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呪文

 どうにも心が晴れない。今日の天気のように黒い雲が心を覆っていてなんだかやりきれない。こんなときふと口をついて出るのが、
  
  Anywhere out of the world.(この世の外ならどこにでも)

ボードレールの詩の題名であるが、私は中原中也の詩で知った。ずいぶん昔に読んだきりなので、どこにあったか判然とせず、色々探して、未刊詩篇の中にやっと見つけた。しかし、なんともヤケクソ気味の詩で、昔読んだのが本当にこれだったのかと納得がいかない。
  
  頭を、ボーズにしてやらう
  囚人刈りにしてやらう

  ハモニカ吹かう
  植民地向きの、気軽さになってやらう
  
  荷物を忘れて、
  引き越しをしてやらう

  Anywhere out of the world
  池の中に跳び込んでやらう

とまあ、無茶苦茶だ。一方、ボードレールの方は、何処へ放浪しようかと魂と話し合っていてもなかなか返事をしてくれない。リスボンに行こうか、ロッテルダムに行こうか、熱帯のバタビアはどうだと言っても魂は答えない。じゃあ、死の国のような北へ行ってみようかと言うと、とうとう魂が爆発して

 N'importe où! n'importe où! pourvu que ce soit hors de ce monde!
(この世の外であるのなら、どこにでも構わない)

と叫ぶ。「パリの憂鬱」に収められたこの詩が、文字通りボードレールの憂鬱を表わしたものかは分からないが、中原中也のヤケクソとはずいぶん違うような気がする。ボードレールと中原中也を比べるのはどだい無理があるが、どちらも多少の差こそあれ、詩人の心のやるせなさを歌ったものと解釈してはいけないだろうか。
 私の今のやり切れなさを詩人の言葉を借りて表そうなどと倣岸な思いは持っていないが、最近何度も口をついて出てきてしまう。10年ほど前に、塾をやっているのがイヤになったことがあった。集まってくる生徒が何のためにやって来るのか分からないような者ばかりで、ずいぶんイヤになった。自分のやっていることが無意味に思えて仕方なく、毎日が面白くなかった。ともすれば自分の気持ちに流されそうになった私が踏みとどまれたのは、「だったらお前は他に何かやりたいことがあるのか?」と自問したことだった。ずいぶん考えた、自分のやりたいことが他に何かあるのか。結局出た答えは、「何にもない」だった。なら、今の塾をもっと高めるよう頑張るしかないじゃないか、という結論を引き出して、少々強引な手段もとって、自分の望むとおりの塾を作り上げようと決意した。それ以来、仕事に関してぶれることはなくなった。
 しかし生来惰弱な男である私は、ちょっとしたことで簡単にへこんでしまう。妻に言わせれば、「あなたは世の中に出て辛い目に会ったことがないから、自分のやりたいことしかやろうとしないから、ちょっと上手く行かないとすぐに弱音を吐く」のだそうだ。それでも、ここ何年かは大分タフになったと思っていた。以前よりも粘り強くなったし、面倒くさがらずに人に対するようにもなれたと密かに自負していた。ところが、ここ数日の気持ちが晴れないのを考えれば、まだまだ修行が足りないようだ。思わず、「面倒くさい!」と叫びそうになっているようでは、何をかいわんやである。
 
 そうか、分かったぞ、Anywhere out of the world. などと私のような中途半端な男が、したり顔で呟いているからいけないんだ。私なぞ、この世の中で死ぬまでうろうろし続けるしか能のない男だ。それなのに、そんなまやかしで困難から逃げようとしている。なるほど!ここで断ち切らなければいけないんだ!
 よし、二度とこんな呪文は唱えないぞ!
 なんだか、元気が出てきた。
 本当に。
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