イエス・キリストは重要な真理を群衆に証しするときに、人々が良く知っている事柄を例えに用い真理を証しされました。人々はイエスの例えの話しを一度聞くと忘れがたいものとなり、思いに留めることができ、その教えの意味を黙想することができました。イエスが有名な種まき人の例えを用いて話しをされた時(マタイ13:1~9)、弟子たちは、イエスになぜ例えを使って群衆に話しをするのかを尋ねました。イエスが例えを使う意味を説明し、イザヤの預言の成就であることを、次のように説明されました。
「そこで弟子たちが寄って来て、彼(イエス)に言った、「例えを使って彼らにお話になるのはどうしてですか」。イエスは答えて言われた、「あなた方は、天の王国(神の王国)の神聖な奥義を理解することを聞き入れられていますが、あの人々は聞き入れられていません。だれでも(神の王国の神聖な奥義を)持っている人、その人はさらに与えられて満ちあふれるほどにされます。しかし、だれでも持っていない人、その人は持っているものさえ取り去られるのです。わたし(イエス)が例えを使って彼ら(イスラエル人の群衆)に話すのはこのためです。すなわち、彼らは見ていてもむだに見、聞いていてもむだに聞き、その意味を悟ることもないからです。イザヤの預言は彼らに成就しています。それはこう述べています。「あなた方は聞くには聞くが、決してその意味を悟らず、見るには見るが、決して見えないであろう。この民の心は受け入れる力がなくなり、彼らは耳で聞いたが反応がなく、その目を閉じてしまったからである。これは、彼らが自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心でその意味を悟って立ち返り、わたしが彼らをいやす、ということが決してないためである」」(マタイ13:10~15)。
上の聖句に示されている通り、イエスが例えを使って真理を群衆に話しをするのは、「彼らは見ていてもむだに見、聞いていてもむだに聞き、その意味を悟ることがないないためです」と、教えられました。ですから、イエスが例えを用いて分かりやすく真理を説明されているのです。イエスはイスラエルの群衆に、イザヤ6章の9,10節を引用し、イザヤの預言が成就していることを証しされました。このイエスの言葉は、現在の社会にも成就しています。イエスのご指示通りエホバの証人のクリスチャンは、世界中の240の国や地域で、神の王国の良いたよりの真理を証していますが、多くの人々はその意味を悟りません。それでも、イエスは事物の体制の終わりの時まで神の王国の良いたよりの真理を証しするように、命じておられます(マタイ24:14)。それは神エホバが一人でも多く命に至ることを望んでおられるからです(ペテロ第二3:9)。私たちはイエスが分かりやすく例えを使って真理を証しされ、その内容がマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書に記されていることを感謝すべきではないでしょうか。
陽を浴びて 立つ様静か 花菖蒲 今日の一句
近くの畑に咲いている「花菖蒲」