昨日ラジオでTPPに関する白熱した討論番組を聴いていたのですが、学者や評論家がいかにも「ご高説ごもっとも」といったことを述べておられました。
やはりと言ってはなんですが「乗り遅れ論」や「当初から参加しないと不利論」が出てきました。議論に参加しないと不利な条件となってしまうというのは、確かに頷けるところもありますが、それは強力な交渉能力を前提としていませんか?
過去の外交交渉能力について、これはしてやったりといったことが果たしてあったでしょうか?アメリカ相手に堂々と渡り合って、ねじ伏せるようなことが出来るならば、それは是が非でも参加せねばなりますまい。
どの道交渉ごとは妥協の産物です。当初から参加しようがしまいが、五十歩百歩のような気がします。であるならば、乗り遅れるも何も交渉の結果が出てから、参加・不参加をじっくり考えても良いのではないでしょうか。
第一、万人が満足するような結果は得られないものです。結局は最大多数が得をするところに落着することでしょう。少数派が泣きを見るか、逆に得をするかは、これは全く分からないことです。
議論を聴いていて、何となく理想化した議論の匂いを感じてしまいました。切り口鮮やかな議論と言うのは、説得力は勿論ですが清々しささえ感じます。しかし、そんなに簡単に割り切れるものではありません。世の中もっと複雑です。もっと肩の力を抜いて議論した方が良いのではないかと思います。
例えば、全論者の皆さんが一年間百姓仕事を実際にやってみるとかしてから議論してみませんか? もしかしたら、全然違った議論になるかも知れませんよ?
野田首相みたいな農作業のつまみ食い体験(コンバインに乗っただけ)でなく、土作りから始まる一連の体験をしてみてください。
私はまだたったの二年間しか体験しておりませんが・・・。