皆様方は絶対の法則といえば、何を思い浮かべられるでしょうか。身近な算数を思い浮かべるかも知れません。例えば、だれでも分かる2+2=4や2×4=8は、誰もが同じ答えを導き出す、絶対の法則です。人によっては少し難しい各種物理的法則を思い浮かべるかも知れません。また、農業をされている方であれば、キュウリの種からはキュウリを収穫する絶対の法則を思い浮かべるかも知れません。キュウリの種をまき、トマトやナスを収穫することは出来ません。これは身近に見れる絶対の法則です。同じように、私たち人間の生き方、行ないにも絶対の法則があります。聖書は生き方に関する絶対の法則を、次のように教えています。
「惑わされてはなりません。神(エホバ)は侮られるような方ではありません。何であれ、人は自分のまいているもの、それをまた刈り取ることになるのです。自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り、霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるのです」(ガラテア6:7,8)。
前書きにも書きましたが、聖句が示している通り、人は自分のまいているものを刈り取ります。つまり、人は小麦の種をまけば小麦を刈り取る絶対の法則を知っています。何人も小麦をまき、お米や大麦を収穫することは出来ません。上の聖句では、神エホバは侮られる方ではなく、「自分の肉のためにまいている者は腐敗を刈り取る」と、人の生き方に関わる絶対の法則を教えています。「自分の肉のためにまいている者」とは、生き方において人間の考えに基づく朽ちる「肉の業」を行なう生き方をしている者たちを表わしています(ガラテア5:19~21)。一方、「霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取る」、絶対の法則を明らかにしています。「霊のためにまいている者」とは、神エホバから出る教えの実の「霊の実」を培い、神エホバのご意志を行なっている人たちは永遠の命に導かれるのです(ガラテア5:22,23.マタイ7:21)。これは神エホバによって導かれる絶対の法則なのです。神エホバの絶対の法則に導かれるためには、毎日聖書を学び、その教えを黙想し、自分自身の生活に適用する、つまり霊のためにまく必要があるのです(詩編1:1~4)。人はだれでも、聖書の教えの絶対の法則の結果を刈り取りますので、み言葉を注意深く守ってくだされば嬉しく思います。
勝ち進む 藤井四段 クレマチス 今日の一句
庭の「梅花ウツギ」