先に聖書のイザヤ50章を紹介して来ましたが、今日からはイザヤ書51章を順次紹介致します。引き続き紹介記事をお読みしてくださり、聖書の言葉に思いを巡らしてくだされば嬉しく存じます。
人間の一般的な平均寿命である70年、それが、ユダヤ国民がバビロンで捕囚となる期間です(詩編90:10.エレミヤ25:11;29:10)。捕囚となるユダヤ人の大半は、バビロンで年をとって死んでゆきます。敵たちから嘲弄されたり、からかわれたりする時の屈辱感はいかばかりでしょうか。また、彼らの神エホバに浴びせられる非難についてはどうでしょうか。神エホバのみ名が置かれた都市エルサレムが、それほど長い間荒廃しているのです(ネヘミヤ1:9.詩編132:13;137:1~3)。ソロモン王が献納したエルサレムの神殿は、栄光に満たされ、愛されたその神殿も、もはや存在しなくなります(歴代第二7:1~3)。何と陰うつな見込みなのでしょう。しかし、神エホバはイザヤを通して神殿の復興を予告されます(イザヤ43:14;44:26~28)。イザヤ51章には、そのような慰めと、保証というテーマに基づく幾つかの預言が収められています。
神エホバに心を向けているユダヤ人に対して、神エホバはこのように言われます。「正しく生きようとしている人たち、エホバに導きを求めている人たち、私(エホバ)の言うことを聞きなさい」」(イザヤ51:1前半)。正しく生きようとしている人たちは、行動に表れます。そのような人たちは、単に神エホバの民ととなえるだけの人々ではありません。正しい生き方ができるよう、また神エホバのご意志にかなった生き方ができるように、熱心に努力します(詩編34:15.格言21:21)。正しい生き方の唯一の源である神エホバに依り頼み「エホバを見いだそうと努め」ます(詩編11:7;145:17)。エホバとはだれか、祈りでその方に近づくにはどうすればよいかをまだ知らない、というのではありません。むしろ、神エホバに心から近づこうと努め、神エホバに仕え、祈り、言動すべてにおいて、神エホバの導きを求めようとします。そのような正しい生き方のできている方々は幸いです。
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先見えぬ コロナショック 疾駆する 今日の一句
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