★ 石沢麻依さんの「貝に続く場所にて」(講談社)を読み始めたが、途中で挫折。東日本大震災とコロナ禍でロックダウンしているドイツの町を結び付け、心に響くようなすてきな修飾句にあふれているが、作品に入り込めなかった。純文学は絵画の鑑賞のようなもので、見る(読む)側の好みやタイミングに左右されるのだろう。折を見てまたチャレンジしたい。
★ さて、少し前の新聞で新年度から使われる高校「現代の国語」の教科書が話題になっていた。実用文重視、文学作品軽視と言われる中、ある出版社の教科書は文学作品を採用したという。その中で、村上春樹の「鏡」が取り上げられていた。
★ 村上春樹さんの「カンガルー日和」(講談社文庫)から「鏡」を読んだ。百物語のような語りで進む。主人公の男は20代の頃、ある中学校の夜警をしていたという。いつも通り午前3時の見回りをしていると、人の気配を感じた。よく見ると目の前に鏡があり、気配というのは鏡に映った自分の姿だったのだ。
★ ところが、男は鏡の中の自分自身に違和感を感じる。自分ではあるが自分ではない。鏡の中の自分はこちら側の自分をひどく恨んでいるようだ。金縛りのような状態でしばらく過ごすうちに、鏡の中の自分がこちら側の自分を支配するかのようで、恐ろしくなり、用務員室に逃げ帰ったという。
★ そして、そもそも鏡自体がなかったのだ。
★ 男は何を見たのか。ドッペルゲンガーなのか。なぜ鏡の自分はこちら側の自分を憎んでいたのか。なぜ鏡の自分はこちら側の自分を支配しようとしたのか(そう感じたのか)。なぜ自分は鏡の中の自分を恐れたのか。いろいろ考えさせられる。
★ 主観的な体験なので真偽はわからない。しかし、夜、鏡の中の自分を見るのは、案外こわいものだ。
★ さて、少し前の新聞で新年度から使われる高校「現代の国語」の教科書が話題になっていた。実用文重視、文学作品軽視と言われる中、ある出版社の教科書は文学作品を採用したという。その中で、村上春樹の「鏡」が取り上げられていた。
★ 村上春樹さんの「カンガルー日和」(講談社文庫)から「鏡」を読んだ。百物語のような語りで進む。主人公の男は20代の頃、ある中学校の夜警をしていたという。いつも通り午前3時の見回りをしていると、人の気配を感じた。よく見ると目の前に鏡があり、気配というのは鏡に映った自分の姿だったのだ。
★ ところが、男は鏡の中の自分自身に違和感を感じる。自分ではあるが自分ではない。鏡の中の自分はこちら側の自分をひどく恨んでいるようだ。金縛りのような状態でしばらく過ごすうちに、鏡の中の自分がこちら側の自分を支配するかのようで、恐ろしくなり、用務員室に逃げ帰ったという。
★ そして、そもそも鏡自体がなかったのだ。
★ 男は何を見たのか。ドッペルゲンガーなのか。なぜ鏡の自分はこちら側の自分を憎んでいたのか。なぜ鏡の自分はこちら側の自分を支配しようとしたのか(そう感じたのか)。なぜ自分は鏡の中の自分を恐れたのか。いろいろ考えさせられる。
★ 主観的な体験なので真偽はわからない。しかし、夜、鏡の中の自分を見るのは、案外こわいものだ。