聖書はアルコール飲料を飲むことを禁じているわけではありません。聖書の詩編には、ぶどう酒は「人間の心を歓ばせる」と記されています(詩編104:15)。イエスはある婚礼に招かれた時、ぶどう酒が不足していることを知ると、水から上等のぶどう酒に変える奇跡によって、婚宴の幹事にその上等のぶどう酒を与えています(ヨハネ2:1~11)。またパウロも若いクリスチャンのテモテに「胃のためにぶどう酒を少し用いなさい」と勧め、コップ1杯程度のぶどう酒は健康に良いことを記しています(テモテ第一5:22)。しかしながら、聖書は酔酒、酩酊を禁じています(箴言23:29~35)。聖書は次のように諭しています。それはなぜですか。
「ぶどう酒はあざける者であり、酔わせる酒は騒がしい。それ(酔酒)によって迷い出る者は知恵がない」(箴言20:1)
上の聖句に記されている通り、多くの場合、酔酒、酩酊した人はあざける言葉を発したり、浮かれ騒ぎを誘発します。そればかりか、酔酒した人は、物事の正邪が冷静に識別できなくなり、真理から迷い出る者となり、知恵が働かなくなり、ひどい言動を引き起こすことが生じます。また、酔酒の悪習慣に落ち込む人は、アルコール中毒に陥り、幸福な家庭生活を破壊したり、ご自身の人生を台無しにするケースも生じます。ですから、聖書は酔酒、酩酊をするまでぶどう酒(お酒)を飲んではならないことを諭しています(震源23:29~35)。
さらに聖書は、神の王国を受け継がない「肉の業」に「酔酒、浮かれ騒ぎ」を挙げて警告しています(ガラテア5:19、21)。暑さ厳しき折、ビールのお好きな方は、ついつい飲みすぎて酔酒、酩酊に陥ることのないように、コップ1杯程度に自制してくだされば幸いです(ガラテア5:22,23)。
作業者の 立ち合い請われ 酷暑かな 今日の一句
畑に咲いていた「クロコスミア」