毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
双子(5)
このブログを始めて、私の弟の双子の子供たちについて書くのがこれで5回目になる。読み返してみると、ほぼ1ヶ月に1度の割合で我が家にやってきている。今回は11日(日)に私の叔父の1周忌の法要が営まれ、それに参列した弟を母親と一緒に車で迎えにやってきたのである。私は1日中塾で、あいにく参列できなかったため妻が代理で出席した。早いもので、もう1年が経ったのかと思う。私の大好きな叔父だったのに、参列できなかったのは残念であり、叔父に申し訳ないとも思っている。仏壇に線香の1本でも立てに行かなければならないと思ってはいるが、忙しさにかまけてなかなか行けそうにもない。
私が5時で塾を終え帰宅すると、父・妻・弟が車座になって酒を飲んでいた。全員がかなり酔っている様子はすぐに見て取れたため、私も乗り遅れてはいけないと、早速ビールの缶を開けた。毎日毎日飲み続けていても、ビールという物はなんでこんなにおいしいんだろう。特に最初に開けた一本をグッと一気に飲み干すのは、私にとってまさに至福の時である。「ふーッ」と、1缶飲み終えた時にまさにグッドタイミングで、双子達が到着した。父も妻も、勿論私も会いたくてたまらない者達の登場に頬は緩みっぱなしだ。皆で一斉に「さあっ」と手を差し出すが、双子達がそんな誘いを受けるはずもなく、恒例の大合唱が始まる。もう慣れっこだからなんともないが、やはり姪の方がなかなか泣き止まない。甥は適当に切り上げ、ごそごそし始める。妻が彼の手の届く範囲の物を避難させ、「どうぞご自由に」と言うと、意味が分かったのか、奇声を発しながら歩き回る。体が小さいだけに小回りがきいて、広くもない部屋を存分に動き回る。その様子をじっと見つめていた姪も、それにつられてゆっくりとご機嫌を直して、二人そろって遊び始めるのに30分ほどかかった。これでも大分短くなった方だ。
妻は11月の時には、大阪に藤原竜也を観に行っていたため、2ヶ月ぶりの対面になり、盛んに「顔が変わった」と言っていた。確かに私の目から見ても、甥の方は来るたびに顔がしっかりしてきている。最初の頃はまるで猿のような顔をしていたのが、やっと人間の子供らしくなってきた。それなりに可愛い顔をしていると思うのは伯父バカなのかもしれないが、姪の方は大きくなったら美人になるぞ、とバカを2乗したくらいのバカさ加減で密かに思っている。夕食にピザのデリバリーを頼んで皆で食べたのだが、双子達の食欲の旺盛なことには驚いた。おししいのか、口元に持っていったものは全て平らげ、もっとくれと要求する。元気に育っている証拠だと、見ていて嬉しくなってくる。しかし、私たちはたまに会ってこうやって喜んでいればいいだけだが、弟夫婦は毎日これを繰り返しているわけだから大変だ。二人とも自分が食べるのをそっちのけにして、子供たちの世話ばかり焼いている。と言っても、本当に嬉しそうな顔をしているから、子供たちが可愛くて仕方ないのだろう。このままいい家族になってくれればいいがと、彼らを見ていて心から思った。
銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに
まされる宝 子に及(し)かめやも 山上憶良
本当に幼な子は可愛い。幼な子でなくとも子供は皆いとおしい。子供を犠牲にする事件が立て続けに起こって、やり場のない悲しみで覆われていた私の心に、双子を見ているうちに、久しぶりに光が差し込んできた。と同時に、彼らが一人で出かけても安心して遊んでいられるような社会を取り戻すことが私たち大人の責務であることも痛感した。子供たちの歓声が狭い部屋の中だけに限られてしまうようなことにだけはしてはいけない。社会が皆で子供たちを育てるという意識を、私たち一人一人が持たなければならない。
後部座席にセットされたチャイルドシートに座らされて帰っていく甥と姪を見送りながら、もうこんな悲しみを繰り返さないようにするために、私にいったい何ができるだろうかと考えていた・・
私が5時で塾を終え帰宅すると、父・妻・弟が車座になって酒を飲んでいた。全員がかなり酔っている様子はすぐに見て取れたため、私も乗り遅れてはいけないと、早速ビールの缶を開けた。毎日毎日飲み続けていても、ビールという物はなんでこんなにおいしいんだろう。特に最初に開けた一本をグッと一気に飲み干すのは、私にとってまさに至福の時である。「ふーッ」と、1缶飲み終えた時にまさにグッドタイミングで、双子達が到着した。父も妻も、勿論私も会いたくてたまらない者達の登場に頬は緩みっぱなしだ。皆で一斉に「さあっ」と手を差し出すが、双子達がそんな誘いを受けるはずもなく、恒例の大合唱が始まる。もう慣れっこだからなんともないが、やはり姪の方がなかなか泣き止まない。甥は適当に切り上げ、ごそごそし始める。妻が彼の手の届く範囲の物を避難させ、「どうぞご自由に」と言うと、意味が分かったのか、奇声を発しながら歩き回る。体が小さいだけに小回りがきいて、広くもない部屋を存分に動き回る。その様子をじっと見つめていた姪も、それにつられてゆっくりとご機嫌を直して、二人そろって遊び始めるのに30分ほどかかった。これでも大分短くなった方だ。
妻は11月の時には、大阪に藤原竜也を観に行っていたため、2ヶ月ぶりの対面になり、盛んに「顔が変わった」と言っていた。確かに私の目から見ても、甥の方は来るたびに顔がしっかりしてきている。最初の頃はまるで猿のような顔をしていたのが、やっと人間の子供らしくなってきた。それなりに可愛い顔をしていると思うのは伯父バカなのかもしれないが、姪の方は大きくなったら美人になるぞ、とバカを2乗したくらいのバカさ加減で密かに思っている。夕食にピザのデリバリーを頼んで皆で食べたのだが、双子達の食欲の旺盛なことには驚いた。おししいのか、口元に持っていったものは全て平らげ、もっとくれと要求する。元気に育っている証拠だと、見ていて嬉しくなってくる。しかし、私たちはたまに会ってこうやって喜んでいればいいだけだが、弟夫婦は毎日これを繰り返しているわけだから大変だ。二人とも自分が食べるのをそっちのけにして、子供たちの世話ばかり焼いている。と言っても、本当に嬉しそうな顔をしているから、子供たちが可愛くて仕方ないのだろう。このままいい家族になってくれればいいがと、彼らを見ていて心から思った。
銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに
まされる宝 子に及(し)かめやも 山上憶良
本当に幼な子は可愛い。幼な子でなくとも子供は皆いとおしい。子供を犠牲にする事件が立て続けに起こって、やり場のない悲しみで覆われていた私の心に、双子を見ているうちに、久しぶりに光が差し込んできた。と同時に、彼らが一人で出かけても安心して遊んでいられるような社会を取り戻すことが私たち大人の責務であることも痛感した。子供たちの歓声が狭い部屋の中だけに限られてしまうようなことにだけはしてはいけない。社会が皆で子供たちを育てるという意識を、私たち一人一人が持たなければならない。
後部座席にセットされたチャイルドシートに座らされて帰っていく甥と姪を見送りながら、もうこんな悲しみを繰り返さないようにするために、私にいったい何ができるだろうかと考えていた・・
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