近くの池のほとりに大きな枇杷の木があるのですが、
だれもその枇杷を収穫しないので、熟して落ち始めています。
比較的小粒の枇杷ですが、収穫し食べると甘くておいしいと思いますが、
小鳥も食べないのか、次々と落下しています。
今日は熟した枇杷の実と白のスイートピーを紹介致します。
池のほとりで「熟した枇杷」
ご近所の庭の「スイートピー」
近くの池のほとりに大きな枇杷の木があるのですが、
だれもその枇杷を収穫しないので、熟して落ち始めています。
比較的小粒の枇杷ですが、収穫し食べると甘くておいしいと思いますが、
小鳥も食べないのか、次々と落下しています。
今日は熟した枇杷の実と白のスイートピーを紹介致します。
池のほとりで「熟した枇杷」
ご近所の庭の「スイートピー」
イエス・キリストは、現在までも及ぶ重要な種まき人の例え話しで真理を教えられました。あなたも、イエスの重要な種まき人の例えの話しをご存知の方のお一人かも知れません。イエスは舟に乗って腰をおろし、浜辺に立っている群衆に種まき人が種をまきに出かけ、種をまく話しをされました。その内容は、種まき人の種の「幾つかは道路の脇に落ち、鳥が来てそれを食べてしまいました。ほかの種は土のあまりない岩地に落ち、土が深くないのですぐに生え出ました。しかし、太陽が昇ると、それは焼かれ、根がないので枯れてしまいました。また、ほかの種はいばらの間に落ち、いばらが伸びて来てそれをふさぎました。さらにほかの種はりっぱな土の上に落ちて実を生じるようになり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実をならせました。耳のある人は聞きなさい」(マタイ13:1~9)。この例え話は何を教えているのでしょうか。
イエスが種まき人の種が①道路わきに落ちたもの、②岩地に落ちたもの、③いばらの間におちたもの、④りっぱ土におちたもの、の四つに例えを話し、その意味を次のように教えられました。「では、なた方は種をまいた人の例えを聴きなさい。人が王国の言葉を聞きながらその意味を悟らない場合、邪悪な者がやって来てその心にまかれたものをさらって行きます。これが道路わきにまかれたものです。岩地にまかれたもの、これはみ言葉を聞き、喜んですぐにそれを受け入れる人のことです。けれども自分に根がなく、一時は続きますが、み言葉のために患難や迫害が生じると、すぐにつまづいてしまいます。いばらの間にまかれたもの、これはみ言葉を聞きますが、この事物の体制の思い煩いや富の欺きの力がみ言葉をふさぐ人のことであり、その人は実らなくなります。りっぱな土にまかれたもの、これはみ言葉を聞いて、その意味を悟る人のことです。その人はほんとうに実を結び、ある者は百倍、ある者は六十倍、ある者は三十倍を生み出すのです」(マタイ13:18~23)。
上の聖句に記されている通り、「りっぱな土にまかれた種」は、み言葉・神の王国の真理を聞き、その意味を悟り、実を結び、人によって百倍、六十倍、三十倍の豊かな実を結びます。あなたも、この例えの「りっぱな土」のような方であれば幸いです。この例えのりっぱな種まき人はイエス・キリストです(マタイ13:37)。現在、イエスの話された「りっぱな土」のエホバの証人のクリスチャンたちは、240の国や地域で神の王国の真理を宣明し、りっぱな実を生み出しています(マタイ24:14)。
梅雨晴れや 雀ら集い 声高し 今日の一句
ご近所の庭の「バラ」
新潟の写真家が、日の出時の棚田の風景を紹介されていました。
その棚田の畦道と思われますが、アザミが咲いており、
アザミと棚田の風景が素敵な構図となっています。
私の住む近くでは、棚田を世話する跡継ぎがなく、田は
柑橘の畑に代わっています。
越後の棚田の風景を見ると、農家の勤勉な働きぶりも伝わって来ます。
今日は越後の棚田と淡いピンクのバラを紹介致します。
新潟の写真家の提供の「棚田とアザミの花の風景」
ご近所の庭植の「バラ」