政策論争なき密室取引の弊害
2017年8月27日
安倍首相の支持率が低下し、後継の首相に誰がなるのかに関心が集まりだしています。安倍氏と岸田氏の急接近が伝えられ、岸田氏が首相を支え続け、禅譲を期待しているという見方が政治記事によく登場します。日本の政治記事は政界裏話が重要な柱になっており、政治記者が禅譲という業界用語をしばしば無批判に使うことは、政治記事の劣化を意味します。
民主政治の成熟のためには、密室の取引、密約が伴う禅譲は好ましくないのです。岸田氏は「安倍首相からの禅譲の可能性を聞かれ、首相が考えることで、全く念頭にない」(毎日新聞、6月28日)と、記者団に語りました。そつのない発言です。問題は記者たちで、「民主政治にとって禅譲をどう考えるか」を質問しなければならないのです。
朝日新聞は今月、「麻生さん抜きの岸田禅譲のスキームが官邸と古賀氏(岸田派の中心人物)らで話し合われた」(自民党関係者)と書きました。いわゆる雑報記事であるにせよ、首相ポストの禅譲を問題視しているようには、みえません。政治記者は後継首相のことで頭が一杯で、禅譲が政権移行の一つのパターンという程度の認識なのでしょうか。
禅譲に問題意識を持たないのは、多くの政治記者に共通する現象のようです。論説主幹、論説委員長なら厳しい視点を持っているのかというと、そうでもないのです。読売新聞(8月19日)に、論説主幹が署名入りで「安倍・岸田密約はあるか」という相当に大きな解説コラムを掲載しました。
政界裏話より大切な政治報道
「岸田氏は首相を支え続け、禅譲を期待する熟柿作戦をとる」、「首相もそれに応えて、首相退陣後は岸田氏を支援する。そんな密約が交わされたのではないか」、「安倍一強が揺らぎ、東京都知事選で自民が大敗した。岸田氏はどのような立場になっても、安倍政権を支えていく」。政界裏話としては面白い。問題はそれで終わっていることです。大きなコラムを書くなら、問題点をきちんと指摘してもらいたいですね。
禅譲で有名なのは、87年10月の中曽根裁定でしょうか。5年続いた政権の座を降りるに際し、実力を競い合っていた竹下、安倍(安倍首相の父)、宮沢の3氏(当時、安竹宮と呼ばれた)のうち、竹下氏を後継に指名したのです。形式的には選挙が行われても、政策論争がなされないまま、後継者が決まったのです。
2000年4月、小渕首相が脳梗塞で倒れ、昏睡状態に陥っている時、青木官房長官、森自民党幹事長、野中氏、亀井氏ら実力者がホテルの密室で協議し、「森氏を後継総理とする」と、一方的に決めてしまいました。小淵氏の病状はかれらだけが知っているという状態でした。森氏には首相としての見識、力量があったかは疑問でした。首相就任直後、「日本は天皇を中心とする神の国である」、「日本の国体をどうやって守るか」など、並はずれた失言を重ね、一年で退陣しました。
民主政治のもとでは、首相候補、総裁候補を公開の場で競わせ、政策理念、基本構想を掲げてもらい、選挙(総裁選)で決めるのが本筋です。もちろん、後継総裁に政策を継承してもらえるように、多数派工作するのは当然です。もっとも前任者に取り入って後継候補として、肩入れしてもらおうという算段は、政界だけが例外ではありますまい。
社長禅譲を続けた民間企業の破たん
ポストの禅譲は民間企業でも多くみられ、政界に限ったことではありません。民間企業における禅譲は結局、指名してくれた前任者への気兼ねがあり、経営路線の軌道修正が進まないため、会社を存亡の危機に追い込むことが多いのです。経営破たん状態の東芝が典型的な例で、禅譲同然で就任した3代の社長が経営危機をもたらしました。
安部政権についていえば、政策論争が極めて重要な状況にあります。特に経済政策では、財政危機の拡大、異次元緩和を軸とするアベノミクスの限界、頻繁にスローガンをかけかえて人気をとろうとする政治手法の弊害、官僚に対する行き過ぎた人事権の行使など、後継首相を選ぶ際に軌道修正すべき案件が山ほどあります。
政治記者、政治記事は「誰が後継か」の報道ばかりに執着するのではなく、「政権の移行に際し、どのような政策論争が必要なのか、どの候補が何を考えているのか」に、焦点を合わせていくべきでしょう。民間における禅譲より、首相ポストの禅譲のほうがはるかに意味は重たいのです。
いい加減、この流れは断ち切らんといかんよ。