このブログで、私の少ない科学的・経験的知識からしてどうしても納得できないものをいくつか紹介してきました。(参考:「EM菌で除染?」「イオンの力?」「プラズマクラスターイオン掃除機に対する措置命令について」「「農業の常識は、自然界の非常識」」「「農業の常識は、自然界の非常識」-その2」「「ミネラル水なんでこんなに高いのか」」「「ミネラル水水道水とどう違う」」)
私の専門(省エネ)と異なる分野については、知識不足により反論に対して適切に主張できませんし、ましてや断定的な主張は書けませんので、疑問を呈するとか川柳という形式で表現しております。
明らかに科学的には否定されているような事柄は別として、科学を装っている場合は世の中を混乱に陥れることがあります。人畜無害なものならば、それを信じている方々に対して目くじらをたてる必要はないと考えますが、人的あるいは財産的被害が発生するようなものについては問題があると言わざるを得ません。
そこで、科学とニセ科学を見分けるにはどうすれば良いのでしょうか。私は、科学が成立してきた過程、即ち科学史の中にその答えを見出すことができるのではないかと考えます。参考の中で挙げているものの中に、エネルギー保存則を否定したり、常温核融合を主張しているものもあります。それに反論するためには、エネルギー保存則が如何にして生まれてきたか。あるいは錬金術が如何に否定されてきたかといった歴史を学ぶことにより、科学とニセ科学の見分けができると考えます。
そのような折りも折り、年末から年始にかけてNHKカルチャーラジオで、「科学の歴史を旅してみよう」の再放送を聴くことができました。内容も大変面白く、科学史を概観する上では最適なのではないかと思います。そこで早速テキスト(?)を取寄せました。
小山慶太「科学の歴史を旅してみよう~コペルニクスから現代まで」NHK出版
この歳で最新の物理学を学ぶことには大変な無理があるでしょうが、科学史ならば楽しく学べるのではないかと思っております。その入門書に最適ではないかと思います。
話を元に戻します。科学とニセ科学の違いは、科学の本質とは何かということの理解が重要ではないかと考えます。「科学の歴史を旅してみよう~コペルニクスから現代まで」から引用しますと、-以下引用-「ニュートンの力学が体系化されるのは、一六八七年に刊行された『プリンキピア』においてである。その中でニュートンは、普遍性という視点の重要さをいくつかの例をあげ、こう述べている。「同じ自然の結果は同じ原因で説明されなければならない。たとえば、人間の呼吸と動物の呼吸、ヨーロッパにおける石の落下とアメリカでの石の落下、台所の火の光と太陽の光、地球における光の反射と惑星における光の反射などがそうである。」 一見バラバラに見える諸々の現象の中から同じ原因を抽出することにより、法則が確立され、今度はその法則を適用して演繹的に他の現象を理解することが可能になる。このようにして、リンゴの落下も天体の運動も同じ原因(重力の作用)により統一的に扱われるようになるのである。-引用終わり- この普遍性が近代科学の本質であると。科学の本質を追及していけば、自ずとニセ科学との峻別が可能になるものと考えます。
もとより、私は科学者ではありませんので、私が疑問に思うことを否定するつもりもありませんし、その裏付けようとするつもりもありません。単に私の疑問を呈していくしかないと思っております。そして、皆様がどのようにお考えになられるかといったことであろうと思います。
最後に、私が勉強させていただいているサイトをご紹介致します。
「トンデモ科学に気をつけよう(トンデモ科学関連リンク集など) 」「物理学会でのシンポジウム「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」について 」「謎の疑似科学世界あるいはトンデモ・ゾーン(疑似科学・トンデモについて知るためのリンク集)」「市民のための環境学ガイド(環境問題をいかに正しく理解するか)」「水商売ウォッチング(水、マイナスイオン、トルマリンなど-商売のために科学を騙るな)」「「ニセ科学」入門」「疑似科学とのつきあいかた(全学前期水5) 」