「縁を切る!」・・・
先日鎌倉の東慶寺に初めて行きました。近くの出身であるのにもかかわらず、これまで訪れる「縁」がまさになかった寺です。このたび「東慶寺に行きたい」と、一緒に鎌倉を訪れた20年来の友人たちに話すと「私たちと縁を切りたいと暗に言っているのか?」と冗談半分に突っ込まれました。
東慶寺は臨済宗のお寺ですが、またの名を縁切寺、駆込寺とも言います。1285年開創。豊臣秀頼息女天秀尼、明治に至るまでは男子禁制の尼寺で、あまたの女人を救済したとのことです。
私自身、長い間女人が追っ手を逃れて、ようやくたどり着いた隠れ家のような寂しい寺をイメージしていました。
さて、実際に訪れてみると境内は竜胆を始め、小菊、野葡萄が真っ盛りで、深みのあるしっとりとした寺でした。境内の方のお話では、その昔、多い時には300人位の女性をかくまったとのことです。ここを訪れる女性たちは、ようやくの想いでこの寺の敷居をまたいだのだろうなと、しばし昔を思いました。
さて「縁を切る」という意味ですが、離婚や絶縁などマイナスのことだけを意味するものではないとのことです。病気と縁を切る、習慣を断ち切るなど、縁を切る対象は、個々にあるとのことでした。
そのお話を伺って、なるほどそういうことかと納得しました。そうであれば、私が縁を切りたいと考える対象は何だろうかと考えました。そこで思いついたのが、睡眠不足、慌ただしい生活、食べ過ぎ?によって身についた贅肉?などなど自分が改めたいと思っている習慣の数々でした。
習慣を改めるためにはどうすれば良いのか、人材育成においてもマイナスの習慣を絶ち、プラスの習慣を身に付けることの難しさについて、時々話題になります。絶ちたい習慣は断ち難く、獲得したい習慣は、一筋縄では身に着かない。
そんなことを考えていた矢先にふと以下の諺が思い浮かびました。
「縁に連るれば唐の物を食う」
縁があれば、遠い所の物でも食べることができる。何かの因縁で思いがけないものと関係ができるという意味ですが、贅肉とおさらばしたいと考えた次の瞬間に食べ物との縁を望むなんて・・・どこまでも食い意地が張っている自分にやれやれと思いました。
(人材育成社)