ヨセフの兄のユダは、ヨセフがベニヤミンのみエジプトに残し、他の兄弟たちは父親の所に帰るように言われたことに対して、辛抱強く、誠実にヨセフに懇願したことが記されていました。ヨセフであることを知らない、ユダの誠実な懇願に対し、事態はどのように進展するでしょうか。聖書は次のように記しています。
「それで、私たちは父(ヤコブ)の所に行って、ご主人様の言葉を伝えたのです。やがて父(ヤコブ)は、「もう一度行って、食料を少し買って来なさい」と言いました。私たちは言いました。「行くことはできません。一番下の弟(ベニヤミン)が一緒なら行きます。一緒でなければ、あの方の顔を見ることはできないのです」。父(ヤコブ)は言いました。「あなたたちもよく知っている通り、私の妻が産んだ子は2人だけだった。それなのに、1人(ヨセフ)は私のもとからいなくなった。私は、「あの子(ヨセフ)はきっと切り裂かれたのだ!」と言った。以来ずっと、あの子(ヨセフ)を見ていない。この子(ベニヤミン)まで私の前から連れて行かれ、この子(ベニヤミン)にもしものことがあれば、白髪の私はあなたたちのせいで苦しみながら墓に入ることになる(死んでしまうことになる)」。
それで、もしこの弟(ベニヤミン)を連れずに父(ヤコブ)の所に戻るなら、父は弟を自分のことのように愛していますので、弟がいないのを見てすぐに死んでしまうでしょう。白髪の父は私たちのせいで悲しみながら墓に入ることになるのです。私(ユダ)は父に、弟については私が責任を負うと申し出、「もし弟を連れて帰らなければ、私は一生、父に対する罪を負います」と言いました。ですから、どうか、弟(ベニヤミン)の代りに私が(兄のユダ)ご主人様の奴隷として残り、弟(ベニヤミン)は兄たちと一緒に帰れるようにしていただけないでしょうか。弟を連れずに父の所に帰ることなどできるでしょうか。父が苦しむ姿は見るに堪えません」」(創世44:24~34)。
上の聖句に記されている通り、引き続きヨセフの兄であるユダが、ヨセフであることが分らないので、誠実に、一緒に弟のベニヤミンを父(ヤコブ)の所に連れて帰らないならば、父は悲しみ、苦しみのあまり死んでしまうことを、切々と述べています。ユダの兄弟に対する愛と父ヤコブに対する忠節な態度が分ります。
こうしたヤコブの辛抱強い愛の言葉にヨセフは心が動き、自分がヨセフであることをユダに明かすでしょうか。次回に引き続き紹介致します。
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虫の音に 食後のお茶を 楽しみぬ 今日の一句

裏庭に咲いている「オクラの花」