道辺にヒぺリクム(ヒョウヤナギ)の花が満開になっています。
黄色の雄しべが目立つ花です。
花期は6月~9月です。
用途は切り花、鉢植え、庭植えです。
花言葉は「きらめき」と紹介されています。
今日はヒぺリクム(ヒョウヤナギ)の花と続越後のオダマキの花を紹介致します。
道辺に咲いている「ヒぺリクム」
新潟の写真家の提供の「オダマキ」
道辺にヒぺリクム(ヒョウヤナギ)の花が満開になっています。
黄色の雄しべが目立つ花です。
花期は6月~9月です。
用途は切り花、鉢植え、庭植えです。
花言葉は「きらめき」と紹介されています。
今日はヒぺリクム(ヒョウヤナギ)の花と続越後のオダマキの花を紹介致します。
道辺に咲いている「ヒぺリクム」
新潟の写真家の提供の「オダマキ」
最近は善良な特質を備えた人が非常に少なくなったように思いますが、皆様方はどのように感じていますか。イエス・キリストは立派な木の実と腐った木の実の例えを用い、「善良な人」と「邪悪な人」の違いを分かりやすく説明されました。その時の内容がルカの福音書に次のように記されています。あなたもイエスの教えられた「善良な人」であれば幸いです。
「「りっぱな木で腐った実を生みだしているものはなく、腐った木でりっぱな実を生みだしているものはないのです。木はそれぞれその実によって知られるからです。たとえば、人はいばらからいちじくを集めず、また、いばらの茂みからぶどうを切り取ることもありません。善良な人は自分の心の良い宝の中から良いものを取り出し、邪悪な人は自分の邪悪な宝の中から邪悪なものを取り出します。心に満ち溢れているものの中から人の口は語るのです」」(ルカ6:43~45)。
上の聖句の通り、立派な木の実と腐った木の実は、容易に見分けることができ、人は腐った実を廃棄処分にします。イエスはその例えを話し、直ぐに立派な木の実は「善良な人」、腐った木の実は「邪悪な人」であることを明らかにし、対比し分かり易く教えてくださっています。「善良な人」とは「心の良い宝の中から良いものを取り出し」、他の人に与える人のことです。ご承知の通り「宝」は良いものですが、その良い宝の中から最良のものを選び与えることができる人を「善良な人」と教えられました。この教えから「善良な人」は徳に愛を加えた人であることが分かります(ペテロ第二1:5~7)。
では、どうすれば心に宝を蓄えることができるでしょうか。それは、神エホバから出る教えの実・霊の実の愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰(明白な論証に基づき、抱く期待・希望がほしょうされていること)、温和、自制の特質を培い心に満たすことです(ガラテア5:22,23)。愛があれば、互いに喜び合い、平和を造り出すことができます。愛があれば辛抱強く、親切にし、善良な振る舞いができます。愛があれば真の信仰に堅く立ち、温和な特質を発揮し、すべての事に自制心を働かせます。
では、基盤となる「愛」を聖書はどのように説明しているでしょうか。聖書は「愛」を次のように説明しています。「愛は辛抱強く、また親切です。愛はねたまず、自慢せず、思い上がらず、みだりな振る舞いをせず、自分の利を求めず、刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず、不義を歓ばないで、真実な事と共に歓びます。すべての事に耐え、すべてのことを信じ、すべてのことを希望し、すべてのことを忍耐します。愛は決して絶えません」(コリント第一13:4~8)。
こうした聖書の教える愛と霊の実を心に宝として蓄え、自分の生活に適用するなら、心の宝の中から良いものを取り出す「善良な人」として、神エホバが豊かに祝福してくださるでしょう。
山吹の 鮮やかな枝 風に揺れ 今日の一句
道辺に咲いている「ブラシノキ」
ベロぺロの花が道辺にたくさん咲いています。
ある人にこの花の名前を尋ねられ、「ベロぺロネという名前です」と、答えましたら、
その方は「冗談でしょう」と、笑われました。
ベロぺロネは、舌を出しペロペロしている感じなので、名前を教えた方は
本当の花の名前とは思わず、私が冗談を言っていると、思われたそうです。
花期は5月~7月です。
用途は鉢植えです。
花言葉は「思いがけない出会い」と紹介されています。
今日はベロぺロネの花と越後のオダマキを紹介致します。
道辺に咲いている「ベロぺロネ」
新潟の写真家の提供の「オダマキ」