じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「国家の品格」

2006-10-08 03:07:49 | 
国家の品格

新潮社

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★ 遅ればせながらやっと読み終わった。意表をつかれた内容だった。もっと右翼的、国家主義的な主張かなと思ったが、そうでもなかった。

★ 論理至上主義、拝金主義、パックスアメリカーナの現状に疑問を投げかけ、日本よ日本たれ、日本人よかつての威儀と誇りを取り戻せ、と訴えていた。

★ 荒廃する現代社会。理不尽な犯罪が増加し、若者が生きる意欲を失い、金のためなら恥や外聞など糞食らえといった風潮がはびこる社会。長幼の序や惻隠の情などは遠い昔のこと。幼稚化、無国籍化する現状に焦燥を覚えるのは著者ばかりではない。

★ 本書が大ベストセラーとなったのは、こうした現状に対する危機感を多くの人が感じているからであろう。

★ 確かに、引っかかるところはある。反論したくなるような点もあるが、それはそれで読書の楽しさでもある。

★ 敵対的買収、ハゲタカファンド、ニートの増加、格差の拡大など、もやもやとしている日本人の頭に冷水をかけたような作品だった。賛否両論あれど一読の価値はある。
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「おもひでぽろぽろ」

2006-10-06 14:23:31 | 映画
おもひでぽろぽろ

ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント

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★ ベッド・ミドラーの「ローズ」が流れてきたので、それを紹介しようと思ったけれど、彼女のCDがないようなのでこちらを紹介。

★ 「おもひでぽろぽろ」。スタジオジブリの作品である。少女時代は「ちびまる子ちゃん」を思い起こすような昭和の風景。田舎での人と人のふれあいを描いた人間ドラマ、そこに少女時代の思い出が織り込まれている。

★ そのラストシーンで流れていたのがこの「ローズ」。邦題は「愛は花、君はその種子」で都はるみさんが歌われていた。都はるみさんがポピュラーソングを歌うっていうので意外性があったが、しっとりした歌い方がよかった。

★ この歌はベッド・ミドラーの映画「ローズ」で使われていた。ゴスペルのテイストもあり、魂のこもった歌だ。傷つき堕落してもそこから再び立ち上がれる。種子は寒い冬、土の中でじっと耐え、やがて暖かくなると芽を出し日を浴びて成長し花を咲かせる。そのような再生をイメージさせる曲だ。
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「授業の復権」

2006-10-05 02:59:08 | 
授業の復権

新潮社

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★ 授業の名人。斉藤喜博さんや大村はまさんの授業はNHKの番組で見たことがある。板倉聖宣さんの仮説実験授業は、板倉さんが大学の学園祭で実演されたときに参加させていただいた。こうした超有名人でなくとも先生の中には「役者やノォ~」と思わずうなるような授業のうまい先生がいる。

★ 授業のうまい教師には共通する特質があるようにも思う。話術はやはり必要だ。間のとりかた、表情、動作。どれも重要だ。暗い人や口ベたな人はやはり教師に適さない。生徒とまともにアイコンタクトができない人は生徒と心が通じるはずもない。中には役者としてはイマイチだが、脚本家として力を発揮する人がいるかも知れないけれど。

★ 教養や人間性。経験からくる自信、迫力なんてのもあるだろう。覚悟も大切かも。優柔不断はダメだ。自信がないのもダメだ。

★ 城山三郎さんの小説に「今日は再び来らず」というのがある。城山さんが塾・予備校業界を綿密に取材し書かれた作品だが、その中で予備校の講師に必要な資質を5つ挙げている。学者であり、芸者であり、役者であり、易者であり、医者である、と。なるほどなぁと思う。

★ 「授業の復権」の著者である森口朗さんは教師の授業力の低下を嘆く。そしてその原因を「ゆとり教育」「新学力観」に求める。

★ 確かに感じることがある。ここ20数年。少子化の流れの中で、教員の採用が抑制されてきた。教員養成大学では生き残りをかけ、教員免許をとらなくても卒業できるコースをつくったり、大学の統廃合を真剣に考えたぐらいである。そうした中で採用された教員は少数精鋭、優れた教員であるはずだった。戦後のデモシカ教員や「赤旗」教員とは違って。ところが現実は、子どもを前にしてうまく指導できない。問題を抱え込み心や体を壊してしまう、学級崩壊を防ぐことができない教員を多く生み出してしまったのである。

★ 少数精鋭の教員は意外とか弱く、ドサクサの中で大量採用された雑多な教員の方がむしろ力強く、学校に活気があったように思う。

★ もちろん社会背景が違っている。子どもも親も社会も今と昔では大違いである。昔あったような教師と親や子どもとの情報量の差も親の高学歴化やインターネット等情報技術の発達により、差がなくなるどころかむしろ逆転することも多くなってきた。教職の専門性が揺らぎ、教師の権威が低下したのも事実である。

★ こうした中で、「教師に何を求めるのか」と開き直られれば、返す言葉も難しいが、教員の「素人さ」を前提にファーストフードショップのように法則化、マニュアル化するか、「玄人」めざして修行を積んでもらうかである。教職の専門性を改めて築きなおしてもらうかである。

★ 「玄人」を目指す際も、戦前の師範教育を復活させるのか、近々実現する教職大学院に復権を求めるのか、これからが過渡期になりそうな気がする。
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バウチャーの使い方

2006-10-05 01:33:02 | 教育
★ 公立学校を活性化させるためにバウチャーが検討されていると言う。バウチャー(教育チケット)は親に学校選択権を委ね、多くの生徒を集めた人気のある学校、いわゆる「良い学校」により多くの財政支援をしようというものだ。学校に競争原理を導入することによって、よりよい教育を実現しようとする荒療治だ。確かにこれにより一部の「良い学校」はできるであろう。しかし、その良い学校がブランド校への進学率を看板に掲げることは目に見えているし、「良い学校」をつくることは「悪い学校」をつくることと同義である。

★ 良心的に考えれば、「悪い学校」は問題点を改善し「良い学校」をめざせば良いというものだが、世の中そんなに甘くない。「悪い学校」のレッテルを貼られれば、ますます悪くなっていく、悪のスパイラルが始まるだろう。学校のスラム化だ。

★ そう考えると、公立学校に一律にバウチャーを導入するのは慎重にならざるをえない。ただ今日、子どもを私立学校へ行かせるか、公立学校へ行かせるかでは親の負担に大きな差がある。憲法の条文に従って国が直接私立学校を支援できないから、間接的に私学助成が行われているが、それでも無償を原則とする公立と私立では雲泥の差がある。

★ 同じ公教育の一翼を担いながらこの差はいかがなものか。バウチャーを導入するならまずこの点に切り込んでもらいたい。親に公立か私立かを選択する権限を与えるのである。優れた私立にはバウチャーに基づいて多くの助成が行われる、親は公立と同じ額の負担で私立に子どもを通わせることができる。こうすれば良いのではないか。

★ このようにすれば私立が繁栄し、公立がつぶれてしまうかもしれないという危惧がある。公立の教職員にとってみれば死活問題だから組合が反対するのは明らかだ。しかし、公立が親の支持を得られないならば、そのような公立などつぶれてしまったほうが良いのかも知れない。公立は公立で既得権益に甘んじることなく経営努力をする必要はあろう。

★ 更に来春から開講が予定されている「放課後教室」。ここにもバウチャーを導入すればよい。「放課後教室」には経済的な理由で塾に通えない子にも教育を、といった理由もあるようだ。もちろん真の理由は退職教員の生活保障(悪く言えば天下り、よく言えば有効活用)だが。経済的な障壁をなくし、「放課後教室」か塾かを親が選択できるようにすればよい。「課外教育チケット」のようなものを配布すればよい。地域振興券の前例もあるから実現はそれほど難しくないと思うが。どうだろうか。
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「遠き落日」

2006-10-02 17:16:10 | 
遠き落日〈上〉

集英社

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★ 渡辺淳一氏による野口英世の伝記小説である。

★ 野口英世といえば黄熱病の研究で知られ、日本を代表する偉人の一人である。しかしそんな彼にも幼い頃はあったし、後世の人が描き上げるような模範的な人物像とは違った人間的な面をもっていた。

★ たとえばお金のこと。詐欺とまでは言わないが、借りたお金にかなり無頓着だったようだ。もちろん確固たるコネもなく明治と言う時代に単身アメリカに渡るのであるから、細々とした精神の持ち主では到底生き残ってはいけない。

★ ある種の図太さと狂気にも似た熱心さ、集中力があればこそあれだけの業績を残せたのだ。

★ この小説の面白さは、人間・野口英世に接することができる点である。
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揺らぐ義務教育

2006-10-02 14:14:16 | 教育
★ 給食費の未払いが増えていると言う。経済的な理由で払えないなら致し方ないが、ほとんどが親の身勝手な理由によるものだという。そうした親の家庭がどのようなものであるかは、推し量ってしかるべしである。

★ 人間は生まれながらにして不平等である。人権宣言であえて「平等」だというのは、不平等な現実への皮肉であろう。今さら原始共産制へは戻れないし、また原始共産制は今日以上に過酷な弱肉強食社会だとも言える。

★ 学校教育が義務なのは国家としてその必要性があったからである。日本の場合は富国強兵政策の一環であり、確かに「学制」が発布された明治維新の頃は個人主義的な立身出世を標榜してのものであったが、やがて国家権力が強力になると、就学は徴兵と同じく国民の義務となった。

★ 戦後数十年がたち、個人主義が貫徹されるにともなって、教育も極めて個人主義的なものになってきた。学校教育は行政サービスの色合いが強くなってきた。先のわがままな親の主張もこうした社会背景から生じたものであろう。

★ サービスならそれに徹するのも一つの方法だ。つまり欠食児童を容認すればよい。

★ これは学童保育でのことだが、弁当持参の案内を出したにもかかわらず、弁当を持ってこない子どもがいるという。それも一度だけのことではない。みんなが食事をしているのに一人指をくわえている子を見ているのは忍びない。指導員は親に連絡するが、辛抱させてくれとのこと。指導員は心が痛むので食事を与えようと思うが、そうすると親はそれを当然のこととして、また弁当を持参させないから、かわいそうだが食事を与えてはいけないという。

★ 親に問題があるのは言うまでもない。ただその親に対してなかなか対応ができない。虐待と言いたいところだが、弁当を持参させないだけではそれも難しいようだ。指導員は人道的な良心と現実との間で悩むと言う。

★ 80年代の臨教審、行政改革以降、受益者負担の原則が徹底されるようになってきた。それまで、国家の目的は福祉社会をめざすことであったが、それは行政組織を肥大化させ、効率が低下した。ましてや少子高齢社会、低成長社会の到来である。肥大化した行政を維持していたのでは財政がもたないのは目に見えてきた。

★ そして行政組織のダイエットが行われるが、学校の荒れを背景に教育の分野でも公立離れが進行した。経済的にわずかでもゆとりのある人は、授業を荒らす「不良」が跋扈し、それを十分に指導できない公立学校を避け、進んだ学習内容やキメの細かい生徒指導、進路指導を行う私立学校へと進学するようになったのである。

★ 義務教育は今日危機にある。長期的な観点に立ち「啓蒙」を行っていくか、強権を発動して不埒な親を検挙し罰則を与えるか。教育のあるべき姿を再確認する必要がありそうだ。
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「テロルの決算」

2006-10-01 13:22:46 | 
テロルの決算

文芸春秋

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★ 沢木耕太郎さんの作品で始めて読んだのがこの「テロルの決算」である。浅沼社会党委員長を刺殺した17歳の少年に焦点を当てて鋭く描いたノンフィクションである。

★ 最初の一行を読むとその文章の迫力に圧倒された。綿密な取材とスキのない構成。ムダのない表現。その冷静にして熱を感じる文章は、一度読み出すと途中でやめる事ができないほどだ。

★ ノンフィクションの最高傑作ではないだろうか。
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「無名」

2006-10-01 03:41:33 | 
無名

幻冬舎

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★ 沢木耕太郎が自らの父親について描いたノンフィクションである。

★ 私は次の一節が好きだ。「文章を書くようになっても、私はどこかで父を畏れていた。世の中には、たとえ無名であっても、どこかにこのような人たちがいるのだと思うと、無邪気にはしゃぐわけにはいかなかった。私が自分の知っている領域以外のことを書いたり話したりすることがほとんどなかったのは、常に父の眼を意識していたからだ。」(187ページ)

★ ノンフィクションの旗手と言われ、数々の秀作を生み出した沢木さん。その作品の背景にはこうした無数の「無名」な人々の視線があったのだなと知って、改めて感慨深かった。
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解夏

2006-10-01 03:08:04 | 
解夏

幻冬舎

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★ 人は自分だけは特別な存在だと思っている。例えば、人は誰でも死を迎えることを知ってはいる。しかしそれが自分に訪れることには案外無頓着なのだ。

★ 病にしてもそうだ。癌や難病など他人事のように思っているが、それがある日自分に降りかかってきたらどうであろう。

★ さだまさし作「解夏」は、そうした作品である。東京で教師をしていた主人公が発作に襲われる。そして少しずつ視力を失っていく。まるで真綿で首を絞められるような日々。主人公は故郷の長崎に帰り、故郷に一人残る母、東京からやってきた恋人とともに不安と迷いの日々を過ごす。

★ そんなある日、寺で僧侶から「解夏」の話を聞く。僧侶は、失明をするという恐怖を行になぞらえて説く。それは生きると言うことにも通じるものだった。

★ 視力や体の機能を失う恐怖は想像に余りある。私自身眼病で視力の一部が欠けたときは大きなショックを受けた。このまま治らなければ、いや益々悪化すればどうすればよいのだろうか。幸運にして私の目はほとんど以前の状態に回復したが、視力を失う不安は尋常ではなかった。金銭などで補うことのできないものである。

★ 「解夏」は短い作品だが、長崎の美しい風景を背景に、さださんの筆が冴えている。
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