中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

「あんかけスパゲッティ」

2013年11月10日 | コンサルティング

 「名古屋ならではのものを食べたいです」

先日、名古屋でランチの際、「食べたいものはありますか?」と聞かれたのでこう答えたところ、連れて行かれたのが名古屋名物「あんかけスパゲッティ」の店です。

あんかけスパゲッティは、焼きそばのようにラードや植物油で炒めた太いスパゲッティに、中華料理の餡のような粘性とコクのある辛味の効いたソースがかかった料理で、名古屋めしの一つに挙げられています。

メニューは野菜をトッピングしたものは「カントリー」、ソーセージ、ベーコン等の肉類トッピングしたものは「ミラネーゼ」または「ミラネーズ」と呼ばれています。

今回、私はミラネーゼに卵の黄金焼きをトッピングしたものをいただいたのですが、こってりとした味でさらにあんがからめてあるので、食べ進むうちにどんどん体が温まり、元気が出てきました。

スパゲッティと焼きそばを足して2で割ったようなあんかけスパゲッティ、病み付きになること間違いなしです。

名古屋にはもともと味噌カツやひつまぶしなど、名古屋ならではのメニューが沢山ありますが、その中でも感心するのは思いがけない食材の組み合わせ。

スパゲテッティ+あんかけ以外にも、トースト+小倉、エビフライ+パンなど初めて聞いた時には不思議な組み合わせだと感じるものを絶妙にミックスさせ、相乗効果を出しています。まさに、名古屋ならではの知恵と勇気?だと思います。

これまで、日本経済が縮小している時でも名古屋だけは元気ということが何度もありましたが、そのパイオニア的な食文化に接し、改めて「名古屋の元気」の理由の一つがわかったような気がしました。

何事もパイオニアになるのには勇気がいります。でも、誰かがパイオニアにならなければ新たな道は開けません。過去の事例や経験値が無い時にパイオニアになることこそ、勇気と知恵のなせる技なのではないかと新幹線を待つホームでみそ味のきしめんを食べながら改めて思いました。

一方、人材育成においてはこれまではどちらかというと決まったメニューをこなしていくというようなイメージをお持ちの方もいらっしゃると思いますが、これからは新しい手法や制度を取り入れる勇気と知恵、パイオニア精神が必要だと思います。

それをどう具体化していくのかが課題ですが、名古屋の元気に負けないよう頑張っていきます。

(人材育成社)


「英語の社内公用語化」を議論しよう

2013年11月09日 | コンサルティング

楽天※やユニクロ、日産など英語を社内の公用語としている企業がいくつかあります。また、大手商社の中には英語が自然に「公用語化」しているところがあるようです。

先日、ある中堅メーカの係長職研修を行った際に、「英語を社内の公用語にすることに賛成の人は?」と聞いてみました。

この会社は東南アジアに生産拠点をいくつか持っており、年を追うごとに輸出比率が増えています。

賛成!と手を挙げたのは全体の2割程度でした。では、「反対の方は?」と聞くとこれもまた2割ほどでした。半分以上の方が腕を組んで「うーん」という態度を示していました。賛成、反対、何人かの方に意見を述べてもらいました。

「海外営業や国際調達部門は必要だけど、主力工場は日本だから公用語にまでする必要はない。」
「いや、生産自体もどんどん東南アジアに移す計画だから、早いうちに英語に慣れておかないと。」
「でも、日本人だけの会議で英語なんておかしい。できるわけない。」
「いつまでもダラダラ会議をやって結論が出ないなら、日本人だけでも英語でやるべきでしょう。」
「総務や経理の仕事は英語では無理ですよね。」
「税務や商法決算以外はIFRS(国際会計基準)でやった方が良いと思う。」
「営業や製造で英語を使うなら、サービス部門である総務部こそ先頭に立って英語を使うべきだ。」

議論は徐々に熱を帯びてきました。

最後に、議論の締めとしてもう一度「英語を社内の公用語にすることに賛成の人は?」と聞いてみました。今度は、ほぼ半数の方が手を挙げました。

さて、私が感心したのは、この会社の中堅社員の人たちがとても実のあるきちんとした議論をしていた点です。

実は、社内の英語に関する議論でよく出てくるのは、次のような発言です。

「TOEICは650点を全社員に課すべきだ。」、「英会話の補助金をもっと増やしてほしい。」、「大事な書類で文法を間違えたら大変なことになる。」といった枝葉の話。

「英語を公用語にしたら我社の良き文化が破壊されてしまう」、「ちゃんとした言葉遣いもできない若い奴らに英語なんて不要だ」といった抽象論、感情論です。

こうした「ゆるい」発言が出てくるうちはまだ余裕があります。とは言え、そのまま放置しておくと「ゆでガエル」状態※になることは確実です。

もちろん英語の公用語化には問題点もたくさんあります。

しかし問題点をあげつらう前に、ここはひとつ現実的かつ具体的な「英語の公用語化」議論を行ってみてはいかがでしょうか。

え?このブログの英語化ですか!? 

それまた別の話ということで・・・

※ 関連記事

http://toyokeizai.net/articles/-/4500 

http://careerconnection.jp/biz/studycom/content_476.html

(人材育成社)

 

 


3割6分の法則 

2013年11月08日 | コンサルティング

「部下がなかなか仕事を覚えない」、「どうすればこちらが期待するとおりに、早く成長してくれるんだろう」

管理職研修で異口同音に発せられる悩みの一つに、「部下が思うように育たない」があります。

一方、若手を対象にした研修では「上司が仕事を教えてくれない」、「何を期待されているのかがわからない」という悩みの声をよく聞きます。

はたしてどちらの言い分が正しいのか?あるいは両方共もっともな言い分なのだろうか?

そんなことを考えていたところ、先日ある雑誌の中で興味深い記事を見つけました。

 

「よく、みんなに『三割六分の法則』 と言っています。教える方が10割教えても習う方は6割しか理解できていない。かつ、教える方も、10割教えたつもりで6割しか教えられていない。教える方も6割、習う方も6割なので、6割×6割で、実は3割6分しかやりとりしていないんだと。その割合を上げるには、双方の努力が必要で、その努力なしでは、なかなか卒業に結びつかない。それをみんなにいかに伝えるかが私の使命でもあります。」

これは航空自衛隊のパイロットの養成課程のうち、初級操縦課程を担当する基地の司令官の言葉です。この課程は操縦者としての「心・技・体・知」の基礎をしっかり教えるのが役割だそうですが、22週間という短期間では教える方も習う方も容易ではないのだそうです。

しかし、「新人教育をできるだけ丁寧に行うことで、一人の脱落者も出さず卒業させ、将来、航空自衛隊の中核として活躍するパイロットになるような人材に育てていきたい」という考えの中で生まれたのが、この「3割6分の法則」だそうす。

航空自衛隊のパイロット養成のように、目的が明確な人材育成であっても、「3割6分」なのです。ということは、冒頭の管理職と若手双方が悩みを感じるのは、やむをえないことなのかもしれません。

私自身、研修終了時に受講者アンケートの結果を見て、伝えたつもりのことがきちんと理解されていない、あるいは誤解されていることがわかって愕然とすることがあります。

研修中であればその場で訂正をすることも可能ですが、終了してしまってからではどうすることもできません。十分に伝え切れなかったりした時はとても申し訳なく、また残念に思います。

だからこそ、人材育成においては「3割6分」の割合を少しでも高めていくことが、大きな大きな課題であるとあらためて思いました。

(人材育成社)


ダメな研修講師その1:押しつけ型

2013年11月07日 | コンサルティング

以前にも書きましたが、研修講師になるための資格試験はありませんし、学歴も経験にもこれといった基準はありません。「自分は講師である」と宣言すれば、誰でもなれます※。

研修業界とは参入障壁の全くない業界なのです。そのためこの業界には「ダメ講師」がたくさんいます。

ここでは、クライアント企業が研修費用として投じたコストを無駄にしないために、こうしたダメな講師を見抜くコツをお教えします。

今回は、ダメ講師のなかでも比較的数の多い「押つけ講師」について解説いたします。

「押つけ講師」は知識・経験が豊富ですが、それに固執した一方通行の研修を行います。

このタイプは大企業の管理職経験者に多く、おおむねプライドが高くいつも自信満々です。一般に、受講者を見下す傾向が見られます。もしもクライアント企業がかつて自分が勤めていた会社より小さいと、その傾向はさらに顕著になります。

「私はこのやり方で100%成功してきた」、「そのやり方は間違っている」、「考えるだけ無駄だ」などの言葉を多く発します。

こうした研修は、学ぶところが無いわけではありませんが、ほとんどは自慢話を聞かされるだけで時間の浪費となります。

「押つけ講師」を採用しないためには必ず事前に面談し、チェックしておかなければなりません。

面談の際に「当社の売上高はいくらかご存知でしょうか?」、「従業員数は?」、「主力商品名は?」などの質問を講師にしてみてください。

「そんなことは研修内容とは関係が無い!」などと逆切れしたら、「押つけ講師」と思って間違いありません。

また、「私は忙しいので、そんなことをいちいち調べている暇はないのです」などと居直ったら、さらに輪をかけてたちの悪い講師です。

なぜなら、例に挙げた質問はほんの5分もあればホームページで確認できることばかりです。それさえも事前に調べようとしないのですから、研修する相手に全く興味がないか見下している証拠です。

くれぐれもご注意を!

※参考:たった3つのステップで!明日から研修講師になる方法


(人材育成社)

 


縁を切る!

2013年11月06日 | コンサルティング

「縁を切る!」・・・ 

先日鎌倉の東慶寺に初めて行きました。近くの出身であるのにもかかわらず、これまで訪れる「縁」がまさになかった寺です。このたび「東慶寺に行きたい」と、一緒に鎌倉を訪れた20年来の友人たちに話すと「私たちと縁を切りたいと暗に言っているのか?」と冗談半分に突っ込まれました。

東慶寺は臨済宗のお寺ですが、またの名を縁切寺、駆込寺とも言います。1285年開創。豊臣秀頼息女天秀尼、明治に至るまでは男子禁制の尼寺で、あまたの女人を救済したとのことです。

私自身、長い間女人が追っ手を逃れて、ようやくたどり着いた隠れ家のような寂しい寺をイメージしていました。

さて、実際に訪れてみると境内は竜胆を始め、小菊、野葡萄が真っ盛りで、深みのあるしっとりとした寺でした。境内の方のお話では、その昔、多い時には300人位の女性をかくまったとのことです。ここを訪れる女性たちは、ようやくの想いでこの寺の敷居をまたいだのだろうなと、しばし昔を思いました。

さて「縁を切る」という意味ですが、離婚や絶縁などマイナスのことだけを意味するものではないとのことです。病気と縁を切る、習慣を断ち切るなど、縁を切る対象は、個々にあるとのことでした。

そのお話を伺って、なるほどそういうことかと納得しました。そうであれば、私が縁を切りたいと考える対象は何だろうかと考えました。そこで思いついたのが、睡眠不足、慌ただしい生活、食べ過ぎ?によって身についた贅肉?などなど自分が改めたいと思っている習慣の数々でした。

習慣を改めるためにはどうすれば良いのか、人材育成においてもマイナスの習慣を絶ち、プラスの習慣を身に付けることの難しさについて、時々話題になります。絶ちたい習慣は断ち難く、獲得したい習慣は、一筋縄では身に着かない。

そんなことを考えていた矢先にふと以下の諺が思い浮かびました。

「縁に連るれば唐の物を食う」

縁があれば、遠い所の物でも食べることができる。何かの因縁で思いがけないものと関係ができるという意味ですが、贅肉とおさらばしたいと考えた次の瞬間に食べ物との縁を望むなんて・・・どこまでも食い意地が張っている自分にやれやれと思いました。

(人材育成社)


スティーブ・ジョブズからの教訓「生かさず、活かせ」

2013年11月05日 | コンサルティング

今から20年ほど前のことです。私は某メーカに勤務していました。仕事はNeXTというunixワークステーションの国内販売促進でした。

ある日の夕方、NeXT社のCEOが会社にやって来ました。私も会議室に呼び出されて行くと、CEOのスティーブ・ジョブズ氏がテーブルの端に陣取っていました。そして、私に向ってこう言いました。

「この会社は、日本で最も大きな潜在顧客を見逃している」

・・・はあ?日本市場のことを詳しく調べたのかな?と思ったのですが、ジョブズ氏はこう言いました。

「それは、この会社だよ」

確かに社内でNeXTを使っているところは多くはありませんでした。数日後、私に社内普及プロジェクトのお鉢が回ってきました。

それから数か月間の語るも涙の苦労話はさておき、ずっと後になってからですがとても大きな気づきを得ることができました。

それは自社製品の未来に対する態度です。

日本の会社は、ハードでもソフトでも自社製品を使うことに対しては非常に積極的です。自分たちが作った製品を自ら使い、問題点をフィードバックしてより良い製品作りに生かすこともよく行います。もちろん、それはアメリカの会社でも同じです。

ただし、その先が違います。

ジョブズ氏はNeXTが利益を上げ始めてさてこれからというときに、NeXTをAppleに売却し、自らもAppleの(暫定)CEOとしてカムバックしました。それから後の展開を見ればわかりますが、NeXTの技術的資産をMacに移植し、後のiPhone、iPadに活かします。

この、製品の「活かし方」こそアメリカの会社らしい感じがします。

日本の会社は、どうしても愛着のある自社製品を「生かそう」とします。・・・活かすのではなく。

良い製品が完成してベストセラーになると、どんどん新しい機能をその製品に加えていきます。やがて他社に追いつかれて陳腐化が始まっても、最初の製品に固執しがちです。売れなくなってくると、次のような声が社内から聞こえてきます。

「会社の利益を稼いできたのはこの製品だ」、「なんだ、まだまだ売れているじゃないか」、「新製品に使う金があったら、もっと販促に回してくれ」・・・

本当は、良いところだけを取り出して新しい製品に「活かす」べきところを、最初の形態を「生かそう」としてしまうわけです。

それが自社製品に対する愛情の形なのでしょう。

しかし、多くの場合「生かそう」とした製品は他社製品によって滅ぼされてしまいます。

自分の作ったものは愛おしいけれど、それを否定してでも次の製品に活かすことが必要です。それが本当の、自社製品を愛する態度ではないでしょうか。

P.F.ドラッカーは「Managing for the Future」で次のように述べています。

Being the one who makes your product, process, or service obsolete is the only way to prevent your competitor from doing so.

「他者による陳腐化を防ぐ唯一の方法は自ら陳腐化させることである。」

(人材育成社)

 


「マー君」がいい顔になったと思う

2013年11月04日 | コンサルティング

「日本一になったぞー!」

日本シリーズで初優勝を決めた東北楽天ゴールデンイーグルスの田中将大投手の言葉です。

ご存知のとおり、今年のレギュラーシーズンに24勝0敗でチームを引っ張った田中投手ですが、昨日優勝を決めた後のビッグスマイルは実に頼もしいと感じました。

最近の田中投手を見て思うのは、実に「いい顔になった」ということ。それは「美形」ということではなく「闘う男の顔付きになった」という意味です。ここ数年で急激に成長した証なのだろうと感じるのは私だけではないと思います。

私は野球のことは詳しくはないのでよくわかりませんが、最近の田中投手の顔付きを見ていると、選手として、また一人の人間としても一皮も二皮も剥けたように思えるのです。

論語では、孔子は「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。・・・」と言っています。田中投手はこの11月1日に誕生日を迎えたばかりの25歳の青年ですが、既に三十の域に、あるいはそれ以上にさえ達していると感じさせる風格が漂っているように思えます。

何が彼をそうさせたのか?                                  東日本大震災で被災された人々への想い。創立9年目のチームへの想い。自分のこれまでの、そして今後のキャリアへの想い等々いろいろあるのだと思います。

夏の甲子園の再試合で戦ったあの日から、はや6年。今後の田中投手がますます「いい顔」になっていくことが楽しみですが、同時に思うのは、「顔」はその人の生き様の結果であるということ。当たり前のことですが、人はどう生きるのか、周囲の環境に対してどう向き合うのかその都度選択をしています。その積み重ねによって年齢によらず人の顔は作られていくのだと、田中投手の顔を見て本当に思いました。

そして私は人材育成を提供している者として、先ずは自分の顔に責任を持たねばならないと意を新たにしました。

マー君、東北楽天ゴールデンイーグルス、そして東北の皆さん。日本一おめでとうございました!

(写真はWikipediaより)

(人材育成社)


ちょっとゆるい分布の話(4)

2013年11月03日 | コンサルティング

分布の話がなぜ偏差値の解説になったのか、疑問に思われた方も多いことでしょう。

実は、偏差値が意味を持つためには母集団(対象となるデータの集まり)が正規分布していることが前提となります。一般に、試験の成績(点数)は同じ学年であれば、身長や体重の値と同じように正規分布します。

ある県に、来年高校受験する予定の中学生が5万人いて、そのうち1,000人が模擬テスト(模試)を受けたとします。

模試の結果から知りたいのは「この成績で○○高校に受かるかどうか」ということです。しかし、5万人の受験生のうちのわずか1,000人分のデータで何が分かるというのでしょう。

結論から言えば、「この成績で○○高校に受かるかどうか」はかなり正確にわかります。

全受験生5万人の成績は正規分布していると考えられます。模試を受けた1,000人はその中からランダムに選ばれたものとすれば、偏差値を計算することで「この成績なら○○高校に受かる可能性は80%」と判断することができます(正規分布の性質については参考サイトを参照してください)。

 

試験の成績に限らず、世の中のあらゆる現象は正規分布に従ってばらついてると考えられます。ですから、少ないデータ(サンプル)で全体(母集団)を推測することができるわけです。

ただし、正規分布以外にも分布の形は多数あります。正規分布によく似ている「t分布」や、似て非なる「べき分布」のほか、二項分布、指数分布、ポアソン分布、β分布・・・数えればきりがありません。

様々な現象には、それぞれに適した形の分布があるということです。したがって、何でもかんでも正規分布を前提にすれば良いというわけではありません。

とは言え、その中でも正規分布はやはり「ダントツに見かける」形であると言えます。

仕事の中で、バラツキがあるデータを扱うときに、この裾野が広がっている山のような形を思い出してみてください。

参考:

http://www1.meijigakuin.ac.jp/~iwamura/class/2007/e_statistics_a/ele_stat1_note_chap5.pdf

(人材育成社)

 


ちょっとゆるい分布の話(3)

2013年11月02日 | コンサルティング

では昨日の続きです。

クラスの偏差の一覧表を見ると、小林くんは数学が平均点より30点上、佐藤さんは英語が平均点より20点上です。ちょっと見、小林くんの90点の方が、格が上な感じがします。

でも、本当に「稀な」度合いが高いのはどちらでしょう。

それを知るために、それぞれの科目のバラツキを偏差の合計値で表現してみます。ところが現在のままでは偏差を合計してもゼロなので、バラツキをあらわす数字としては使えません。

そこで偏差のマイナスを取り払って、数字の大きさでだけで勝負します。

「マイナスを取る」と聞いて絶対値を思い出された方もいらっしゃるでしょう。しかし、絶対値は数字の1と紛らわしい上に、扱いが面倒なので使いません。その代り、偏差を2乗します。数字が大きくなりますが、マイナスは無くなります。

次に、偏差の2乗を全部足します。これを偏差平方和と言います。

英語は920、数学が2,882ですね。

 

さらにそれを、クラスの人数(10人)で割ります。つまり「偏差平方の平均」を出すわけです。

英語92、数学288.2ですね。

この値を「分散」と言います。

分散が大きいほど、バラツキが大きいということです。

次に、その「分散」をルート( √ )にして2乗を元に戻します。

「だったら最初から2乗しなきゃいいのに」という声も聞こえてきそうですが、マイナスを取り払うために少し遠回りしたと思ってください。

この(√分散)を「標準偏差」と言います。

英語は√92=9.6、数学は√288.2=17.0です。

では、英語の標準偏差9.6に対して佐藤さんの偏差20点と、数学の標準偏差17に対して小林くんの偏差30点、を同じ土俵に乗せて比べるにはどうしたらよいでしょうか。

答えは、「標準偏差で割る」です。すると、数値の大きさは無関係になります。

佐藤さんの英語は20÷9.6=2.083、

小林くんの数学は30÷17=1.765

となります。

佐藤さんの数字の方が少しだけ大きいです。

これは、佐藤さんの90点の方が小林くんの90点よりも、「稀な値」だということを意味しています。

さて、2.083とか1.765とか細か過ぎてピンとこないですね。 

そこで、両方とも10倍して50を足しちゃいましょう。

佐藤さんの英語 2.083×10+50=70.8 ・・・約71

小林くんの数学  1.765×10+50=67.6 ・・・約68

実はこれが偏差値です。

同様に全員の科目ごとの偏差値を計算したものが以下の表です。

 

なぜ10倍して50を足すなんてことをするんだ?と疑問を持たれると思います。

その理由は、見る人が理解しやすいようにするためです。テストの満点は100点が多いですし、50点というとちょうど真ん中のイメージだからです。つまり、偏差値とは、(10倍して50を足すという)操作を加えた「わざとらしい値」なのです。

じゃあ、10倍して50を足す、じゃなくて、たとえば15倍して100を足しても良いのかと言えば・・・そうです。

 (点数-平均)÷標準偏差×15+100

これは、知能指数(ウェクスラー式知能検査による偏差IQ)を計算する式です。

さて、偏差値の出し方が分かったところで、次回は正規分布の話に戻って最終回(?)となります。

(人材育成社)


ちょっとゆるい分布の話(2)

2013年11月01日 | コンサルティング

昨日の続きです。正規分布が役に立つ場面に「偏差値」があります。そう、あの試験の「偏差値」です。

偏差値は、私たちが中学生だった頃からいつの間にか馴染んでしまった言葉です。高校受験のとき、A高校は偏差値が60でちょっと難しい。偏差値55くらいのB高校を本命にして、滑り止めに50かそれ以下の高校も受けておこうか・・・なんて悩んだ人も多いことでしょう(数値はあくまでも参考です)。

「偏差値って、要は成績の順番を表す数字でしょ?」と言われるかもしれません。まあ、実際そうなんですが・・・。では、例を挙げて実際に偏差値を計算してみましょう。電卓のご用意を。

あるクラス(10人)が英語と数学のテストを受けました。その結果が以下の表です。

 

合計点では小林君が1位、佐藤さんが2位です。二人とも得意科目で90点を取っています。では、どちらの90点の方がより「価値」があるでしょうか?

それを判断するために、平均点(数学は60点、英語は70点)からどれだけ上回っているかを計算します。つまり、点数-平均点を出せばよいわけです。

小林君の得意な数学は90-60=30点の差、佐藤さんの得意な英語は90-70=20点の差を勝ちとっています。 

この、点数-平均点を偏差と言います。全員分の偏差を出したものが以下の表です。偏差は、平均点との差ですから、平均点より少なければマイナスになります。したがって、全部を合計すればゼロになります。

ここで偏差値の「偏差」が明らかになったわけです。

次は、クラス全体の英語と数学、それぞれの点数のバラツキ(散らばり具合)を数字で示します。

なぜ、そんなことをするのでしょう。

皆の点数が平均点近くに集まっているとき、ある人の偏差がかなり大きければ(それだけ皆の点数から離れていますから)「価値がある」と言えます。

一方、平均点から離れている人がちらほらいたとすれば、そこまで価値があるとは言えないでしょう。

ちょっと長くなりましたので、ここから先はまた明日ということで・・・。

(人材育成社)