ご近所の庭に珍しいナスタチュームオレンジの花が咲いていました。
お家の方にお聞きし、花の名前が分かりました。亡くなられたご主人様が
花が大好きで、花を買って来てお庭に植えられたのだそうです。
花期は3月~10月です。
陽当たりを好むようですが、夏場は直射日光は避けた方が良いようです。
私の手持ちの花図鑑には紹介されていません。
今日は珍しいナスタチュームオレンジと紅甘夏柑を紹介致します。
ご近所の庭の珍しい「ナスタチュームオレンジ」
近くの畑の「紅甘夏柑」
ご近所の庭に珍しいナスタチュームオレンジの花が咲いていました。
お家の方にお聞きし、花の名前が分かりました。亡くなられたご主人様が
花が大好きで、花を買って来てお庭に植えられたのだそうです。
花期は3月~10月です。
陽当たりを好むようですが、夏場は直射日光は避けた方が良いようです。
私の手持ちの花図鑑には紹介されていません。
今日は珍しいナスタチュームオレンジと紅甘夏柑を紹介致します。
ご近所の庭の珍しい「ナスタチュームオレンジ」
近くの畑の「紅甘夏柑」
神エホバは、ご自分の預言者イザヤを通して、ご自身は契約を破ることはないが、契約下のユダヤ人が神エホバとの契約を破ったので、バビロンに捕囚されることを明らかにされました(イザヤ50:1)。
イザヤを通した続く神エホバの問いかけは、ご自分の民に対する神エホバの愛をはっきり際立たせています。次のように記されています。
「「私(エホバ)が来た時、誰もいなかったのはどうしてか。私(エホバ)が呼んだ時、誰も答えなかったのはどうしてか」」(イザヤ50:2前半)。
神エホバは、ご自分の僕である預言者たちを用いて、いわばご自分の民の家の中に入られ、心を尽くしてご自分のもとに戻るようにと懇願なさって来たのです。しかし、ご自分の民から答えは返って来ませんでした。ユダヤ人は神エホバにではなく、地の人に支援を求めることを好み、エジプトに頼ることまでしました(イザヤ30:2;31:1~3.エレミヤ37:5~7)。
エジプトは、神エホバよりも頼れる救済者でしょうか。これら神エホバに不忠実はユダヤ人は、何世紀も前に国民としての自分たちの誕生にも先立って生じた数々の出来事を忘れてしまっているようです。神エホバは、彼らに次のようにイザヤを通して尋ねられました。
「「私(エホバ)の腕は救うには短すぎるというのか。私には救う力がないというのか。私は海を叱りつけて干上がらせ、川を砂漠に変える。水がないために魚は腐り、乾き切って死ぬ。私は天に暗闇をまとわせ、粗布で覆う」」(イザヤ50:2後半、3)。
西暦前1513年当時、エジプトは、神エホバの民の待望の救出者であるどころか、圧制者でした。イスラエル人はそのエジプトで奴隷となっていました。しかし、神エホバは約束通り、イスラエル人をエジプトの地から救出をされました。まず、神エホバはエジプトに十の災厄を下しました。10番目の災厄の後、エジプトのファラオは追い立てるようにしてイスラエル人を
エジプトから去らせました(出エジプト記7:1412,31)。ところが、イスラエル人が去ると、ファラオは心変わりし、イスラエル人をエジプトに連れ戻すため、軍隊を招集して出撃しました(出エジプト記14:5~9)。イスラエル人は、後ろにはエジプトの大軍、前には紅海という、逃げ場のない状況に追い込まれます。しかし、神エホバはイスラエル人のために戦い、モーセを用い紅海を分けて、乾いた海底の道を通して、ご自分の民を安全に救出されました。この神エホバのご自分の民を守る行動は、今日の真のクリスチャンたちにとって、大いに励ましの力になるのではないでしょうか(出エジプト記14:23~28)。あなたも神エホバのご意志を守り行ない、神エホバと共に歩まれる方々のお一人であれば幸いです(ミカ6:8)。
ぐんぐんと 竹の子伸びる 散歩道 今日の一句
ぐんぐん伸びる「竹の子」
春になると、まずアーモンドの花が咲き、次いで杏子(あんず)の花が咲き、
その後に白桃の花が咲きます。
それぞれ花弁が微妙に違います。特にアーモンドの花は花芯が
濃い紅色をしているので見分けができやすいです。
今日はアーモンドの花、杏子(あんず)の花、白桃の花とハナニラを紹介致します。
裏庭に咲いている「アーモンドの花」
裏庭に咲いている「杏子(あんず)の花」
裏庭に咲いている「白桃の花」
庭に咲いている「ハナニラ」
聖書のイザヤ書50章の紹介に当って、偉大な創造者エホバ神はご自分の民との契約を破る方ではないことをお伝え致しました(エレミヤ31:32.ダニエル9:27.啓示15:4)。
神エホバはその点に関し、自ら強調し、ユダヤ人に次のようにイザヤを通して尋ねておられます。
「「エホバはこう言う。「私が去らせたという、あなたたちの母親の離婚証書はどこにあるのか」」(イザヤ50:1の前半)。
最初のモーセの律法下では、夫は妻を離婚する際、離婚証書を与えなければなりませんでした。それにより、その女性は別の男性の妻になる自由を持つことになりました(申命記24:1,2)。比喩的な意味で神エホバは、ユダの姉妹都市であるイスラエルに、そのような離婚証書をお渡しになりました。しかし、ユダに対しては、そのようにしてはおられません。神エホバは依然としてユダの「夫たる所有者」なのです(エレミヤ3:8,14)。ユダには神エホバの教えを知らない諸国家と交際する自由は全くありませんでした。神エホバとユダとの関係は、「シロ(メシア)が来るまで」存続します(創世記49:10)。
さらに神エホバは、イザヤ通し、ユダに次のように尋ねられました。
「「私(エホバ)がどの債権者にあなたたちを売ったというのか」」(イザヤ50:1の中)。
ユダヤ人がバビロンに捕囚として送られたのは、神エホバが負った何か負債のようなものを穴埋めするためではありません。神エホバは、勘定を清算するために我が子を債権者に売らざるを得ない貧しいイスラエル人の場合とは違います(出エジプト記21:7)。それどころか、神エホバはご自分の民が奴隷となる本当の理由を指摘して、イザヤを通し、次のように言われました。
「「あなたたちは自分の過ちのために売られたのであり、母親はあなたたちの違反のために追い出されたのだ」」(イザヤ50:1後半)。
ユダヤ人の過ちは、ユダヤ人の方が神エホバとの契約を捨てたのです。神エホバがユダヤ人との契約を捨てたのではありません。そうした、ユダヤ人の契約違反のために、奴隷となるのです。ユダヤ人は神エホバとの契約を守り、ご意志を守り行なうべきでした。
シャボン玉 遊びし頃は 遠くなり 今日の一句
庭に咲いている「野生の水仙」
- 夕刻なのでカタバミがしぼんでいます -