神エホバは、イザヤを通して、ご自分の民の歩む道を整え、ご自分の民を見捨てないことを言明されました。さらに偶像礼拝者は恥をかくことも明らかにされました(イザヤ42:16、17)。
神エホバの教え・ご意志を守り行なう忠実性と従順の重要性をイザヤを通して明らかにして来られました。それは、今日も同じです。
神エホバの選んだ僕・イエス・キリストは死に至るまでもみ父エホバに忠実で従順でした(フイリピ2:5~8)。しかし、神エホバの契約下にあったイスラエル人は、不忠実な僕となりました。霊的な意味で耳があっても聞こえない人たち、目がっても見えない人たちとなったことを明らかにされました。そのような不忠実な人たちに、神エホバはイザヤを通して次のように言われました。
「耳の聞こえない人たち、聞きなさい。目が見えない人たち、よく見なさい。目が見えないのは、私(エホバ)に仕える者だけではないか。私(エホバ)が遣わす使者ほどに耳が聞こえない者がいるか。報われた者ほどに目が見えない者、エホバに仕える者ほどに目が見えない者がいるか。あなた(イスラエルの民)は多くのものが見えているのに、注意を払わない。聞こえているはずなのに、耳を傾けようとしない。エホバは自分の正義のために、喜んで律法を偉大で輝かしいものとした」(イザヤ42:18~21)。
当時、神エホバの契約下のイスラエル人は、不忠実になり、何と嘆かわしい失敗を犯したのでしょう。神エホバはご自分の民に、再三にわたって、エホバから導きが与えられても、神エホバの諭しに耳を傾けず、神エホバに目を向けず、偶像礼拝に陥りました。それでも、神エホバは何度も何度もご自分の使者たちを遣わしますが、イスラエルの民はエホバの導きに注意を払いませんでした(歴代第二36:14~16)。神エホバは、さらにイザヤを通し、何を予告されるでしょうか。その内容は次回にお伝え致します。
腰曲がる 老人独り 時雨寒 今日の一句
かかり付け医院の鉢植えの「ミニバラ」