神エホバは、高ぶる目、つまり自分を高める者を忌み嫌われます(箴言6:17)。なぜでしょうか、現在は終わりの日の対処しにくい危機の時代であり、自分を高める人は、他の人の意見を尊重しないので容易に合意をすることがありません(テモテ第二3:1,4)。イエス・キリストは神エホバの子でありながらご自分を低くし・謙遜にし、弟子たちや人々に仕え、み父エホバに苦しみの杭の上での死に至るまで従順でした(フィリピ2:5~8)。イエスはそのようにして優れた模範を手本として残されました(ペテロ第一2:21)。神エホバは謙遜な者を祝福されます。イエスは、神エホバは謙遜な者・自分を低くする者を高め、自分を高める者はみな辱められることを次のように例えを用い教えられたことがルカの福音書に記されています。
「しかしイエスは、自分は義にかなっているのだと自負し、ほかの人たちを取るの足りない者と考える人々にも次の例えを話された。「二人の人が祈りをするために神殿に上りました。一人はパリサイ人、他の人は収税人でした。パリサイ人は立って、これらのことを自分の中で祈りはじめました。「「神(エホバ)よ、わたしは、自分がほかの人々、ゆすり取る者、不義な者、姦淫する者のようでなく、またこの収税人のようですらないことを感謝します。わたしは週に二回断食をし、自分が得るすべての物の十分の一を納めています」」。一方、収税人は離れたところに立って、目を天のほうに上げようともせず、(悔い改めて)胸をたたきながら、「「神(エホバ)よ、罪人のわたしに慈悲をお示しください」」と言いました。あなた方に言いますが、この人(収税人)は、先の人(パリサイ人)より義にかなった者であることを示して家に帰って行きました。自分を高める者はみな辱められますが、自分を低くする者(謙遜な者)は高められるのです」」(ルカ18:9~14)。
上の聖句に示されている通り、イエスはパリサイ人(当時の宗教指導者で、人々の前に自分を高めていた人)と、収税人(当時人々にさげすまれ嫌われていた人)の祈りの内容を例えにして教えられました。上の聖句に示されているイエスの例えの両者の祈りの言葉を熟考してくだされば幸いです。イエスは収税人が義にかなった人であることを説明し、パリサイ人のように自分を高める者は辱められ、自分を低くする謙遜な者は高められる・祝福をエホバか神から受けることを明らかにされました。総理大臣や内閣関係者は、イエスの教えを適用し、威張り自分を高める者ではなく、国民に仕え・奉仕する者であって欲しいと願っています。あなたもご自分を低くする・謙遜な人のお一人であれば幸いです。
風走る 波を描きし 稲穂かな 今日の一句
道辺に咲いている「ブッドレア」