日本も第一次、第二次オイルショックを経て、競争社会になり温和で謙遜な特質が希薄になったように思います。イエスは神エホバの独り子でありながら、地上に遣わされ、身を低くくし、温和で謙遜な特質の模範を手本で示し教えられました。
イエスの指示を受けたペテロとヨハネは過ぎ越しの祝いを準備するため、すでにエルサレムに到着していました。イエスのほうは、他の10人の使徒たちと一緒と思われますが、夕方になって到着されました。太陽が地平線に沈むころ、イエスとその一行はオリーブ山を下りました。これを最後にイエスの復活まで、イエスがその都市をこの山から日中にご覧になることはありませんでした。
イエスと使徒たちの一行はまもなくエルサレム市内に着き、自分たちが過ぎ越しを祝おうとしている家に向かいました。階段を上って階上の大きな部屋に行くと、彼らだけで祝う過ぎ越しの準備がすっかり整っていました。「私は、(死の)苦しみを受ける前にあなた方と一緒にこの過ぎ越しの食事をすることを大いに望んできました」と、言われる通り、イエスはこの時を待ち望んでおられました。
当時の伝統によれば、過ぎ越しの祝いにあずかる者たちは、四つの杯のぶどう酒を飲みました。イエスは3番目と思われる杯を受け取ってから、感謝を捧げて、次のように話されました。「これを取り、あなた方の間で順に回しなさい。あなた方に言いますが、今からのち、神の王国が到来するまで、私はぶどうの木産物を二度と飲まないのです」。
過ぎ越しの食事の途中、イエスは立ち上がって自分の外衣を脇に置き、ふき布を取って、たらいに水を満たしました。普通なら、主人役を務める人が客の足を洗うよう取り計らうのですが、この度は主人がいないので、イエスがこの個人的な世話をなさいました。使徒たちのうちだれかがその足を洗う仕事を買って出ることもできたでしょうが、弟子たちの間には幾らかのライバル意識が残っているらしく、だれもそうしょうとはしませんでした。そこで師であるイエスは弟子たちの足を洗い始めたため、弟子たちは当惑しました。
ペテロは自分のところにイエスが足を洗いに来られると、「私の足をお洗いになることなど、決してあってはなりません」と、言い張りました。しかし、イエスは、「私が洗わないなら、あなた(ペテロ)は私と何の関係もありません」と、言われました。イエスは謙遜にペテロの足を洗われます。
ペテロは引き続きどのように反応するでしょうか。次回に引き続き紹介致します。
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一斉に 口を開きし ツバメの子 今日の一句
庭に咲いている「アマリリス」