越後の写真家が夜霧に街灯りが反映し
幻想的な美しさを描く作品を紹介されていました。
このような夜霧と街灯りの美しいコラボを
見たことがありませんでした。
今日は越後の夜霧に映す街灯りとハイビスカスを紹介致します。
越後の写真家の提供「夜霧に映す街灯り」
花売り場の鉢植えの「ハイビスカス」
越後の写真家が夜霧に街灯りが反映し
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越後の写真家の提供「夜霧に映す街灯り」
花売り場の鉢植えの「ハイビスカス」
使徒パウロは、かっては、イエスの弟子たちを「脅しと殺害の息をなおもはずませ」ていた猛烈な迫害者の人でした(使徒9:1,2)。しかし、イエスの救いによって「選びの器」になりました(使徒9:3~15)。使徒なったパウロは神の王国の良いたよりを徹底的に証ししました(使徒28:23)。かっては、高等教育を受け、世俗の立派な家系の出で、かつ反対者であった、その使徒パウロが世俗の経歴より価値あるものとしたものは何でしょうか(フィリピ3:5,6)。聖書に次のように記されています。
「しかし、わたし(パウロ)にとって得であったあった事柄(世俗で得ていた経歴、名声)、それをわたしは、キリストのゆえに損と考えるようになりました。いや、この点で言えば、わたしは実際のところ、わたしの主キリスト・イエスに関する知識の優れた価値のゆえに、一切のことを損とさえ考えています。キリストのゆえにわたしはすべてのもの(それまでの経歴、名声)を損失しましたが、それらを多くのくずのように考えています。それは、自分がキリストを勝ち得て、彼(イエス)と結ばれ者とみなされるためです。そして、律法による自分自身の義ではなく、キリストに対する信仰によるもの、すなわち、信仰に基づいて神(エホバ)から来る義を得、こうして、キリストとその復活の力またその苦しみにあずかることを知り、彼(イエス)のような死に服し、何とかして死人の中から早い復活に達し得ないものかと努めているのです」(フィリピ3:7~11)。
上記の聖句に記されている通り、使徒なったパウロは、自分のそれまでの世俗で得て来た経歴や名声は、「一切のことを損」と考え、「くずのように考えて」いました。反対にパウロが優れた、価値あるものとして見いだしたのは、「主イエス・イエスに関する(正確な)知識」でした。それはイエスが教えた神の王国の良いたよりは、永遠の命をもたらすからです(ルカ4:43.啓示21:4)。そのため、パウロは神エホバから「彼(イエス)と結ばれた者とみなされる」ことを切望していました。それだけではなく、パウロは「信仰に基づいて神(エホバ)から来る義を得」、イエスのような自己犠牲の愛を示し、イエスが模範を示したような死に至ることを望み、「早い復活」に預かることも切望し、堅く信仰に立っていたことも、書き記しています。
そのため、パウロは、霊感を受け、次のように書き記すことができました。「自分に力を与えてくださる方(エホバとイエス)のおかげで、わたしは一切のことに対して強くなっているのです」(フィリピ4:13)。私たちもパウロの手本に見倣って信仰に堅く立ちたいものです。
豪雨禍の 映像凄まじ 猛暑来る 今日の一句
花売り場の鉢植えの「キキョウ」