サルスベリ(百日紅)の花木は、ピンクや赤の花を咲かせ、
遠目にも目立ちます。
サルスベリは春から枝を伸ばし、一斉に花を咲かせます。
花びらは小さいのですが、密集して咲くので
華やかな印象を与える花です。
今日はピンクのサルスベリの花と淡い紫のダリアを紹介致します。
庭に咲いている「サルスベリ」
切り花の「ダリア」
サルスベリ(百日紅)の花木は、ピンクや赤の花を咲かせ、
遠目にも目立ちます。
サルスベリは春から枝を伸ばし、一斉に花を咲かせます。
花びらは小さいのですが、密集して咲くので
華やかな印象を与える花です。
今日はピンクのサルスベリの花と淡い紫のダリアを紹介致します。
庭に咲いている「サルスベリ」
切り花の「ダリア」
イエス・キリストは1万人を超える大群衆に五つのパンと二匹の魚を割いて渡し、満ち足りるまで食べさせる、奇跡の業を行いました(マタイ14:14~21.マルコ6:35~44)。耳の聞こえない人を即座にいやした後、前回と同じように、イエスは、今度は七つのパンと少しの魚を割いて1万人以上の大群衆に満ち足りる食事をさせた場面が次のように記されています。
「そのころ、またもや大群衆が集まっていて食べる物が何もなかった時、イエスは弟子たちを呼び寄せてこう言われた。「わたしは群衆に哀れみを覚えます。わたしの近くにとどまってすでに三日になるのに、食べる物を何も持っていないのです。そして、何も食べないままで家に帰らせたりすれば、途中で力が尽きてしまうでしょう。実際、彼らの中には遠くから来ている人もいるのです」。しかし弟子たちは彼(イエス)に答えた、「この人里離れた場所で、この人々を満足させるだけのパンをどこから得られるでしょうか」。それでもイエスは続けてお尋ねになった、「あなた方にはパンがいくつありますか」。彼ら(弟子たち)は言った、「七つです」。するとイエスは、地面に横になるよう群衆に指示し、七つのパンを取って(神エホバに)感謝をささげ、それを割いてから、人々に供するために弟子たちに与えはじめ、次いで彼ら(弟子たち)がそれを群衆に供した。彼ら(弟子たち)はまた小さな魚を何匹か持っていた。そこで、それを(神エホバを通し)祝福してから、それを供するようにと彼ら(弟子たち)に言われた。
そこで、人々は食べて満ち足りた。そして、かけらの余りを拾うと、七つの食かごに一杯になった。しかもそこには約四千人(女性や幼子を含めると1万人以上)いたのである。終わりに、イエスは彼ら(大群衆)をお去らせになった」(マルコ8:1~9)。
上の聖句に記録されている通り、イエスは、前回と同じように、大群衆に哀れみを感じ、神エホバに感謝の祈りを捧げ、今度は七つのパンを割き、小さな魚わずかで、満ち足りる食事をさせる奇跡の業を行いました。イエスの弟子たちはこのような奇跡の業を目の当たりにして、イエスが神の子であることを認識し、深い信仰に堅く立つ助けになったに違いありません。私たちは、福音書を通して、イエスの行われた奇跡の業を生き生きと思い描くことができ、イエスの弟子たちと同じように信仰に堅く立つ助けがえられます。あなたの場合は如何でしょうか。
台風の 逆行コース 注視せリ 今日の一句
裏の畑に咲いている「花トラの尾」
ランタナの花木はとても元気がよく、春から刈り込んでいた
枝をぐんぐん伸ばし、花を次々に咲かせ、長い期間の
楽しみを与えてくれます。蜜も多いのか、蝶たちが
盛んに吸蜜に来ます。
花期は4月~11月です。
用途は鉢植え、庭植へです。
花言葉は「厳格」と記されています。
今日はランタナと黒アゲハ蝶を紹介致します。
庭の「ランタナ」
吸蜜中の「黒アゲハ蝶」
イエスの行った体のまひした人や病気の人のいやしの業は、外科治療、投薬治療、リハビリ治療は全く必要なく、即座に治されました。まさに奇跡の業です。イエスはご自分が数々の奇跡の業を行うことによって、神エホバの子であることを証しされました。
マルコの福音書には、耳が聞こえず言語障害のある人が、イエスによって即座にいやされた、イエスの奇跡の業が次のように記されています。
「さて、イエスはティルス地方から戻り、シドンを経て、デカポリス地方の真ん中を通ってガリラヤの海に行かれた。ここで人々は、耳が聞こえず言語障害のある人を彼(イエス)のもとに連れて来た。そして、その人の上に手を置いてくださるようにと懇願した。するとイエスは群衆の中からその人だけを連れて行き、ご自分の指をその人の両耳に入れ、つばをかけてから、彼の舌に触られた。そして、天を見上げて深く息をつき、「エファタ」、つまり、「開かれた」と言われた。すると、彼の聴力は開かれ、舌のもつれは解け、彼は普通に話しはじめたのである。そこで、イエスは、だれにも言わないように彼らに言い渡された。しかしイエスが言い渡せば言い渡すほど、彼らはいよいよそれをふれ告げるのであった。実際、彼らは一方ならず驚きいっていたのであり、「あの人(イエス)はどんなことも上手に行った。耳の聞こえない人を聞けるように、口のきけない人を話せるようにするのだ」と言った」(マルコ7:31~37)。
上の聖句に記されている通り、耳が聞こえず言語障害のある人を、治すに時に、天の父エホバ神に聖霊の働きを懇願し、即座に治されました。イエスは、そのいやしの業を行う前に、「つばをかけて」おられます。この「つば」はおまじないや単に自然の治療薬ではなく、神エホバの霊の力・活動する力のもとに行われた行為である、ということです。耳の聞こえなかった人は、イエスのその行為を信頼し従順に受け入れています。言い換えれば、イエスに全き信仰を抱いていたことが分ります。そことは、イエスが「その人の上に手を置く」だけで治ると確信していたことからも分かります。
現在耳の聞こえない人、言語障害の人も回復される地上の楽園では、すべていやされ、それまでの悲しみや苦しみは全て過去のものとなるので、固い信仰に立ってくだされば幸いです(啓示21:3~5)。
走りくる 下校児元気 夏休み 今日の一句
庭に咲いている「ギボウシ」