イエス・キリストは多くの人々に真理を証しする時、聴き手の誰もが分かる例え話を用いられました(マタイ13:10,34)。そうしたイエスの教え方は、真理が忘れがたい内容で心に到達し、心を動かすものとなりました。イエス・キリストが教えた親切なサマリア人の例え話は何を教えているでしょうか。このイエスの教えは、多くの方々がご存知です。聖書の福音書、ルカによる書に次のように記されています。
「しかしその人(律法に通じた人)は、自分の義にかなっていることを示そうとしてイエスに言った、「わたしの隣人とはいったいだれでしょうか」。イエスは答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中で、強盗たちに襲われました。彼らはその衣をはいだうえに殴打を加え、その人を半殺しにて去って行きました。さて、たまたま、ある祭司がその道路を下って行くところでしたが、その人(強盗に襲われ半殺しにされた人)を見ると、反対側を通って行ってしまいました。同じように、ひとりのレビ人もまた、そこまで来て彼を見ると、反対側を通って行ってしまいました。ところが、その道路を旅行していたあるサマリア人がやって来ましたが、彼を見て哀れに思いました。それで、その人に近づきその傷に油とぶどう酒を注いで包帯をしてやりました。それから彼を自分の駄獣に乗せ、宿屋に連れて行って世話をしたのです。そして次の日、デナリ二つを取り出し、それを宿屋の主人に渡して、こう言いました。「この人の世話をしてください。そして、何でもこれ以外にかかるものがあれば、わたしがここに帰って来たときに返しますから」。これら三人のうちだれが、強盗に襲われた人に対して隣人になったと思いますか」。彼(律法に通じた人)は言った、「その人に対して憐れみ深く行動した者です」。するとイエスは言われた、「行って、あなたも同じようにしてゆきなさい」(ルカ10:29~37)。
これは、有名なイエスの「隣人として親切を示したサマリア人」の例え話です。あるユダヤ人が強盗に襲われ、衣をはぎ取られ、裸にされ殴打を加え、半殺しにし、路上に放置されました。その現場に通りかかった祭司とレビ人は、裸にされ半殺しにされ、路上に放置されている人の反対側を通って行ってしまいました。一方、その現場に通りかかったサマリア人は、親切にユダヤ人の半殺しにされた人に手当てをし包帯しました。それだけではなく宿屋に連れて行き、必要な費用を顧みました。このような例え話を通して、イエスは隣人とは誰かを明らかにしました。隣人とは哀れみ深く行動したサマリア人であることを教えられました。そのようにしてイエスは、親切で善良な行動を取ったサマリア人と同じように行動することを、教えられました。隣人とは、単に身近な人だけではなく、自分の接する人すべてが該当し、国家、民族に関係なく、憐れみ深く行動する人であることを明らかにしました。イエスの教えは分かり易く、私たちの心を動かします。
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