現在社会は、多くの人たちが、他の人の上に立ち偉い者として振る舞うことを好む時代になっています。謙遜さや慎みを持たない人たちは少なくありません。会社でも上司が部下に厳しく当たり、権威の乱用は珍しくないようです。あなたの職場環境は如何でしょうか。職場で上司の立場にある人たちは、イエス・キリストの教えられた「一番偉い者は、他の人に仕える人・奉仕する者のようになりなさい」という、教えを適用してくだされば、働きやすい職場に変化するでしょう。イエスは最後の晩さんの時にパンと赤のぶどう酒を用い、死の記念式を制定された後、弟子たちが「だれが一番偉いのか」と、激しく論争していた時、自ら模範を示し、他の人に「奉仕する者」となるように教えられた内容が、次のように記されています(ルカ22:19,20,24~27)。
「ところが、彼ら(十一人の使徒たち)の間では、だれが一番偉いのだろうかということについても激しい論争が起こった。しかしイエスは彼らにこう言われた。「諸国民の王たちは人々に威張り、人々の上に権威を持つ者たちは恩人と呼ばれています。ですが、あなた方(十一人の使徒たちは)はそうであってはなりません。むしろあなた方の間で一番偉い者は一番若い者のように、長として行動している者は奉仕する者のようになりなさい。というのは、(通常)食卓について横になっている者(家の主人)と奉仕している者(召使い)では、どちらが偉いのですが。それは、食卓について横になっている者ではありませんか。しかし、わたし(イエス)は、奉仕する者としてあなた方(十一人の使徒たち)の中にいるのです」(ルカ22:24~27)。
上の聖句に記されている通り、ユダ・イスカリオテがイエスを裏切るために去り、残った十一人の使徒たちも不完全であり、イエスが贖いの死を遂げる前の最期の晩さんの時も、弟子たちの間で誰が一番偉いのか、という激しい論争をしていたのです。イエスはそのような場面でも、弟子たちに辛抱強く模範を示しながら、重要な導きを与えています。神エホバの教え・導きを知らない諸国民の王たちのように威張ったり、上の立場にある人は恩人として呼ばれているが、そのようであってはならない、と教えられました。むしろ、長として行動している者は「奉仕す者」となるように導きを与えました。イエスは最後まで弟子たちに「奉仕する者」としての模範を示し、イエスの模範の手本に見倣うように諭されました(ペテロ第一2:21)。イエスは贖いの死を遂げるまで謙遜であり従順でした(フィリピ2:5~8)。
ですから、現在の真のクリスチャンたちであるエホバの証人は、仲間のクリスチャンの間で、聖書に記されていない呼称の法王や枢機卿や神父や牧師という肩書の呼称が使用されることはなく、皆「同労者」であり、兄弟、姉妹として謙遜にまた従順に仕えるのです(イザヤ43:10.コロサイ4:11)。イエスの教えられた通り他の人に仕える奉仕者として働くのです。あらゆる職場や国の政治を司る人たちも、このイエスの教えを適用してくだされば嬉しく思います。
風ありて 稲に風波 走りゆく 今日の一句
庭の「デュウランタに黒アゲハ蝶」