閣僚以下は給与返納や停職
2017年8月3日
安倍内閣の改造人事が決り、何人かの閣僚は在職中の失態の責任を問われました。内閣改造を待たずに辞任した稲田防衛相について、安倍首相は「任命責任は私にある。厳しい批判は真摯に受け止める」と明言していました。首相はどのような責任の取り方をしたのでしょうか、するのでしょうか。
おやっと感じたのは、陸上自衛隊の日報の隠ぺい問題で辞任した稲田氏は給与の一か月分の自主返納、黒江事務次官、岡部陸上幕僚長らは停職ないし減給という処分を受けました。給与の「自主返納」という妙な表現は、返納の規定がないので、「自主的に国庫へ返納する」ということでしょう。規定がなくても、最高位にある者は、このような責任の取り方をすることが民間企業では多くあります。
首相が「任命責任」を果たすというからには、少なくとも、自分が任命した閣僚を更迭、解任することが必要です。それならば、任命責任を果たすために厳しい措置を取ったということになりましょう。今回の場合は、稲田氏自らが辞意を表明し、辞職したのですから、解任ではありません。稲田氏が辞表を出しても、首相が受けとらないことができます。その上で解任しようと思えば、形としては厳しい措置にあたります。
分かりやすい失態ほど処分は重い
前国会対策委員長の竹下氏は「大臣を辞任し、一番重い責任の取り方をした」と誉めました。もっと重いのは議員辞職です。スキャンダルでバライエティ番組を騒がせた議員が議員辞職や離党に追い込まれるケースが目立ちます。分かりやすいスキャンダルほど重い処分を受け、政治的に重大な問題を起こした人物ほど軽い処分で済むという逆転現象です。
稲田氏は以前から防衛庁・自衛隊の統率能力、国会答弁能力のなさが批判されてきました。都議選の応援演説で、支援候補に対し、「自衛隊として、防衛大臣としてもお願いする」と述べました。それでも、政治信条、思想が似通う稲田氏の擁護を首相は続け、内閣支持率の低下の一因となりました。閣僚の解任となると、波紋が大きくなるので、無難な辞任という道を選んだか、選ばせたのでしょう。
首相が「任命責任は私にある」といえば、野党はそこまで追い込んだと満足し、メディアもそれ以上は追及しないのはどうしたことでしょうか。「首相の人事の責任は重い」(毎日新聞)、「任命責任は極めて重い」(産経新聞)など、主要紙は異口同音でした。「責任は私にある」といえば、よその世界では、なんらかの具体的な責任の取り方が伴います。首相の場合は「口先」を動かすだけ終わりのようですね。
首相はお詫びだけで済むのか
防衛省・自衛隊の次官、幕僚長は具体的なペナイルティを課され、防衛相は自主的措置、そして首相はお詫びだけということです。上に軽く、下に重いのは、順序が逆ですよね。そう思っている人は多いでしょうから、首相も「給与を3か月間、返上する」ことにすれば、支持率回復にも多少の影響が出たと思います。
不祥事や失態に対する閣僚、政治家の説明責任、部下や秘書に対する監督責任など、政界は責任という言葉をやたらと好みます。その実態は責任という言葉を口にすれば、それだけで責任を免れるということなのでしょう。メディアも責任という言葉が飛び出せば、扱いが大きくなるので自己満足に陥ります。
任命責任の意味、責任の取り方をよく考えるこべきです。意味が伴わないならば、安易に任命責任という言葉を使ってはいけません。
稲田防衛相については安倍首相は。任命責任、この言葉もあやふやで、責任を軽々しく繰り返しただけでした。
言葉の羅列だけで実がない、誠実さは全く感じませんでした。
今日の世論調査で人気回復傾向と報道されましたが、これは『印象操作』でしょう。
しかし、大手新聞社の報道もさっぱり鋭さがなく堕落しましたね。
テレビに出る、評論家とかも間違えてることが多いですけど、厳しい事を言う時は書く方も厳しくないといけません。
世の中には言わなくても判る人、
言われなければ判らない人、
言われても判らない人、
とありますが、日本は言われても判らない人々に牛耳られているような気がします。