多くの方々は「愛」という言葉をご存じあり、優しい愛情を表わされる方々もいらっしゃいます。一方、大変残念なことですが、「あなたは「愛」とは何かついて説明できますか?」と、お尋ねしますと、多くの方々は説明することが出来ません。「愛」は分っているようでもありますが、その意味について詳しく学び適用する方法の会得は、意外と少ないのかも知れません。あなたの場合は如何でしょうか。
広辞苑には「愛」を、①親兄弟の慈しみ合う心。広く人間や生物への思いやり。②男女間の、相手を慕う情け。恋。③かわいがること。大切にすること。等々と説明されています。
一方、聖書には「愛」について次のように説明されています。
「たとわたし(パウロ)が人間やみ使いのいろいろなことばを話しても、愛がなければ、音を立てる一片のしんちゅうが、ただ鳴り響くシンバルとなっています。そして、たとえ、預言の賜物(エホバの教えの真理を教える賜物)を持ち、すべての神聖な奥義とすべての知識に通じていても、また、たとえ山を移すほどの全き信仰を持っていても、愛がなければ、何の価値もありません。そして、ほかの人たちに食物を与えるために自分のすべての持ち物を施しても、また自分の体を渡して自分を誇れるようにしたとしても、愛がなければ、わたしには何の益にもなりません。
愛は辛抱強く、また親切です。愛はねたまず。自慢せず、思い上がらず、みだりな振る舞いをせず、自分の利を求めず、刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず、不義を歓ばないで、真実なことと共に歓びます。すべてのことに耐え、すべてのことを信じ、すべてのことを希望し、すべてのことを忍耐します。愛は決して絶えません」(コリント第一13:1~8)。
聖書の説明する「愛」と人間の教えの「愛」の深さの違いに、きっと驚かれると思います。神エホバは、上の聖句の愛を全て行い、聖書を通してその手本を教え続けてくださり、エホバ神は「愛」であることを明らかにされています(ヨハネ第一4:8)。そして「愛」とは何かについて、聖書に書き記し、わたしたちがエホバの教えの「愛」を培い、日々の生活に適用し、快い道、平安の道、命の道を歩むことを望まれれているのです(箴言3:17,18)。
上の聖句の愛についての説明をすべて、できない、とあきらめないでください。私たちは少しずつ変化し、神エホバの喜ばれる「愛」の賜物を身に着けることができるのです。何かのことで失敗することがあったとしても、上の聖句を読み返し、愛を基盤とする「霊の実」を培い、生活に適用し続け「思慮深い人」として歩まれますことを願っています(ガラテア5:22,23.マタイ7:24,25)。
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梅雨明けし 蝶ら忙し 花に来る 今日の一句
心の癒される「マークエステル氏の愛を語る絵」