毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
友へ
ゴジ健さんがネットの世界から消えてしまわれた。どうして?という思いは拭い去れないが、彼が熟慮の上で出した結論を尊重しないわけには行かない。とは言っても、寂しいし悲しい。何とか翻意を願いたい。今までのような語り合いをゴジ健さんと続けたい。いくら冷静になろうとしても、心が叫ぶ。
ゴジ健さんがゴジトピに参加されたのは、私が投稿を始めて間もない頃だったと思う。
>最強の携帯電話じゃ! 2005/ 6/17 10:40 [ No.78737]
ストラップは松井選手もキーホルダー代わりにしているというゲンを担いだコイン、着メロはキルビル、待ち受けはホームランを打ったときの写真。ちなみに、おまけで、ホームランメールが届いたときの着メロは、In The Moodなんだけど、これがまた結構いいんじゃ。
これが、私が覚えている彼の最初の投稿だ。武骨な語り口で、強く印象に残った。その後で、自らのHNを
>名前は 2005/ 6/19 21:50 [ No.79301]
ゴジラの「ゴジ」と高倉健の「健」で「ゴジケン」と申します。
以後よろしくお見知りおきを願います。
と紹介された。それ以来私が彼を高倉健とダブらせてイメージしてきたのは言うまでもない。トピ上で、正直で不器用なキャラを確立され多くの仲間と語り合っておられたが、何故か一部の人たちから彼へのバッシングが始まり、次のように相手に向かって語り掛けられた。
>ピントハズレのおっさんのつぶやき 2005/ 7/ 3 21:41 [ No.82307]
私は、純粋に松井選手のことが大好きで、応援したいという気持ちにあふれている、普通の中年オヤジです。自宅と仕事場との往復の毎日に、松井選手の一発は、一服の清涼剤であり、大袈裟ではなく、生活の活力でもありました。
こんな場所があることを、皆さんご存知のある本で知りました。クマノミさんがおっしゃるとおり、ある日、勇気を持って投稿してみました。私の投稿に多少の方々が反応してくれました。それは、私の勘違いだったのかもしれませんが、単純に、とてもうれしく、そして、感動しました。
あなたのおっしゃる、ユーモア、場の雰囲気に即した投稿とはどういうものなのか、今の私にはわかりません。ご指摘のとおり、つい、トピの本旨にそぐわない投稿をしてしまうこともありますし、松井選手の、バッティング理論を詳しく解説したり、過去のデータに照らして比較する、などということもできません。
私は、ただ単純に、今、この時にアメリカの地で戦っている松井選手のことを、そしてヤンキースのことを応援する気持ちを、この掲示板の場で共有したいだけなのです。
認めていただけないでしょうか?
ゴジ健さんと同じ年齢であることを知って、親近感を抱いていた私はこの投稿に対し、黙っていられなくて次のような投稿をした。
ゴジ健さん、私たちの年齢になると、はっきり言って、他人のことなんてもうどうでもいい気がしませんか。
もう十分働いてきたし、自分の我儘を通したっていい年齢だとは思います。
ただ、子供の年恰好によりまだまだ社会と迎合しなければならない局面に遭遇する場合も少なくありません。
そのジレンマに苛立ちこそすれ、もう大局的に見れば、人生の最終章に差し掛かっていると言ってもいいかもしれません。
少なくとも、私の己に対する認識はそんなものでした。
そうした折、松井秀喜という若者が、『死ぬ覚悟で』アメリカNYYで活躍の場を求め、読売ジャイアンツを飛び出していきました。
何もあえて火中の栗を拾わずとも、現状に満足しておればいいものを、と多くの人が思ったであろう、彼の行為は、ともすればなんら変化のない日常に紛れ、いつしか男として、闘う本能を忘れた私のような中年の心を激しく震撼せずにはいませんでした。
爾来、私は彼の心を己の心と同一させるべく、彼の一挙手一投足に己を投影し、彼の『チャンピオンリングを手にする』宿願が実現するまで、どんなことがあろうと応援を続けていこうと覚悟を決め、今日に至っております。
このトピに集う人々は、たとえ表現方法は異なるとも、すべて松井秀喜を応援する人々であると私は思います。
それが、たとえ間違った認識であれ、松井を応援する気持ちがありさえすれば、誰にでもこのトピに投稿する資格はあるものと、私は自らの、人によれば、下らぬと思われるかも知れぬ投稿を続けています。
全ては、『松井がチャンピオンリングを手にする日』のために。
ゴジ健さん、他人にどう思われようが、松井のため、純粋に、毎日『元気玉』を送り続けようではありませんか。
長文、失礼しました。
これは、ゴジ健さんへのメッセージでもあり、自分自身への励ましでもあった。これに対して、ゴジ健さんが、
>皆さん、おはようございます 2005/ 7/ 4 6:16 [ No.82456]
今朝は、完璧に遅刻してしまいました。
まずは、ライブ応援の皆さんお疲れ様でした。
ヤンクス1対0・・・まさに、こんな勝ち方もできたのかよ!!と、突っ込みたくなる様なスコアじゃ。王投手あっぱれ!
松井選手は6番で4の2。打順については否定的な意見ばかりじゃが、トーリ監督は、先日のバーニーといい、下位打線で得点するための、裏4番に松井選手を指名した、なんて考えるのは、あまりにも贔屓目過ぎるじゃろうか。
さて、昨夜の私の投稿に塾長さんをはじめ皆様にエール(?)を送られ、改めて、この掲示板に投稿を続けていく本当の意味を、自分なりに理解できたような気がしました。
塾長さん、本当にありがとう、心からありがとう。朝から、男泣きじゃ。
>全ては、『松井がチャンピオンリングを手にする日』のために。
ゴジ健の「元気玉」復活じゃぞい!!!
これを読んだ瞬間に私はゴジ健さんと心がつながったと思った。社会とかなりあやふやにしかつながりを持っていない、半分引きこもりのような暮らしを続けている私にとって、学校を通じない初めての同世代の友人ができたと思った。
それ以来、折に触れ言葉を交わし、私のブログにも毎日コメントを下さるようになった。私のことを友と呼んでくださり、色々と刺激を受けてきた。ここ数ヶ月、彼とともに暮らした毎日は素晴らしく充実したものだった。
それが、突然こんな形で終わりを告げてしまうなんて・・・
私の携帯には、ゴジ健さんが送ってくださった、昭和55年の50円玉と5円玉を結んだお手製のストラップがつけてある。これは私たちの友情の証であると大切にしてきたものだが、今ではゴジ健さんと私をつなぐ唯一の思い出になってしまった。
私は今、このストラップを握り締めながらゴジ健さんに向かって叫ぶ。
今すぐにでも、戻ってきてください!!!
ゴジ健さんがゴジトピに参加されたのは、私が投稿を始めて間もない頃だったと思う。
>最強の携帯電話じゃ! 2005/ 6/17 10:40 [ No.78737]
ストラップは松井選手もキーホルダー代わりにしているというゲンを担いだコイン、着メロはキルビル、待ち受けはホームランを打ったときの写真。ちなみに、おまけで、ホームランメールが届いたときの着メロは、In The Moodなんだけど、これがまた結構いいんじゃ。
これが、私が覚えている彼の最初の投稿だ。武骨な語り口で、強く印象に残った。その後で、自らのHNを
>名前は 2005/ 6/19 21:50 [ No.79301]
ゴジラの「ゴジ」と高倉健の「健」で「ゴジケン」と申します。
以後よろしくお見知りおきを願います。
と紹介された。それ以来私が彼を高倉健とダブらせてイメージしてきたのは言うまでもない。トピ上で、正直で不器用なキャラを確立され多くの仲間と語り合っておられたが、何故か一部の人たちから彼へのバッシングが始まり、次のように相手に向かって語り掛けられた。
>ピントハズレのおっさんのつぶやき 2005/ 7/ 3 21:41 [ No.82307]
私は、純粋に松井選手のことが大好きで、応援したいという気持ちにあふれている、普通の中年オヤジです。自宅と仕事場との往復の毎日に、松井選手の一発は、一服の清涼剤であり、大袈裟ではなく、生活の活力でもありました。
こんな場所があることを、皆さんご存知のある本で知りました。クマノミさんがおっしゃるとおり、ある日、勇気を持って投稿してみました。私の投稿に多少の方々が反応してくれました。それは、私の勘違いだったのかもしれませんが、単純に、とてもうれしく、そして、感動しました。
あなたのおっしゃる、ユーモア、場の雰囲気に即した投稿とはどういうものなのか、今の私にはわかりません。ご指摘のとおり、つい、トピの本旨にそぐわない投稿をしてしまうこともありますし、松井選手の、バッティング理論を詳しく解説したり、過去のデータに照らして比較する、などということもできません。
私は、ただ単純に、今、この時にアメリカの地で戦っている松井選手のことを、そしてヤンキースのことを応援する気持ちを、この掲示板の場で共有したいだけなのです。
認めていただけないでしょうか?
ゴジ健さんと同じ年齢であることを知って、親近感を抱いていた私はこの投稿に対し、黙っていられなくて次のような投稿をした。
ゴジ健さん、私たちの年齢になると、はっきり言って、他人のことなんてもうどうでもいい気がしませんか。
もう十分働いてきたし、自分の我儘を通したっていい年齢だとは思います。
ただ、子供の年恰好によりまだまだ社会と迎合しなければならない局面に遭遇する場合も少なくありません。
そのジレンマに苛立ちこそすれ、もう大局的に見れば、人生の最終章に差し掛かっていると言ってもいいかもしれません。
少なくとも、私の己に対する認識はそんなものでした。
そうした折、松井秀喜という若者が、『死ぬ覚悟で』アメリカNYYで活躍の場を求め、読売ジャイアンツを飛び出していきました。
何もあえて火中の栗を拾わずとも、現状に満足しておればいいものを、と多くの人が思ったであろう、彼の行為は、ともすればなんら変化のない日常に紛れ、いつしか男として、闘う本能を忘れた私のような中年の心を激しく震撼せずにはいませんでした。
爾来、私は彼の心を己の心と同一させるべく、彼の一挙手一投足に己を投影し、彼の『チャンピオンリングを手にする』宿願が実現するまで、どんなことがあろうと応援を続けていこうと覚悟を決め、今日に至っております。
このトピに集う人々は、たとえ表現方法は異なるとも、すべて松井秀喜を応援する人々であると私は思います。
それが、たとえ間違った認識であれ、松井を応援する気持ちがありさえすれば、誰にでもこのトピに投稿する資格はあるものと、私は自らの、人によれば、下らぬと思われるかも知れぬ投稿を続けています。
全ては、『松井がチャンピオンリングを手にする日』のために。
ゴジ健さん、他人にどう思われようが、松井のため、純粋に、毎日『元気玉』を送り続けようではありませんか。
長文、失礼しました。
これは、ゴジ健さんへのメッセージでもあり、自分自身への励ましでもあった。これに対して、ゴジ健さんが、
>皆さん、おはようございます 2005/ 7/ 4 6:16 [ No.82456]
今朝は、完璧に遅刻してしまいました。
まずは、ライブ応援の皆さんお疲れ様でした。
ヤンクス1対0・・・まさに、こんな勝ち方もできたのかよ!!と、突っ込みたくなる様なスコアじゃ。王投手あっぱれ!
松井選手は6番で4の2。打順については否定的な意見ばかりじゃが、トーリ監督は、先日のバーニーといい、下位打線で得点するための、裏4番に松井選手を指名した、なんて考えるのは、あまりにも贔屓目過ぎるじゃろうか。
さて、昨夜の私の投稿に塾長さんをはじめ皆様にエール(?)を送られ、改めて、この掲示板に投稿を続けていく本当の意味を、自分なりに理解できたような気がしました。
塾長さん、本当にありがとう、心からありがとう。朝から、男泣きじゃ。
>全ては、『松井がチャンピオンリングを手にする日』のために。
ゴジ健の「元気玉」復活じゃぞい!!!
これを読んだ瞬間に私はゴジ健さんと心がつながったと思った。社会とかなりあやふやにしかつながりを持っていない、半分引きこもりのような暮らしを続けている私にとって、学校を通じない初めての同世代の友人ができたと思った。
それ以来、折に触れ言葉を交わし、私のブログにも毎日コメントを下さるようになった。私のことを友と呼んでくださり、色々と刺激を受けてきた。ここ数ヶ月、彼とともに暮らした毎日は素晴らしく充実したものだった。
それが、突然こんな形で終わりを告げてしまうなんて・・・
私の携帯には、ゴジ健さんが送ってくださった、昭和55年の50円玉と5円玉を結んだお手製のストラップがつけてある。これは私たちの友情の証であると大切にしてきたものだが、今ではゴジ健さんと私をつなぐ唯一の思い出になってしまった。
私は今、このストラップを握り締めながらゴジ健さんに向かって叫ぶ。
今すぐにでも、戻ってきてください!!!
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