に守られているのだから、アメリカより先に出ることは愚の骨頂と言わざるを得ない。
しかし、トランプは、中国を最終的に分割することを狙っているのかもしれない。また世界に二強は必要ないと言う考えはアメリカ国民にも支持を得られると思う。その可能性は十分あると思う。昨今の異常気象、実数16億とも謂われる中国で、いつ飢饉が続いても不思議でない環境で、空気・土壌・水が汚染され、その上景気後退が重なれば中央政府は各地域を制御することが出来なくなり、各地域がそれぞれ勝手な政策を行い。人民も行政力により、人数が限定される。
戦前も戦後も物事は自己責任であり、結果責任である。東条英機の率いる戦争責任者は、10人中10人が負けると判っていて始めた戦争を、戦争責任者たちの見栄か衒いか、どうしょうもない負け戦を承知の上、自分たちの決断で終わらせることが出来なかった。その間多くの国民・兵士が戦争責任者の犠牲になった、こんな大きな罪はない。A級戦犯とか以前に人知れぬ山野の影で眠る民草の心を慮れば、合祀するべきではなかった。
戦後恐らくアヘンの上納金とか、国民を詐欺にかけた金・銀・プラチナ・ダイヤモンドの力が物を言い、厚生省が言うなりに名簿を靖国神社に提出したと思う。当然現厚生省が誤りだと提出しなおせば消えるはずである。
戦争責任者の霊も自分達が、靖国神社に合祀されていては、却って肩身の狭い日が続いていると思う。
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関東軍の暴走と満州国の統治 (案山子)
2017-01-07 18:02:57
世界大恐慌の影響で都市では失業者の増加、農村では貧窮による、身売り、政治家たちの内部抗争により進まぬ改革、このままでは軍部によるクーデターを止めることは難しく、石原 莞爾を中心に満州国を建国した。満州開拓団を受け入れ、当初満州人と日本移民のユートピアを作ろうとした。満州人を中心に自治を認めようとも考えていたが、東条英機とその配下岸信介は、日本人だけで満州国を運営し、裏でアヘン売買を導入して、上納金を政治資金に利用した。アヘンを利用した国造りを指弾し、憤慨した石原 莞爾を馘首した。政府も、戦線拡大は自殺行為だと止めたが、東条は聞く耳は持たず、第二次世界大戦に投入していく、ミットウエー海戦で敗れ、ガダルカナル島で退路を断たれた、東条は馘首した、戦略の天才と言われた石原 莞爾を呼び、何か戦線を立て直す方法はないかと尋ねた。石原 莞爾はもう各地で撤退縮小しか方法はないと答えた。
それ以後自分の責任転嫁だけを工作したとしか思えない、資料しか見つけることが出来ない。
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いろり火はとろとろ 外は吹雪 (離人彷辺)
2017-01-08 09:12:52
総力戦研究所が戦前に調査してわかっていたとおり、大東亜戦争は、彼我の兵力、工業力を比較した時、勝ち目の極めて薄い戦いであると知りながら、日本の戦争指導者たちが、開戦に踏み切ったというのは動かし難い事実だ。

しかし、では、その前の戦争である、日露戦争ではどうなのか?開戦の時点で、西郷従道や、山本権兵衛の予想した勝率は、大東亜戦よりはるかに低かった事は確実で、むしろ日本が勝つのは奇跡に近いと考えていたことだろう。
しかし、それでも、日本は敢然と立ちあがり、そして勝ち、東洋の盟主となった。

厳密には勝ったというよりは、有利な条件で講和する態勢に持ち込んだのであるが、少なくとも負けはしなかった。

日露戦における日本の勝因について、後世の人は、当時は帝政ロシア崩壊の直前であったから、ロシアは見かけ倒しであったのだ、などと、終ったことに対して、全体を俯瞰して言うが、

それは優勝が決まってからチームの勝因を饒舌にまくしたてる野球解説者と変わるものではない。

人というものは中々、過去の成功体験を忘れさる事はできないものだ。

大東亜戦も、短い連戦連勝と、そのすぐあとの講和という図式で行こうと、とり掛ったにちがいなかろう。

現在、だれもが知っている、山本五十六が、近衛文麿に言ったという『ぜひやれと言われれば、半年や一年は存分に暴れてご覧にいれる。だがそのあとは全く確信がもてない。』の言葉どおり、半年ないしは一年で連戦連勝のうちに講和するつもりであったに違いあるまい。

昭和天皇は、開戦を望んでおらず、東條は皇居での首相任命の際、天皇から対米戦争回避に力を尽くすように直接指示される。

天皇への絶対忠信の持ち主の東條はそれまでの開戦派的姿勢を直ちに改め、外相に対米協調派の東郷茂徳を据え、一旦、帝国国策遂行要領を白紙に戻す(この時、陸軍省に戻って来て執務室までの道中「和平だっ、和平だっ、聖慮は和平にあらせられるぞっ」と叫びながら歩いたという)。

さらに対米交渉最大の難問であった中国からの徹兵要求について、すぐにということではなく、中国国内の治安確保とともに長期的・段階的に徹兵するという趣旨の2つの妥協案(甲案・乙案)を提示する方策を採った。またこれら妥協案においては、日独伊三国同盟の形骸化の可能性も匂わせており、日本側としてはかなりの譲歩であった。

東條率いる陸軍はかねてから中国からの撤兵という要求を頑としてはねつけており陸相時の東條は「撤兵問題は心臓だ。米国の主張にそのまま服したら支那事変の成果を壊滅するものだ。満州国をも危うくする。さらに朝鮮統治も危うくなる。支那事変は数十万人の戦死者、これに数倍する遺家族、数十万の負傷者、数百万の軍隊と一億国民が戦場や内地で苦しんでいる」「駐兵は心臓である。(略)譲歩、譲歩、譲歩を加え、そのうえにこの基本をなす心臓まで譲る必要がありますか。これまで譲り、それが外交とは何か、降伏です」「支那に対して無賠償、非併合を声明しているのだから、せめて駐兵くらいは当然のことだ」とまで述べていた。

しかし内閣組閣後の東條の態度・行動は、この陸相時の見解とは全く違ったものであり、昭和天皇の意思を直接告げられた忠臣・東條が天皇の意思の実現に全力を尽くそうとしたことがよく窺える。外相の東郷が甲案・乙案をアメリカが飲む可能性について疑問を言うと、東條は「交渉妥結の可能性は充分にある」と自信有り気だったという。

しかし、日本側の提案はアメリカ側の強硬な姿勢によって崩れ去ってしまう。11月末、アメリカ側はソ連のスパイだったハリー・ホワイトのもとハル・ノートを提示し、日本側の新規提案は甲案・乙案ともに問題外であり、日本軍の中国からの即時全面徹兵だけでなく、満州国の存在さえも認めないという最強硬な見解を通告してきた。

ハル・ノートを目の前にしたとき、対米協調をあくまで主張してきた東郷でさえ「これは日本への自殺の要求にひとしい」「目がくらむばかりの衝撃にうたれた」といい、東條も「これは最後通牒である」と認めざるを得なかった。

これによって東條内閣は交渉継続を最終的に断念し、対米開戦を決意するに至る。対米開戦決定を上奏した東條は、天皇の意思を実現できなかった申し訳なさから幾度も上奏中に涙声になったといわれ-----------------------後略
※以下、ここまではWikiのコピペです。(申し訳なし)

時代の正面に出て、全身で、当時の徳義に挺身した指導者は、その死後までを辱められねばならないのか、自分にはそうとは考えられない。

楠正行の敵方であった足利幕府2代将軍・足利義詮は遺言に「自分の逝去後、かねてより敬慕していた観林寺(現在の宝筐院)の正行の墓の傍らで眠らせてもらいたい」とあり、遺言どおり正行の墓(五輪石塔)の隣に義詮の墓(宝筐印塔)は建てられた。

という歴史的事実に自分は、日本人に生まれた限りない、よろこびを感じるのである。

戦に負けて、引責自決し、それさえも阻まれて陛下に掛る災厄をすべて引き受けて、潔く処刑された自国の指導者に、過去のすべての責を帰すのは、隣国のお家芸であり、われわれの伝統にはない。

楠正成、正行父子も勝ち目のない事がわかっていても、征くべき秋に、敢然と立ち、虚しく散ったかに見えても、その勇戦健闘は語り伝えられて、敵の主将からさえ欽慕され、歴史を輝かして今に致る。

あのとき、日本が敢然と立ち、3年8カ月に及ぶ、死力を尽くした勇戦健闘に、敵の心胆を奥底から寒からしめていなれば、果たして、今まで続いた、片務的な日米同盟はありえただろうか?

中韓が否定し、消し去りたいものが、一体、日本人の中の何であるのかを、今一度顧みられたい。

    文部省唱歌 冬の夜

1、ともしび近く、きぬ縫う母は
  春の遊びの 楽しさ語る
  いならぶ子供は 指をおりつつ
  日数数えて よろこび勇む
  
  囲炉裏火はとろとろ 外は吹雪

2.いろりのはたに 縄なう父は
  過ぎし日露の いくさを語る
  いならぶ子供は 眠さ忘れて
  耳を傾け、こぶしを握る
 
  囲炉裏火はとろとろ 外は吹雪

(戦後、ソ連の鼻息をうかがったのだろう、歌詞
 が、勝手に書き換えられて
 『過ぎしいくさの手柄を語る』
 とされている。整腸薬の『征露丸』が
 『正露丸』と変えられたのも似たような理由だ
 ろう。全くいらざる配慮というものだ。)
 
返信する
大義の違った戦・・・? (案山子)
2017-01-08 20:41:34
東条英機氏は神様の落とし穴に嵌ったのかもしれない。近代の歴史は封建主義から産業の変革により資本主義が成立し、世界秩序の国家が位置づけられ、領域支配と搾取の概念が生まれる。資本主義は生産手段の成長と利潤が益々膨れ上がっていく。その過程で障碍に当たると、新たな富を探し求め、支配と搾取の関係が生まれ、人権は蔑ろにされ、その度に領域が引き直さる。
日露戦争は、ロシアの南下に勢力を伸長する政策で、日本の存亡の係った戦争であった。すでに朝鮮半島・満州は、ロシアと日本の緩衝地帯で、日本がこの地域を疎かにすれば、ロシアの植民地に編入される可能性は充分あり、日本の存立を脅かされる危惧のある戦争で、日本軍兵士はもとより、国民にも深慮されていた。
旅順陥落もバルチック艦隊撃滅も、日本の存続の条件一つであり、これこそが大義であることは国民に明らかにしなくても、明白であった。二百三高地では、日本兵は、三八歩兵銃の弾がなくなれば、銃剣を抜き、銃剣が折れれば、喉笛に嚙みついて闘った、と記してありました。日本兵は強かった。それに比べロシア軍は、侵略されたポーランド人等が中心で、脆弱で、すぐ逃げ出したと、書かれている。
滂沱の涙・・・ありがとう日本の兵隊さん。
満州事変・大東亜戦争の大義は八紘一宇であり、兵隊さんは、何のために命を散らさなければならないのか、判然としないなか、無理矢理家族のことを思い、恋人のことを思って、零戦で米艦隊に体当たりして行った。
東条英機氏に聞く、満州人をアヘン中毒にして、どうやって安寧な国家を築くというのだろう。復習が待っているだけだろう。あなたは上目使いで特権階級に対しては配慮は忘れず。国民を下衆扱いし、下衆の命を命とも思わない。あなたが思い上がり見栄衒いを一日でも早く捨てれば、最小限度の被害で済んだのだ。
昭和14年幻の弾丸列車を東京から満州国・中国大陸に走らせる構想があったらしいが、東条英機氏はそれに乗ってしまって、軌道変更も退くこともできなくなってしまったのだろうか。エリート街道を只管歩んできた人の共通点かもしれないが、それにしても残念以外ない。私の私見だが、人間は過ちを犯しやすい、でも修正することもできる。気が付いたら躊躇する必要は何もない。
世界有様は、今戦前に舞い戻っているという人がいるが。私は戻るというよりも地球の収容人口が73億人を超え、支えきれず淘汰の時代に突入したのかな、と思っている。今年も色々なことが起こりそうです。安倍総理が安泰・・・?
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