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 雪は嫌いだ。嫌いというよりも怖いと言ったほうがいいかもしれない。天気予報で雪が降るなどと聞くと軽いパニックになる。それほど、雪が嫌いだ。何故そんなに雪を忌み嫌うのかといえば、雪が降っても塾は開く。開けば生徒が来る。来るなら車で送迎をしなければならない。雪道に車を走らせるのは嫌だ、怖い。だから雪が嫌いだ。
 冬になればバスは全車タイヤをスタッドレスに換える。スタッドレスに換えさえすれば平気だと私は思っていたのが、3年前に雪が降って凍結した道を走っていたら、曲がり角でタイヤが空回りしてどうしても動けなくなってしまって、電話して助けを求めたことがあった。乗っていた生徒を徒歩で送っていた後で、助けに来た妻と父の力を借りてチェーンを巻いて何とかその場を脱出したのだが、それ以来どうにも雪が降ると悪夢が甦ってきて、心が落ち着かなくなる。寒いのが嫌いなので、スキーとかスケートとかに行ったことがないため、雪道に慣れていないせいもあるのだろうが、とにかく雪道がイヤでしようがない。
 「スタッドレスに換えればスキー場までチェーンなんか巻かなくてもいけますよ」と言う生徒もいるが、とても信じられない。私の運転技術が未熟なのかもしれないが、バスという大きな車ではバランスが上手く取れず、力が伝わりにくいため雪道にはふさわしくないと勝手に解釈している。事実、去年も他の車が平気で上っていける坂を私の運転するバスはタイヤがスリップして、ニッチモサッチモいかなくなってしまった。家が近い生徒はそこで降ろして歩いて帰らせたが、雪ならまだしも凍結してしまってはどうにもならない。スタッドレスタイヤを万能のタイヤと過信してはいけないことは、ここ数年の何度かの立ち往生で身にしみている。
 昨日の日曜は3時前からかなりの勢いで雪が降り始めた。普段なら、夜の送迎のことを思って暗澹たる気持ちになるのだが、昨日は3時までで、しかも送迎しないことになっている授業であるため、いつもとはまったく違って余裕を持って降りしきる雪を眺めることができた。ここ数年は、雪が私の天敵のようなものであったため、こんなにおおらかな気持ちで雪を見ることはなかったが、すっぽりと四囲を覆い尽くす雪を虚心で眺めれば、やはり美しい。私でさえ雪に心がこれだけ動くのだから、詩人の魂を揺さぶらないわけがない。

    雪の賦  中原中也
雪が降るとこのわたくしには、人生が、
かなしくもうつくしいものに――
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。

その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、
大高源吾(おほたかげんご)の頃にも降つた……

幾多(あまた)々々の孤児の手は、
そのためにかじかんで、
都会の夕べはそのために十分悲しくあつたのだ。

ロシアの田舎の別荘の、
矢来の彼方(かなた)に見る雪は、
うんざりする程(ほど)永遠で、

雪の降る日は高貴の夫人も、
ちつとは愚痴でもあらうと思はれ……

雪が降るとこのわたくしには、人生が
かなしくもうつくしいものに――
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。

 何でだろう、最近中原中也の詩が妙に心に浮かぶ。ボヘミアンを気取った写真の面影とともに、彼の詩が口をつく。30で死んだ詩人を47にもなった男が恋しがるのも何か変だが・・・
 
 妻が娘の部屋の大掃除を終えて、京都から帰って来た。京都はさほど雪は降っていなかったそうだ。息子は名古屋から戻ってきて、かなり積もっていたと言っていた。私の家の周りでは積雪が10cmは超えている。明日のことが心配にはなるが、今夜のところは白い世界に心を弾ませていよう。


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