毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
黙祷・・
2005年12月11日 / 塾
塾を終え、生徒を送り届けて帰宅した私の目に、「小6女児刺され死亡」という新聞の見出しが飛び込んできた。また子供が犠牲になったのかと暗澹たる気持ちに落ち込んだ次の瞬間に、「23才塾講師逮捕」という小見出しを読み取って、「えっ!」と我が目を疑った。しっかり読み直してみると、「殺人事件 口論になり」とある。いったいどういうことだ、そんなバカなことが・・と狼狽しながらも記事全文を読んだ。要約すれば、「10日午前9時すぎに京都市宇治市の学習塾で、23歳の男性講師が小6女児を出刃包丁で刺し殺した」というものだった。何てことだ、何をやってるんだ、と頭を金槌で殴られたような衝撃を受けたが、事実関係だけは把握しておかなければならないと思い、社会面を広げた。すると、「塾の中で・・・なぜ」「どう防げば・・」「住民ら戸惑いと怒り」という言葉が次々と目に入ってくる。近隣に住む主婦の話として、「この地域では、小学生の保護者が自転車で地域パトロールをしているが、塾の中で殺されたのでは止めようがない」というショックを隠しきれないコメントが載せられていた。まったくその通りだ。3日前に、私は学校からの下校を何とか安全にできないものかと書いたが、そらは学校の中での子供たちの安全が確保されていることを前提としたものだった。学校の中では安全だからこそ、下校時に細心の注意を払わなければならないと思っての言葉だった。それは塾でも同じことだ。塾の教室にいる間は誰もが授業に集中し、トラブルなど起きるはずはないが、帰宅時に子供たちが事件に巻き込まれないようにしなければならない。そのために私の塾ではマイクロバスで送るようにしている、と私のとり得る最善策を述べたのだが、それがこんな残虐非道な事件が起きてしまうと、その根底が覆されてしまったようで、いったいどうすればよいのかとしばし途方にくれてしまった。
確かに塾は勉強をするところだ。勉強さえちゃんと教えてくれれば、他のことなど構ってくれなくてもいいと考える父母は多いかもしれない。しかし、しっかりと勉強させ、それを一つ一つ身に付けさせるためには、塾の教師が生徒たちから信頼されなければならない。私が全人格的に信頼に足る人間であるかは自信はないが、少なくとも塾生に対しては絶対の信頼を得られるように常に努力している。ただテストの点がよくなればいいだけでなく、生徒個々の姿勢や態度についても、気になる点があれば遠慮なしに指摘する。そうすることで生徒を少しでも人間的に向上させたいと思うからであり、真剣に対すれば子供たちは必ずそれに応えてくれると信じている。(とはいっても、なかなか思い通りにはいかないことはしょっちゅうだが)
それがこんな事件が起こってしまうとどうなるんだろう。生徒が塾の教師を心から信頼できなくなってしまう。果たしてそれで学んだことが残っていくだろうか。この事件を起こしたばか者は、6年生の女児を殺害しただけでなく、多くの子供たちの心に不信の芽を植えつけてしまった。同時に、私を含め生徒たちと毎日真剣に向かい合っている多くの塾教師たちへの、生徒の信頼を失墜させてしまいそうで本当に悔しくてたまらない。
私はなるべく全ての生徒を分け隔てなく見るようにしているが、私の手が回らないところは、私の塾で何年も学んだ弟子とも言うべき大学生たちに、補助として助けてもらっている。彼らは皆私の思いを理解してくれて、私が彼らに接したように、生徒達に接してくれている。私は彼らを信頼し、彼らも私を信頼してくれているのだが、こんな事件が起こってしまうと、彼らを不信の目で見直さなければならなくなる。そんなバカなことをしでかす者たちではないと分かっていても、責任者として彼らに注意を促さなくてはならない。私たちが何年もかかって築きあげてきた信頼関係を傷つけるようで辛いが、生徒の安全だけは徹底しておかなければならない。
それにしても、塾の教師がなぜ出刃包丁などを持っていなければならないのか。塾にそんな物が置いてあるはずもないだろうから、その男が持ち込んだのだろうが、いったい何を考えているのだろう。もう、こんなに連続して子供たちが犠牲になる事件がおきてしまうと、言葉も出なくなってしまいそうになる。しかし、どんなに辛くとも、今だからこそ、子供たちの安全を全身で叫び続けなければならないと思う。
亡くなられた女の子の冥福を、心からお祈りいたします。
確かに塾は勉強をするところだ。勉強さえちゃんと教えてくれれば、他のことなど構ってくれなくてもいいと考える父母は多いかもしれない。しかし、しっかりと勉強させ、それを一つ一つ身に付けさせるためには、塾の教師が生徒たちから信頼されなければならない。私が全人格的に信頼に足る人間であるかは自信はないが、少なくとも塾生に対しては絶対の信頼を得られるように常に努力している。ただテストの点がよくなればいいだけでなく、生徒個々の姿勢や態度についても、気になる点があれば遠慮なしに指摘する。そうすることで生徒を少しでも人間的に向上させたいと思うからであり、真剣に対すれば子供たちは必ずそれに応えてくれると信じている。(とはいっても、なかなか思い通りにはいかないことはしょっちゅうだが)
それがこんな事件が起こってしまうとどうなるんだろう。生徒が塾の教師を心から信頼できなくなってしまう。果たしてそれで学んだことが残っていくだろうか。この事件を起こしたばか者は、6年生の女児を殺害しただけでなく、多くの子供たちの心に不信の芽を植えつけてしまった。同時に、私を含め生徒たちと毎日真剣に向かい合っている多くの塾教師たちへの、生徒の信頼を失墜させてしまいそうで本当に悔しくてたまらない。
私はなるべく全ての生徒を分け隔てなく見るようにしているが、私の手が回らないところは、私の塾で何年も学んだ弟子とも言うべき大学生たちに、補助として助けてもらっている。彼らは皆私の思いを理解してくれて、私が彼らに接したように、生徒達に接してくれている。私は彼らを信頼し、彼らも私を信頼してくれているのだが、こんな事件が起こってしまうと、彼らを不信の目で見直さなければならなくなる。そんなバカなことをしでかす者たちではないと分かっていても、責任者として彼らに注意を促さなくてはならない。私たちが何年もかかって築きあげてきた信頼関係を傷つけるようで辛いが、生徒の安全だけは徹底しておかなければならない。
それにしても、塾の教師がなぜ出刃包丁などを持っていなければならないのか。塾にそんな物が置いてあるはずもないだろうから、その男が持ち込んだのだろうが、いったい何を考えているのだろう。もう、こんなに連続して子供たちが犠牲になる事件がおきてしまうと、言葉も出なくなってしまいそうになる。しかし、どんなに辛くとも、今だからこそ、子供たちの安全を全身で叫び続けなければならないと思う。
亡くなられた女の子の冥福を、心からお祈りいたします。
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