神エホバは、ご自分の預言者イザヤを通して、希望を抱いて神エホバの救いを待つ人たちは恥をかくことはない、と言明されました(イザヤ49:23)。
当時バビロンで流刑になっている神エホバの民イスラエル人は、「イスラエル人はバビロンから解放されることなど本当にあるだろうか?」と考えたかも知れません。神エホバは、そうした民の疑問を考慮し、イザヤを通して次のように質問されました。
「「力ある者に捕らわれた人たちを取り戻せるだろうか。圧制者の捕虜を救い出せるだろうか」」(イザヤ49:24)。
この聖句の答えは、神エホバにとって可能である、というのが答えです。神エホバはイザヤを通して次の保証を与えられました。
「「エホバはこう言う。「力ある者の捕虜でさえ取り戻され、圧制者に捕らわれた人たちが救い出される」」(イザヤ49:25前半)。
なんと慰めとなる神エホバの保証なのでしょう。神エホバの民に対する「救出」が確約されています。さらに、神エホバは明確に次のように伝えました。
「「私(エホバ)は、あなた(イスラエルの民)に敵対する者たちに敵対し、あなたの子たちを救う」」(イザヤ49:25後半)。
上記の聖句の神エホバの確約は、今日でも有効です。ゼカリヤ2章8節に記録されている通り、神エホバはご自分の民に向かって、「・・・あなたたちに触れる者たちは私(エホバ)の瞳に触れているのである」と言われました。私たちは確かに、神エホバの善意の時を楽しんでおり、その期間中、世界中の人々に神の王国の良い便りを宣明し続けます(マタイ24:14)。しかし、その神エホバの善意の時がやがて終わりを迎えることになります。次回に引き続きイザヤの預言の書の内容をお伝え致します。
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高地には 白木蓮の 残り咲き 今日の一句
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