学者に欲しい抑制した表現力
2016年4月17日
「第三次世界大戦」に対する懸念をしばしば聞くようになりました。中東複合危機が深まり、それに欧米、ロシアなどの介入や思惑が絡み、中東情勢の構造が複雑化し、「第三次世界大戦」に近づいているか、そうとでもいえる状況にすでにあるというのです。ここで注意すべきは、誇張された表現はテロリストを喜ばすことになるということです。
「第三次世界大戦」という表現は、ローマ法王のフランシスコが使ったことから有名になりました。イスラム国(IS)によるテロ拡大などを指して、「まとまりを欠く第三次世界大戦の一部」と語りました。「まとまりを欠く」とは、第一次、第二次世界大戦のように、敵と味方の国がはっきりし、戦場も明確だった時代の戦争とは異なるという意味でしょう。
イスラム国は国家ではありません。中東危機は国家と国家の戦争でもなく、非国家勢力や破たん国家の存在が中東の複合危機を増幅しています。サウジ対イラン、ロシア対米国、ロシア対トルコなどの対立が縦横に絡んだ戦争です。「まとまりを欠く」とは、そうした状況を指して、言ったのでしょう。
イスラム国の思うツボ
テロを起こし、恐怖心をまき散らすことを狙っているイスラム国にとって、思うツボです。「テロにひるむな」、「テロに屈するな」が欧米の合言葉だったのに、「第三次世界大戦」という表現は逆効果であるような気がします。
そのことを痛感したのは、代表的な中東・イスラム研究家である山内昌之・明大教授の近著「中東複合危機から第三次世界大戦へ」(PHP新書)を読んだ時です。中東専門家はテロリストたちを喜ばす表現を安易に使うべきではないと、思ったのです。恐らく自分の主張を印象づけるために、多少、誇張があってもいいと考えたのでしょう。
「パリ大虐殺」も敵を喜ばす表現
この著書には他にも誇張があります。パリにおけるイスラム・テロ(15年11月13日)を指して「金曜日の大虐殺」という表現を再三を使いました。「パリで起きたフランス史上に類を見ない大虐殺」などです。中東が絡むテロ、虐殺の規模としては決して大きくはないはずです。パリのテロをことさら「大虐殺」と呼ぶのはどうしたことでしょうか。
西欧におけるテロ攻撃の犠牲者数について、興味深いデータを目にしました。犠牲者数はもっと多かった時期もあるというのです。「70年代以降、猛威を振るった北アイルランドやスペイン・バスクの独立闘争、イタリアや西ドイツで見られた極左のテロ」(日経経済教室、4月4日)などです。
この記事では「テロに過剰反応する時、実行犯の術中のはまる」と、警告しています。さらに「EUの危機の中身は、テロに限っていうと、域外国境管理が不完全なまま、域内の移動の自由(シェンゲン条約)を維持すると、新たなテロがその先に待っていることだ」というのです。テロリストのつけいる隙を与えないように、自己管理のあり方をEUも反省、改善すべきなのです。
「テロの下手人」とは、またきつい
最後に。山内教授は新聞への寄稿(読売新聞、4月10日)で「トルコやエジプトで頻発するテロの下手人は、イスラム国に影響されたアラブ人やトルコ人・・」と、書きました。テロは決して許されない暴虐行為です。どんなに非難しても許されるにせよ、「テロの下手人」との表現は、さすがにどんなものでしょうか。テロリストの暴虐行為の背景を分析する冷静さは、問題解決の必要条件の一つだと思います。
米国国民は厭戦気分で血を流したくない。
核を使えば自殺行為を承知している。
イスラム国は壊滅させられないが、縮小はさせられると思います。
然し原油安、中国の過剰生産設備等不況は続くと思います。笹倉