毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
ニキビ
昨夜風呂から出てびっくりした。何気なく鏡を見たら、上唇の上にニキビができていた。赤くはれた先に白い膿がたまっている。小さなものだったが、いつの間にできたのかわからない。「へ~っ、俺もまだ若いじゃん」となんだか嬉しくなって、すぐに潰してやった。記念にとっておくのも変だろうが、今思えば写真くらい撮っておけばよかった。こんなニキビができたのはいったい何年ぶりだろう。全く思い出せないほど、昔のことだったんだろう・・
私は若い頃はひどいニキビ面だった。中学校に入ってすぐくらいからでき始め、大学に入ってからもかなり悩まされた。中学1年の時など、鼻のすぐ横に小豆大のものができて、潰すにも潰せずとうとう外科医に行って切開してもらったことがあった。本当に無数のニキビで両頬はいつも赤くはれているような状態だった。あまりにひどかったものだから、これは内臓のどこかが悪い証拠だなどと母から脅されたこともあったが、毎日何度も洗顔し、色んな薬も試したのだが、何の効き目も現れなかった。
ニキビの罪作りなのは、赤く腫れて見苦しいこともあるが、それ以上に潰したあとに傷跡がいつまでも残るというのがある。さすがに今は大分目立たなくなったが、それでもよく見れば無残な跡はいくつも見つけられる。跡が残るから潰したらダメだよ、とよく注意されたが、毎日鏡を見てはニキビを潰すのが私の日課のようになっていたので、次から次にできては次から次に潰し、どんどん傷跡が残っていく、という悪循環の繰り返しだった。当時はデコボコになった頬を眺めながら、何でこんなになっちまったんだと嘆いたものだが、自業自得だから仕方ない。しかし、夏目漱石がひどい「あばた面」だったことを知り、漱石に心酔していた当時の私には、文豪と同じ悩みをかかえているような気になって、ちょっとした自慢だったから笑えてしまう。「吾輩は猫である」にも以下のような記述があり、漱石が「あばた面」を気に病んでいたことがうかがえる。
主人はあばた面である。御維新前はあばたもだいぶはやったものだそうだが日英同盟の今日から見ると、こんな顔はいささか時代おくれの感がある。あばたの衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全くその跡を絶つに至るだろうとは医学上の統計から厳密に割り出されたる結論であって、吾輩のごとき猫といえどもごうも疑いをさしはさむ余地のないほどの名論である。
現今地球上にあばたっ面を有して生息している人間は何人ぐらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算してみると、猫には一匹もいない。人間にはたった一人ある。しかしてその一人がすなわち主人である。はなはだ気の毒である。
私は、高校生のときに何かの雑誌でニキビの傷跡を治す方法というのを見つけて、実践してみたことがある。その方法とは、「紙やすりでニキビ跡を血がにじむ程度までこすってみる。数日たって、かさぶたが出来上がった頃にはがしてみれば、でこぼこは直っている」というものだった。それはすごいや、と単純な私は実際にやってみた。うっすらと血が両頬に滲むまでこすって、かさぶたができるのを楽しみに待った。数日たって出来上がったかさぶたをそっとはがしてみた。すると、嘘のように傷跡が見えなくなっているではないか!私は天にも昇るような喜びで数日間暮らした。だが、・・・当時の私はまだ若かった。いくら元通りになったように見えてもそれは表面だけで中身はニキビ体質のままだった。すぐにニキビが両頬を多い、また懲りもせず、潰していったものだから、元のデコボコに戻るには長くはかからなかった。それに嫌気が差して二度と同じことはしなかったが、今思えば最良の治療薬は時間しかないようだ。
妻に昨夜のニキビのことをちょっと自慢して話してやったら、『そんなものニキビのわけないじゃん、ただの吹き出物!」と一笑に付されてしまった。相変わらず厳しいや。
私は若い頃はひどいニキビ面だった。中学校に入ってすぐくらいからでき始め、大学に入ってからもかなり悩まされた。中学1年の時など、鼻のすぐ横に小豆大のものができて、潰すにも潰せずとうとう外科医に行って切開してもらったことがあった。本当に無数のニキビで両頬はいつも赤くはれているような状態だった。あまりにひどかったものだから、これは内臓のどこかが悪い証拠だなどと母から脅されたこともあったが、毎日何度も洗顔し、色んな薬も試したのだが、何の効き目も現れなかった。
ニキビの罪作りなのは、赤く腫れて見苦しいこともあるが、それ以上に潰したあとに傷跡がいつまでも残るというのがある。さすがに今は大分目立たなくなったが、それでもよく見れば無残な跡はいくつも見つけられる。跡が残るから潰したらダメだよ、とよく注意されたが、毎日鏡を見てはニキビを潰すのが私の日課のようになっていたので、次から次にできては次から次に潰し、どんどん傷跡が残っていく、という悪循環の繰り返しだった。当時はデコボコになった頬を眺めながら、何でこんなになっちまったんだと嘆いたものだが、自業自得だから仕方ない。しかし、夏目漱石がひどい「あばた面」だったことを知り、漱石に心酔していた当時の私には、文豪と同じ悩みをかかえているような気になって、ちょっとした自慢だったから笑えてしまう。「吾輩は猫である」にも以下のような記述があり、漱石が「あばた面」を気に病んでいたことがうかがえる。
主人はあばた面である。御維新前はあばたもだいぶはやったものだそうだが日英同盟の今日から見ると、こんな顔はいささか時代おくれの感がある。あばたの衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全くその跡を絶つに至るだろうとは医学上の統計から厳密に割り出されたる結論であって、吾輩のごとき猫といえどもごうも疑いをさしはさむ余地のないほどの名論である。
現今地球上にあばたっ面を有して生息している人間は何人ぐらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算してみると、猫には一匹もいない。人間にはたった一人ある。しかしてその一人がすなわち主人である。はなはだ気の毒である。
私は、高校生のときに何かの雑誌でニキビの傷跡を治す方法というのを見つけて、実践してみたことがある。その方法とは、「紙やすりでニキビ跡を血がにじむ程度までこすってみる。数日たって、かさぶたが出来上がった頃にはがしてみれば、でこぼこは直っている」というものだった。それはすごいや、と単純な私は実際にやってみた。うっすらと血が両頬に滲むまでこすって、かさぶたができるのを楽しみに待った。数日たって出来上がったかさぶたをそっとはがしてみた。すると、嘘のように傷跡が見えなくなっているではないか!私は天にも昇るような喜びで数日間暮らした。だが、・・・当時の私はまだ若かった。いくら元通りになったように見えてもそれは表面だけで中身はニキビ体質のままだった。すぐにニキビが両頬を多い、また懲りもせず、潰していったものだから、元のデコボコに戻るには長くはかからなかった。それに嫌気が差して二度と同じことはしなかったが、今思えば最良の治療薬は時間しかないようだ。
妻に昨夜のニキビのことをちょっと自慢して話してやったら、『そんなものニキビのわけないじゃん、ただの吹き出物!」と一笑に付されてしまった。相変わらず厳しいや。
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