18時過ぎ、お訪ねする家の近くの道辺に山ウツギの花が咲いていました。
花は白で、房状に咲いています。
花びらの白が目立ち、ほんのわずかに芳香があります。
山ウツギの花は手持ちの花図鑑には紹介されていません。
今日は山ウツギと越後のオダマキの花を紹介致します。
道辺に咲いている「山ウツギ」
新潟の写真家の提供の「オダマキ」
18時過ぎ、お訪ねする家の近くの道辺に山ウツギの花が咲いていました。
花は白で、房状に咲いています。
花びらの白が目立ち、ほんのわずかに芳香があります。
山ウツギの花は手持ちの花図鑑には紹介されていません。
今日は山ウツギと越後のオダマキの花を紹介致します。
道辺に咲いている「山ウツギ」
新潟の写真家の提供の「オダマキ」
人間は能力に限界があるにもかかわらず(エレミヤ10:23)、人間の考えに固執し、偉大な創造者エホバ神の存在や聖書がなぜ備えられているかを調べない人々にとって、イエスが処女から生まれた、という話しは信じられない、と言われます。あなたは、どのように考えられますか。ルカの福音書に、み使いからイエスが処女マリアから生まれることを告げられた場面と、その時のマリアの反応が次のように記されています。この場面から何を学ぶことができるでしょうか。
「その六か月目(親族のエリザベツが妊娠してから六か月目)に、み使いガブリエルは、神(エホバ)のもとから、ナザレというガリラヤの都市に、ダビデの家のヨセフという人と婚約していたひとりの処女のもとに遣わされた。その処女の名はマリアといった。そして彼女の前に来た時、彼(み使い)はこう言った。「こんにちは、大いに恵まれた者よ。エホバはあなたと共におられます」。しかし彼女はそのことばにひどくとまどい、このあいさつはどういうことなのだろうかと考えはじめた。それでみ使いは彼女に言った、「マリアよ、恐れることはありません。あなたは神(エホバ)の恵みを得たのです。見よ、あなたは胎内に子を宿して男の子を生むでしょう。あなたはその子をイエスと呼ぶのです。これは偉大な者となり、至高者(エホバ神)の子と呼ばれるでしょう。エホバ神はその父ダビデの座を彼(イエス)に与え、彼は王としてヤコブの家を永久に支配するのです。そして彼の王国(神の王国)に終わりはありません」。
しかしマリアはみ使いに言った、「どうしてそのようなことがあるのでしょうか。わたしは男と交わりを持っておりませんのに」。み使いは答えて言った、「聖霊があなたに臨み、至高者(エホバ神)の力があなたを覆うのです。そのゆえに、生まれる者は聖なる者、神の子と呼ばれます。そして、見よ、あなたの親族エリザベツも、あの老齢で子を宿し、うまずめと言われる彼女が、今や六か月目となっています。神(エホバ)にとっては、どんな宣言も不可能なことではないのです」。するとマリアは言った、「ご覧ください、エホバの奴隷女でございます!あなたの宣言どうりのことが私の身に起きますように」。すると、み使いは彼女から去って行った」(ルカ1:26~38)。
上の聖句を読むと神エホバはどのような方かを理解することができます。処女マリアに、神エホバの約束の胤が生まれるに前に、マリアに十分心の備えができるように、祝福の言葉をかけ深い気遣いを表わされています。それでも、マリアはみ使いから、男の子を生み、その子イエスと呼ぶこと、しかも、偉大な者となり、至高者エホバ神の子と呼ばれる、と告げられたので、大いに驚き戸惑いました。それは、むりからぬことでした。マリアはみ使いに「わたしは男と交わりを持っておりませんのに」と、婚約者のヨセフと交わりを持っていないことを明らかにしています。み使いは、処女マリアに「聖霊によって」妊娠し、「生まれる者は聖なる者、神の子と呼ばれる」と丁寧に教えました。更に、み使いが神エホバの「どんな宣言も不可能なことはない」と説明した時、マリアは即座にエホバの言葉に信仰を働かせ、謙遜に「エホバの奴隷女」と応え、「あなたの宣言どおりのことが私の身に置きますように」、と宣言しています。このことから、マリアは心が純粋でかつ謙遜であり、神エホバの言葉はその通りに成就することを識別し、確信しました。しかもマリアは思慮深い人であったことも、み使いの言葉を聞いた時、「このあいさつはどういうことなのだろうかと考えはじめた」と記されていることから分かります。私たちは、マリアの純粋な心、謙遜、信仰心、思慮深さを学ぶことができます。
陽は西に 白さの目立つ 山ウツギ 今日の一句
道辺に咲いている「山ウツギ」