毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
残雪
先週1週間はずっと雪にたたられっぱなしだった。日曜の昼過ぎに降り始めた雪は月曜の朝まで続き、名古屋では59年ぶりの大雪となった。私の家の周りでも、20cm以上積雪した。昼にかけて日が射したので溶けた雪も多かったが、夕暮れからの冷え込みが厳しく路面が凍結して塾バスを運転していても何回か滑ったほどだった。本当に怖かった。火曜・水曜と日差しも弱く、気温も上がらなかったための残った雪はなかなか溶けなかった。すると、木曜の夕方になってあろうことかまた雪が降り始め、金曜の昼近くまで降り続き、15cm以上は積もった。が、この時の雪は水分が多かったからなのか、気温がそれ程低くなかったからなのか、昼頃から射した薄日であらかた溶けてしまった。しかし、金曜日は冬休みが始まった日で、午前中から授業が予定されていたため、午前中は前夜から巻いてあったチェーンを付けてバスを走らせた。至るところ雪だらけだったが、なんとか無事に走行できたのは何より幸いだった。下手に凍るくらいなら雪が降り続いていたほうが、まだ運転し易い。ここ1週間の雪道走行で、身も心もくたくたになってしまった。やっぱり、雪は大嫌いだ。
それでも昨日、日曜日は久しぶりに冬型の気圧配置が緩み、朝からぽかぽかと日差しで暖まることができた。雪も大体は溶けたが、日陰となるところにはまだ残っている。上の写真は塾舎から見下ろした空き地であるが、日陰だけにはきれいに雪が残っていて、なかなか面白く思わず携帯のシャッターをおろしたものだ。雪が降るたび思うことだが、太陽の力は偉大だ。雪など太陽のいない所でこそこそする悪戯っ子のようなもので、太陽が差し込めば必ず溶けてしまう。あれだけ一面を覆い尽くしていた雪も日差しとともに徐々に消えて行く。当たり前のことながら、日が当たるところは溶け、当たらないところはなかなか溶けない。太陽は正直だ。はっきりしていて、なんの誤魔化しもない。陽光は直射し、遮る物があれば迂回などせずそこを照らすだけだ。しかし、ほんの小さな隙間さえあれば、必ず通過し明るく照らし出す。
「光あるうちに光の中をすすめ!」
トルストイの作品の題名にある。ずいぶん昔に読んだきりで何も覚えていない。トルストイとドストエフスキーはほとんど読んだはずだが、トルストイの作品についてはあまり覚えていない。この2大文豪の違いは、常々、ドイツ車のベンツとBMWの違いだと私は思っている。勿論、トルストイがベンツで、ドストエフスキーがBMWなのだが、どうだろう。王道を歩むのがトルストイ=ベンツ、ちょっとインテリジェンスをちらつかせるのがドストエフスキー=BMWという図式は私の勝手な思い込みだが、自分では気に入っている。これを鴎外と漱石に当てはめれば、やはり鴎外=ベンツ、漱石=BMWになるのかなと思うが、世迷言もいい加減にしなければならない。
太陽は言うまでもなく、私たちの命を育む根源である。私は娘の名前を付けるときに、太陽を感じさせる名を付けたかった。それも、ギラギラした夏の太陽ではなく、春の日の長閑な陽光を連想させる名前を付けたいと思った。それにはやはり、「日」という文字がふさわしいと思い、これを使った名前をあれこれ考えた末に命名した。可愛らしい名前を付けられたと思うが、今にして思えば呑気さ加減が本人にぴったりの名前になってしまった。本人はどう思っているかは知らないが、名は体を表すという言葉そのものの人間になっている。
えっ、今日はもう26日。なんで娘は帰ってこないのだ。大学なんてとっくに終ったはずだろう。何をしなければならないというのか。早く帰って来いよ。我が家で一番の太陽は今のところ娘なのだから、一日も早く帰ってきて欲しいと思う。まったく、何をやってるんだか・・
それでも昨日、日曜日は久しぶりに冬型の気圧配置が緩み、朝からぽかぽかと日差しで暖まることができた。雪も大体は溶けたが、日陰となるところにはまだ残っている。上の写真は塾舎から見下ろした空き地であるが、日陰だけにはきれいに雪が残っていて、なかなか面白く思わず携帯のシャッターをおろしたものだ。雪が降るたび思うことだが、太陽の力は偉大だ。雪など太陽のいない所でこそこそする悪戯っ子のようなもので、太陽が差し込めば必ず溶けてしまう。あれだけ一面を覆い尽くしていた雪も日差しとともに徐々に消えて行く。当たり前のことながら、日が当たるところは溶け、当たらないところはなかなか溶けない。太陽は正直だ。はっきりしていて、なんの誤魔化しもない。陽光は直射し、遮る物があれば迂回などせずそこを照らすだけだ。しかし、ほんの小さな隙間さえあれば、必ず通過し明るく照らし出す。
「光あるうちに光の中をすすめ!」
トルストイの作品の題名にある。ずいぶん昔に読んだきりで何も覚えていない。トルストイとドストエフスキーはほとんど読んだはずだが、トルストイの作品についてはあまり覚えていない。この2大文豪の違いは、常々、ドイツ車のベンツとBMWの違いだと私は思っている。勿論、トルストイがベンツで、ドストエフスキーがBMWなのだが、どうだろう。王道を歩むのがトルストイ=ベンツ、ちょっとインテリジェンスをちらつかせるのがドストエフスキー=BMWという図式は私の勝手な思い込みだが、自分では気に入っている。これを鴎外と漱石に当てはめれば、やはり鴎外=ベンツ、漱石=BMWになるのかなと思うが、世迷言もいい加減にしなければならない。
太陽は言うまでもなく、私たちの命を育む根源である。私は娘の名前を付けるときに、太陽を感じさせる名を付けたかった。それも、ギラギラした夏の太陽ではなく、春の日の長閑な陽光を連想させる名前を付けたいと思った。それにはやはり、「日」という文字がふさわしいと思い、これを使った名前をあれこれ考えた末に命名した。可愛らしい名前を付けられたと思うが、今にして思えば呑気さ加減が本人にぴったりの名前になってしまった。本人はどう思っているかは知らないが、名は体を表すという言葉そのものの人間になっている。
えっ、今日はもう26日。なんで娘は帰ってこないのだ。大学なんてとっくに終ったはずだろう。何をしなければならないというのか。早く帰って来いよ。我が家で一番の太陽は今のところ娘なのだから、一日も早く帰ってきて欲しいと思う。まったく、何をやってるんだか・・
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