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心をこめて

 高見順に「私の卵」という詩がある。  

   数年来私はひとつの卵を抱きつづけてゐる
   あるとき気がつくと卵を抱いてゐたのである
   卵が暖かいので気がついたのである
   私は冷たかった
   鶏卵のように私は冷たかつた
   だんだん冷えあがつて私は凍死しさうだつた
   その私を私の抱いた卵が暖めてくれた
   そして今日の日まで私は生きのびたのである
   そしてそのため暖かい卵はまだ孵化しない

 この卵はたぶん何かのメタファーなのだろうが、それが何なのかはこの詩を読む者たち一人一人違った思いを抱くだろう。だがたとえ何であれ、己が逆境に陥った時、己を支え、勇気を与えてくれるものであり、それがあるからこそどんな難局も乗り越えることができる、いわば己の存在の根幹を成すものであるように思う。もちろん一つだけではなく、いくつもの卵を抱えながら生きていることもあるだろう。優先順位など考えずに、ただひたすらその卵たちが孵化するのを母のような気持ちで願いながら・・。
 私は昨年まで熱く松井秀喜を応援してきた。しかし、昨年のワールドシリーズに勝ち、念願のワールドチャンピオンとなり、しかもシリーズMVPに輝いたことで、長年抱き続けてきた卵がやっと孵化したと思った。思いもかけない最高の形で・・。そのため、エンゼルスにチームを変え、新たに優勝を目指すことになった松井に対して、昨年までの熱い思いを届けることなど端から無理な相談であった。私の手元に残ったものと言えば、思いを遂げた松井が羽ばたいていった卵の殻しか残っていなかったのだから・・。もちろん新天地での松井の活躍を願いながら新たな卵を抱くことはできたはずだ。松井と心を一つにして彼の見果てぬ夢を供に追い続けることも・・。
 だが、私にはそんな気力は蘇ってこなかった。私が昨季盛んに掲げた「松井愛」などというものなどそんな底の浅いものであったことが露呈されてしまったが、事実そうだからどんな謗りも甘んじて受けよう。いくら取り繕ってみたところで、私の松井への思いが詰まった卵は割れたまま、二度と産み出されてくることはなかったのだ。
 しかし、そんなあやふやな私を横目でにらみながら、ゴジ健さんは昨年までと全く同じスタンスで松井に声援を送っていらっしゃった。松井の一打席一打席、一球一球に全身全霊を込めた元気魂を送り続けていらっしゃった。まったくもって「松井愛」の鑑とすべき姿勢だ。さすがに今季の松井の成績では、時として苦悶に呻吟されたこともあるようだが、開幕から今まで一貫して「松井愛」に漲っておいでだったのには、ただただ頭が下がるばかりだ。
 今日9月11日はゴジ健さんの52回目のお誕生日、このブログでゴジ健さんのお誕生日をお祝いするのもこれで5回目となった。その間言葉では尽くせないほどお世話になって来た。何のお返しもできずにきた私だが、感謝の気持ちをこめ、茨木のり子の詩を、お誕生日のお祝いに贈ろうと思う。

   「知命」

 他のひとがやってきて
 この小包の紐 どうぢたら
 ほどけるかしらと言う

 他のひとがやってきては
 こんがらがった糸の束
 なんとかしてよ と言う

 鋏で切れいと進言するが
 肯じない
 仕方なく手伝う もそもそと

 生きてるよしみに
 こういうのが生きてるってことの
 おおよそか それにしてもあんまりな

 まきこまれ 
 ふりまわされ
 くたびれはてて

 ある日 卒然と悟らされる
 もしかしたら たぶんそう
 沢山のやさしい手が添えられたのだ

 一人で処理してきたと思っている
 わたしの幾つかの結節点にも
 今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで


ゴジ健さん、お誕生日おめでとう!!
 

 
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