神エホバは、ご自分の預言者イザヤを通して、地上に遣わされるイエスは打ちたたかれ、侮辱を受け、唾を顔にかけられることが予告されました(イザヤ50:6)。地上に遣わされたイエスは、イザヤの預言の通りのことが生じ、預言が成就しました。
イエスは暴漢に拘引され、ピラトの前に立たされましたが、命乞いをせず、威厳に満ちた態度で黙っておられました。聖書に記された預言が成就するにはご自分が死ななければならないことをご存知でした。ローマ総督ピラトが、自分にはイエスに死刑を宣告する力も釈放する力もあると言うと、イエスは恐れることなく、「天(み父エホバ)から与えられていなかったなら、あなたは私に対して何の権限もないでしょう」と、答えられました(ヨハネ19:11)。ピラトの兵士たちは、イエスに冷酷な仕打ちを加えますが、イエスに恥をかかせることはできません。そもそも、イエスはどうして恥じる理由があるでしょうか。イエスは何かの違反に対する当然の処罰を受けているのではありません。それどころか、神エホバのご意志を行い、その義のために迫害をされているのです。イザヤの記した次の預言の言葉が成就しました。
「「主権者である主エホバが私(遣わされるイエス)を助けてくださる。そのため、私は屈辱を感じない。そのため、私は顔を火打ち石のようにした。恥をかくことはないと知っている」」(イザヤ50:7)。
上の聖句に記されている通り、地上に遣わされ、辱められ、苦しみの杭に付けられましたが、死に至るまで神エホバに従順を示すことができたのは、み父エホバに対する全き確信でした(フイリピ2:5~8)。イエスのみ父エホバへの全き確信は、人に恐れることなく、毅然とした態度を最後まで保ち、罪を犯すことがありませんでした。あなたもイエスの残された手本に見倣う方々のお一人であれば幸いです(ペテロ第一2:21)。
老夫婦 春の畑にて 働けり 今日の一句
鉢植えの「ディモルフォセカの1種?」