毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
年賀状
やっと塾の年賀状ができた。と言っても、私が作ったわけではない。妻がPCを使って作ってくれたのだ。4、5年前までは印刷屋に頼んでいたのだが、妻がPCで作ってくれるようになってからはずっと任せてきた。性格は大雑把なくせに、こうしたことには妙なこだわりを見せ、フォントを変えたり、文字の色を変えたりと、PCの知識を総動員してなかなかいいものを毎年作ってくれる。
しかし、今年はいくら頼んでもなかなか作ってくれなかった。「そんなに毎日PCをかまっているんだから自分で作ればいいでしょ」と意地悪ばかり言って、どうしても作ろうとしなかった。「まあ、印刷屋に頼めばそれでいいや」と私は半ば諦めていたのだが、忙しさに紛れて印刷屋に電話することができなかった。ちょっとこれはまずいぞ、と思い始めた矢先にどういう風の吹き回しか、「これでいいの?」と一昨日試作品を見せてくれた。「おお、作ってくれたのか、ありがとう!」と少々大袈裟にお礼を言ったのだが、こういうときに下手なリアクションをしようものならまた風向きが変わってしまって、ひどい目にあう。それくらいは私も心得ているので、大袈裟くらいがちょうどいいのだ。「ふ~ん、何枚いるの?」「100枚」と即座に答えると、「分かった」と言って印刷を始めようとする。なんだか優しすぎて気持ちが悪いが、まあ便利には違いないから、「本当にありがとう」と肩を叩いてその場を離れた。それが今日になって、印刷も完了したようで、100枚手渡してくれた。その1枚を写真に写してみた。
シンプルな絵柄だが、小学生から高校生までに送るものだから、なるべく簡素な方がいい。下手に凝ったりすると、ある年代には受けても、違う年代には不評という場合もあるので、サラッとしたものの方がいいと思っている。去年の鶏はなかなかの評判だったが、今年の犬はどうだろう。我が家の弁慶を写真に撮って載せる手もあったんだが、妻がずっとへそを曲げていたので相談できなかった。自分で思い通りにやればいいのだろうが、生憎私には時間と技術の両方がない。妻が作ってくれたものをありがたく使わせていただくしかない。犬の絵の下に、塾長からの新年の挨拶が書いてある。
『今年もいっしょうけんめい勉強しましょう』
これはもう20年近くも変えていない。塾は勉強をしに来るところだ。今年も勉強頑張ろう、とやわらかく檄を飛ばしているつもりなのだが、真意がうまく伝わっているだろうか。10年位前までは、これに手書きのメッセージを一人一人に書いていたが、今は年末の授業時間もかなり増えたので、残念だが、時間的にできなくなってしまった。そのせめてもの罪滅ぼしと言っては何だが、生徒の宛名だけは印刷などせず、私が手書きで書いている。しかし、何せ空いた時間がほとんどない時期であるため、どうしても半分殴り書きのようになってしまい、いい加減に書いたように見えてかえって逆効果なのかもしれない。いくら筆ペンとはいえ、普段使い慣れない毛筆は慣れるまでに時間がかかり、100枚くらい書くと最初と最後ではかなり字体が違ってくる。申し訳ない気がするけど、それでも全て印刷で済ますよりは心がこもっているだろうと、今年も今日から寸暇を見つけて生徒全員の宛名を認めようと思っている。
さてその字だが、自分としてはなかなかの字が書けると自負しているのだが、妻に言わせれば、私の性格を表して優柔不断なしょぼい字だと手厳しい。確かに大学くらいまでは、何故だか小さな字を書いていたのだが、塾で子供たちに赤ペンを使って色々説明するうちに、書く文字が大きく大胆に変わってきた。今では、見ようによっては味のある字になってきたと思うのだが、妻は認めてはくれない。まあ、彼女は私のやることは全て疑うようにできているから仕方ないのだが・・
さあ、妻がせっかく作ってくれた年賀状だ。一枚も失敗することのないよう、細心の注意を払って大胆に書き上げよう。でも、元日に届くかなあ。
しかし、今年はいくら頼んでもなかなか作ってくれなかった。「そんなに毎日PCをかまっているんだから自分で作ればいいでしょ」と意地悪ばかり言って、どうしても作ろうとしなかった。「まあ、印刷屋に頼めばそれでいいや」と私は半ば諦めていたのだが、忙しさに紛れて印刷屋に電話することができなかった。ちょっとこれはまずいぞ、と思い始めた矢先にどういう風の吹き回しか、「これでいいの?」と一昨日試作品を見せてくれた。「おお、作ってくれたのか、ありがとう!」と少々大袈裟にお礼を言ったのだが、こういうときに下手なリアクションをしようものならまた風向きが変わってしまって、ひどい目にあう。それくらいは私も心得ているので、大袈裟くらいがちょうどいいのだ。「ふ~ん、何枚いるの?」「100枚」と即座に答えると、「分かった」と言って印刷を始めようとする。なんだか優しすぎて気持ちが悪いが、まあ便利には違いないから、「本当にありがとう」と肩を叩いてその場を離れた。それが今日になって、印刷も完了したようで、100枚手渡してくれた。その1枚を写真に写してみた。
シンプルな絵柄だが、小学生から高校生までに送るものだから、なるべく簡素な方がいい。下手に凝ったりすると、ある年代には受けても、違う年代には不評という場合もあるので、サラッとしたものの方がいいと思っている。去年の鶏はなかなかの評判だったが、今年の犬はどうだろう。我が家の弁慶を写真に撮って載せる手もあったんだが、妻がずっとへそを曲げていたので相談できなかった。自分で思い通りにやればいいのだろうが、生憎私には時間と技術の両方がない。妻が作ってくれたものをありがたく使わせていただくしかない。犬の絵の下に、塾長からの新年の挨拶が書いてある。
『今年もいっしょうけんめい勉強しましょう』
これはもう20年近くも変えていない。塾は勉強をしに来るところだ。今年も勉強頑張ろう、とやわらかく檄を飛ばしているつもりなのだが、真意がうまく伝わっているだろうか。10年位前までは、これに手書きのメッセージを一人一人に書いていたが、今は年末の授業時間もかなり増えたので、残念だが、時間的にできなくなってしまった。そのせめてもの罪滅ぼしと言っては何だが、生徒の宛名だけは印刷などせず、私が手書きで書いている。しかし、何せ空いた時間がほとんどない時期であるため、どうしても半分殴り書きのようになってしまい、いい加減に書いたように見えてかえって逆効果なのかもしれない。いくら筆ペンとはいえ、普段使い慣れない毛筆は慣れるまでに時間がかかり、100枚くらい書くと最初と最後ではかなり字体が違ってくる。申し訳ない気がするけど、それでも全て印刷で済ますよりは心がこもっているだろうと、今年も今日から寸暇を見つけて生徒全員の宛名を認めようと思っている。
さてその字だが、自分としてはなかなかの字が書けると自負しているのだが、妻に言わせれば、私の性格を表して優柔不断なしょぼい字だと手厳しい。確かに大学くらいまでは、何故だか小さな字を書いていたのだが、塾で子供たちに赤ペンを使って色々説明するうちに、書く文字が大きく大胆に変わってきた。今では、見ようによっては味のある字になってきたと思うのだが、妻は認めてはくれない。まあ、彼女は私のやることは全て疑うようにできているから仕方ないのだが・・
さあ、妻がせっかく作ってくれた年賀状だ。一枚も失敗することのないよう、細心の注意を払って大胆に書き上げよう。でも、元日に届くかなあ。
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