神エホバは、イザヤを通して、ご自分の民が神のご意志を守り、廉直さを保たなければならないことを思い出させました(イザヤ44:1,2)。しかし、イスラエルはしばしば、エホバの教えから離れました。
さらに、イザヤを通して語られる神エホバの言葉は、何と快く、さわやかなものなのでしょう。イザヤは次のように記しています。
「「私(エホバ)は乾いている者に水を注ぎ、乾いた地面に川が流れるようにする。あなた(イスラエル)の子孫に私(エホバ)の聖なる力を注ぎ、あなたの末孫を祝福する。彼ら(イスラエルの子孫)は青草の中から伸び出るかのように、川のほとりのポプラのように育つ」」(イザヤ44:3,4)。
暑くて乾いた土地でも、川の流れのほとりの木は生い茂ります。神エホバが、命を与える真理の水を供給し、聖霊が注ぎ出される時、イスラエルは、豊かな水の流れる川のほとりの木のようになり、力強く栄えるでしょう(詩編1:3.エレミヤ17:7,8))。神エホバは、ご自分の民に、ご自分の神性の証人としての役割を果たすための強さをお与えになるのです。それは、現在も変わりません。
こうして、聖霊が注ぎ出される一つの結果として、一部の人々は、イスラエルと神エホバとの関係について認識を新たにします。それゆえ、イザヤは次のように記しています。
「「ある人は、「私はエホバのもの」と言う。ある人はヤコブの名を名乗る。ある人は自分の手に「エホバのもの」と書き、イスラエルを自分の名とする」」(イザヤ44:5)。
上の聖句に示されている通り、「私はエホバのもの」と、神エホバを信頼し、その名を担うことは最高の誉れです。神エホバが唯一まことの神と見做されるようになるからです(ヨハネ17:3)。
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庭に咲いている「パンジー」