山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

公式は覚えなくちゃいけない!?

2020-05-15 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 試験の直前に念仏を唱える如く公式を覚えているような方を見かけます。
公式って覚えるものなのでしょうか?

 計算が遅いより速い方が良いにように、公式だって覚えていないより覚えている方が良いに決まっています。
でもね覚えたものは忘れてしまう可能性もあるのです。試験直前に無理やり覚えたものは、試験が終わってしまえば、大抵が忘れ去られる運命にあります。滅多に使わない公式を一生懸命覚える必要がどこにあるのでしょうか?
 しょっちゅう使う公式は、自然と覚えてしまうものです。また綺麗な形をした公式は覚えやすいものです。逆に、覚えにくい公式も多々あります。私は学生時代に三角関数の和積・積和の公式が覚えられませんでした。でもこれらは三角関数の加法定理さえ知っていれば簡単に導けます。三倍角の公式も同様です。このように少数の公式を覚えておけば、他の公式は覚えずに済みます。
ではどの公式を覚えておくかですが、それは導くのに時間が掛かる公式です。先の例で言えば、加法定理の公式です。これは奇麗な形をしているので覚えやすくもあるでしょう。

 それから公式は覚えるものでなく使うものです。使えもしない公式をいくら覚えたって何の役にも立ちません。それどころか使ってはいけない状況で使ってしまうようなことだって起こります。例えば、相加・相乗平均の公式
 (a+b)/2≧√ab
は、a≧0かつb≧0のときにしか成立しません。
これらのことは、公式を自分で導くようにすれば分かります。教科書にも書いてあるはずですので、自分の手を動かして確かめてください。

 それから言葉の意味することや定義などは、公式などとは異なり絶対に覚えておかなければなりません。
例えば、自然数がどういうものかを知らなければ「次の方程式を満たす自然数m、nの組合せを求めよ。」とかいった問題は、間違った解答となってしまうかも知れません。

 という具合に絶対に覚えておかなければいけないもの、覚えておいた方が望ましいもの、別に覚えていなくても自分で導ければ済むものがあることを絶対覚えておいてください(笑)

 最後にマーフィーの法則ではありませんが、「一か八かのとき、大抵は間違った選択をする。」なんてことが往々にしてあります。
試験の時、うろ覚えの公式を使う場合があります。係数が2だったかな、1/2だったかなとか、この係数の符号はプラスだったかなマイナスだったかなといったことは良くあります。こういった場合に最悪の選択をしてしまって悔しい思いをしたことはありませんか。時間が許せば公式を自分で導けば確実に得点できたはずです。時間的余裕がないならば仕方ありません。こういう時には覚えておいた方が有利だといったことになります。

 さぁ皆さん心して公式を覚えましょう!




計算力をつける

2020-05-14 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 誰しも計算力を高めることが大切なことに異存はないと思います。
しかしながら、速くて正確に計算することが求められますなどと言われると、それだけで心が萎えてしまうことでしょう。果たして速くて正確な計算能力が絶対のものなのでしょうか?
 確かに、そうであることは望ましいことです。でたらめな計算は、それはいただけません。しかし、計算を速くすることに拘る必要はないと思います。計算を速めるために修練を積み重ねる時間があれば、他にもやることが多くあると思います。
 ここで言っている計算スピードはいわゆる数値計算のことです。数値同士を加減乗除するスピードのことです。これを磨くには、ひと昔前(今でも?)にはソロバンを習うことや計算ドリルを延々と繰り返すことで会得していたと思います。このようなトレーニングを否定しませんが、これに特化する必要もないと思います。と言いますのも、問題を解く過程で、この手の計算をやらざるを得ないからです。ですから正確に計算できるようになったら、問題を解く過程でいくらでも計算スピードを向上させることができるようになります。
そしてもっと重要なのは、「もっと楽して計算できないかなー」と計算のやり方を工夫することです。

 例として、適当かどうかわかりませんが、
 大貫昌子訳 「ご冗談でしょう、ファインマンさん」Ⅱ-ノーベル賞物理学者の自伝-岩波書店
P10~P14にファインマン氏とソロバンを扱う日本人と計算競争をする場面が描かれております。ファインマン氏はもちろん暗算で対戦します。その結果は、足し算はソロバンの圧倒的勝利、掛け算はソロバン優勢、割り算は互角といったものでした。割り算で互角になってしまった日本人は、悔しかったのか3乗根をやろうと言い出しました。結末は、ご想像の通りファインマン氏の圧勝に終わります。その他いろいろと面白いことが満載の同書を是非ご一読ください。
 -以下同書から引用-
 「彼は数というものの内容を理解していなのである。そろばんではいろいろな算術上の組合せを覚える必要は全然なく、あのそろばん玉を押し上げたり下したりすることを学びさえすればいいのだ。つまり、9+7=16ということを暗記せずとも、9を足すとき10の位の玉をあげておいて、1の位の玉を一つ下すことさえ知っていればいいのだ。それに比べ僕らは基礎的算術の点ではそろばんよりのろいが、その代り数というものの内容は理解しているわけだ」
ー以上引用終わりー

 ファインマン氏の暗算能力には目を見張るものがありますが、上には上がいるもので物理学者のベーテはファインマン氏も脱帽する位の計算力の持ち主だったそうです。何故物理学者の計算能力が高いかということには理由があります。数式を計算する能力は当然のこととして、物理においては観測にかかる物理量は実数値で表します。例えば、速さが1.23m/secであるとか、電圧が114Vであるとかです。数式には実際の物理量を代入して計算する必要があります。だから数値計算をしょっちゅうやらなければなりません。この話は先の大戦中のことです。当時は電卓もまだない時代で、手廻し計算機というのが主流でした。だから如何に速く計算できるかというのが大切なことであったのです。
 ただ、現代は関数電卓やパソコンなど広く普及しておりますので、簡単に計算することができるようになりました。ですから、そこまで数値計算能力の高さは要求されないと言えます。ただ、試験では持ち込み禁止となることが多いので、相変わらず手計算が必要です。

 話が随分と横道にそれましたが、実際に私の数値計算能力は人並み以下であると自負しております(笑)。二桁の掛け算を暗算ですることはできません。二桁の割り算など論外です。分数だって通分が必要な場合には暗算できません。これは歳をとったからではなく、学生時代全般を通してそうだったと思います。ただ、正確にはできないけれど概算では近い値をはじき出せたように思います。だから、計算をミスした場合には何となく変だなーといった堪働きはあったと思っております。
 数値計算においては人並み以上に遅いことは間違いありませんが、数式の計算は人並み程度はできるようになったと思っております。これは努力の成果です。計算能力が低いと自覚したとき、毎日5分間だけ、授業の休み時間とかちょっとした時間を見つけては、問題集の簡単な計算問題を繰り返し練習しました。1カ月程続けると何となく計算能力が向上したなと思えるようになりましたので、それで計算だけの練習は止めてしまいました。計算練習をするとき時間を計測していたら、より実感が湧くと思いますので、今後取り組まれる方にはお勧めします。
その後は、色々な問題を解くときに否が応でも練習をさせられますので、一度付いた計算力は錆びつかないでしょう。

 計算で時間が掛かるのは、やはり書くことにあります。時間短縮の要諦は書く量を減らすことです。暗算できるに越したことはないのですが、必要最小限しか書かない工夫をしてみましょう。
 例えば、これは几帳面な方に多いのですが、
 x^2-x-1=2x^2-4x-5 (x^2はxの2乗を表します)
といった2次方程式を解くために方程式を整理しますが、
-x^2+3x+4=0
x^2-3x-4=0
という具合にやる方を見受けます。
これだったら、
 0=x^2-3x-4 (これ位は暗算で行えるでしょう。)
と頭のなかでやって、一発で
x^2-3x-4=0
としても一向に差し支えないと思うのですが、未知数は何が何でも左辺にしなければいけないと思っているようです。同類項を整理するとき、最高次の係数が正の数になっている方が何かと都合が良いでしょう。そのためには、計算に着手する前に式全体を眺めて、方針を決めてからやり始めた方が良いのです。
何にしても書く作業が圧倒的に時間が掛かります。こういったところが計算スピードが遅くなる要因になります。おまけに書くと疲れるし・・・。
私はものぐさ者で、面倒なことはやりたくない性質なので出来るだけ楽をするように気を付けております。但し、これで計算ミスをするようであれば、やめておいた方が無難でしょう。
 その他にも色々と計算を楽にする方法がありますが、それはその都度ご紹介していきたいと思います。

 計算練習は、一度みっちりとやっておく必要はありますが、長時間やれば良いというのでもありません。過ぎたるは猶及ばざるが如しです。
計算は正確さを最優先にしましょう。速くできるに越したことはありませんが、絶対条件ではありません。

 念のため言っておきますが、計算ができなければ数学もできませんが、計算ができるからといって数学ができるというものでもありません。





数学嫌いには国語が不得意な人が多い!?

2020-05-13 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 数学って数式ばかり出てくるので、それだけで眩暈がするするという方も多いのではと思います。
では伺います。文字ばかりの分厚い本を読んだことありますか?
数式が全くないにも関わらず眩暈がするのではありませんか?

 意外にも数学嫌いの方の中には、国語を不得意とする方が多くみられます。
それは何故でしょう。そもそも物事を考える時、何語で考えますか?
当然のごとく母国語であるとお答えのはずです。母国語を疎かにしていては数学語だって扱えるはずないですよね。だから、母国語と数学(数学に限らず、全ての教科)は車の両輪みたいなものだと思っていただく必要があると思います。外国語だって母国語がしっかりできていないと上達しないと言われる専門家もいらっしゃるくらいです。

 問題文を正確に読み取るのも母国語の能力によります。「あーでもない。こーでもない。」とブツブツ言いながら試行錯誤するのも母国語です。ましてや論理的な推論をするには母国語が重要な位置を占めることに異論はないと思います。

 数学力を高めたいと思うなら、母国語もしっかり学びましょう!


数学・物理嫌いを克服しよう~はじめに

2020-05-12 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 数学が苦手な過去を持つ私ですが、何の因果か今では中高生を対象に数学や物理の学習をサポートするようなこともしております。
 苦手であったからこそ分かることもあるかと思い、一人でもいいから数学・物理が嫌いではないと思えるようになったらと蛮勇を振るってこのカテゴリーを立ててみました。できれば好きになってくれればなお良いのですが、ますます嫌いになってしまったと言われても責任は持てませんので・・・。
 とりあえずは思いつくままに記事を書いていきますので、ご要望などがありましたら「何でも質問コーナー」にコメントください。
できる範囲でお答えしたいと思います。
 但し、急ぎの質問(例えば、今すぐ宿題の解答を教えてくれといったことなど)には応じることはできませんので、予めご承知おきください。




十人十色

2020-05-11 | うんちく・小ネタ
 十人十色とはよく言ったもので、およそ人は色々な考え方や行動をするものだと感心させられます。翻って考えると同じ考えや行動をとることは異常なことだと言えるのかも知れません。コロナの影響で人類は否応なしにその異常なことをせざるを得ない状況に追い込まれております。
 しかし、中にはそれに従うことをしない人もおります。自粛破りと言うべきことでしょうか。一方、自粛破りを非難する方々もいます。その極端な例が自粛警察なるものでしょうか。
 
 さてコロナの話は置いておき、十人十色と言われるような多様性はどのような効用があったのでしょうか。つらつら考えますに人類がこのように進化してきたのは多様性のお陰だと考えます。人類は他の生き物と比べ決して強い生き物とは言えません。単に物理的力からすれば超弱小な生き物であります。例えば、人類に近いとされるサルにさえ敵わないでしょう。中にはクマを一撃で倒したとかいう超人もいらっしゃいますが・・・。
 その人類が如何にして強豪ぞろいの自然界を生き延びてきたのでしょうか。偶然の出来ごとだけとは言い切れません。先に挙げた多様性も大いに貢献しているのではないでしょうか。例えば、皆が尻込みしてやろうとしないことを果敢にやり遂げる者。皆がやって大丈夫そうなことを確認したうえでやり始める慎重な者。それでもなお慎重な臆病者。などなど・・・。その多様性があったればこそ今の人類があるものと考えます。
 ある戦争体験者から聞いたことがあるのですが、最前線で塹壕から突撃するとき一番真っ先に飛び出す人には弾は当たらず、二番手、三番手が大抵やられてしまうそうです。理由を尋ねたら、いきなり飛び出しても狙って引き金を引くのに間に合わないが、二番手以降が続くことを予想して予め狙いを付けられているからだといったことだと記憶しております。逆に飛び出さずに最後までジッと忍んでいた方が生き残る可能性だってあるはずです。それは結果論にしか過ぎません。
 大体九州人は気が短いので、一番真っ先に飛び出す奴が多いとも言っておられました。このように気候風土や育った環境で人の気質というものが形成されていきます。その九州人でさえ色々な人間がおります。ましてや日本全体を思えば・・・。
 このように同じ行動をとらないこと、そしてその結果を人類が共有できる社会を形成できたことが、人類を生き延びさせた要因ではないのでしょうか。

 今回のコロナ対しては、皆で自粛して感染しないことを選びました。これは感染症対策の基本と言えるのかも知れませんが、ワクチンが開発されるまで感染爆発の危険性を常に孕みます。これが長期間に渡れば渡るほど経済はひどくなっていきます。人の命と社会の命との究極の選択を迫られることになるかも知れません。
 ただ、”Yes"か”No"の二元論で割り切っても良いのでしょうか。十人十色と言われる如く多様な解決策があるのではと思っている次第です。

<参 考>
自然界の多様性する過去の投稿⇒「害虫といわれる昆虫について(農薬そして雑草と共存することについての一考察)



こんな時こそ「夢」を語ろうよ!

2020-05-10 | ブログ
 世の中コロナ、コロナで閉塞感が漂っております。馬っ鹿じゃないかと思われるかも知れませんが、こんな時こそ「夢」を語ろうじゃありませんか!?
テレビをつければどのチャネルも悲観論のダダ流しです。最近は出口戦略などにみられるような前を向こうとする報道も出てきました。
確かにワーストケースを想定して行動することは必要なことです。しかし気持ちは別です。楽観主義で行きましょうよ。せめて夢想する位いは存分に楽しみましょうよ。楽しいことを思えば、免疫力もアップし、コロナとも戦うことができるというものです。

 ということで私の夢はと考えると、ウームと唸るしかありません。この歳(もうすぐ63歳になります。)になると、そんなに沢山あるものではありません。
 とりあえずボウリングのセンター公認試合でパーフェクトゲームを達成することとシリーズ(3ゲームトータル)800超えを達成することでしょうか。ちっちぇーなんて馬鹿にしないでください。本人は大真面目に取り組んでいるのですからね(笑)
 その前段階として、月間アベレージ(練習、試合を含む)の180オーバーを1年以上継続させることです。なんか目標みたいになってきましたね。

 ところで目標と夢の違いって何でしょうか。眠っているときの夢などは置いておき、将来実現させたい願望という捉え方をしてみましょう。夢とは単に思うだけで構わないのです。それが実現できようができまいがいっこうにお構いなしな訳です。
 しかし目標となると、それを実現するために何らかの行動を起こす必要があります。計画性のあるなしに関わらずです。
 つまり夢を実現するためには、夢を目標にする必要性があるということになります。そうすることによって、夢の実現に一歩近づけるのです。

 さて、夢にも実現不可能なものがあります。およそ絶対的に実現不可能な夢を目標にすることは無意味なことです。例えば、アンドロメダ星雲に行ってみたいとか。
 次に、程度の差こそあれ実現不可能に近い目標も同様でしょう。例えば私が、この歳でオリンピックのゴールドメダリストになるとか。
別に構いませんよ。どんな夢を持とうが。自分の中に思い描くだけならば、夢は人に悪さをするものではないのですから。

 ということで夢にするにはある程度の実現性があるものでなければ面白くないでしょう。夢の数は大小それこそ山のようにあっても構わないと思います。
 
 また私の夢に戻ります。前々から考えてきたことで「自給自足的生活」というのがあります。これは半分ほど実現できているかなと思いますが、まだまだ遠い夢でもあります。それから「面白い仕事しかしない」というのは、ほぼ実現できたかと思いっております。これは辛い仕事でも面白いと思い込めば達成できる訳でして(笑)。「大空への憧れ」は、これも実現できたものの一つでしょう。パラグライダーも楽しみましたし、セスナの操縦もしました。

 それから最近、数学というものに取り組んでおります。学生時代は物理を学んでおりました。今でもそれはそれで面白いと思います。実を言うと学生時代数学が苦手でした。数学が得意だったら、もっと別の人生があったのではないかと思うこともあります。

 そうなんです。今の私の夢は、数学嫌いを克服することなのです!
できれば数学を駆使して、何か世の中の役に立つことをしたいなと思っております。数学は金がかかりません。全てが頭の中の出来事なのです。こんな面白い世界があることに何で今まで気付かなかったのでしょうか。誠にモッタイナイ気がします。

 そうだ、これは私だけの問題ではないぞ。算数・数学教育界全体がおかしいのではないか。数学嫌いの私が如何にして克服できたかという実例を通して、数学嫌いを一人でも少なくしていきたいと夢想するのでありました。


 

ベルギーではマスクのフィルターを配布するとか!?

2020-05-09 | 政治・経済・社会
 「アベノマスク」配布は、すったもんだしている内に時期を逸してしまうかも知れません。官房長官も使い捨てマスクが市中に出回っているとお認めになっているようです。この期に及んでまだ配布するつもりなのでしょうか?
 近い(?)将来、受け取ったマスクを手にしたとき、皆さんは何を思うでしょうか。「今更こんなもん貰ったって!?」と安倍首相に対して悪感情を抱くことは必然の道理ではないでしょうか。

 ベルギーでは、マスクの材料となるフィルターを国民に配布するとの報道がありました。一般国民では入手が難しいであろうフィルターを配布する方が余程気が利いてますよ。ただの布マスクは、ウイルス対策としては気休めに程度にしかならない上に殆どの人が自作できるでしょうに!
もし作れなくて困っている人がいれば、それくらい誰かが手助けしてくれますよ。それが日本人というものでしょう!
日本国民は布マスクすら手作りできないとお考えならば、それは国民を愚弄すること甚だしいことです。
 フィルターがあれば、単なるガーゼマスクより効果があるマスクになります。配布されるマスクが小さ過ぎるのは、首相自ら実演して下さっております。手作りマスクはチャンとフィットするように作れますし、お洒落なマスクにもできます。

 私は未だ受け取っていないから不公平だなんてことは決して申しませんから、もう全世帯一律配布なんてことはお止めください!
余ったマスクは、それでも良いから欲しいと手を挙げた方に配布するなり、原価で売却して市中に出回るようにしてください。そしてその予算はもっと有効に活用してください。

 確か10万円の特別定額給付金は手を挙げた人だけではなかったでしたっけ?
だったらマスクだって手を挙げた人だけでも良いんじゃ?
10万円と1枚百数十円のマスクではそりゃ違いますよね?
殆どの国民はマスクが欲しいと手を挙げませんよ。おまけに給付金より後にマスクが来たら、もう笑うしかないですよね。

 最後にこの「アベノマスク」なるものを納期に間に合わせようと必死に努力されている方もいらっしゃるでしょう。その方々には敬意を表します。そして政府は決してこの方々を泣かせることのないようにお願いします。

<参 考> 「アベノマスク」の466億円を治療法の研究費に!!!








「科学」と「技術」

2020-05-08 | うんちく・小ネタ
 コロナで仕事が激減し、百姓仕事以外は引きこもり状態にありました。そこでやっと「虚数の情緒~中学生からの全方位独学法」 の読破にチャレンジし始めました。現在、400ページを超えた辺りを読んでおります。
 そんなおり今朝方のテレビ番組で九大の小田垣先生の研究が紹介されておりました。(詳細は「新型コロナウイルスの蔓延に関する一考察 」をご参照ください。)
 実は小田垣先生は物理学者です。なのに何故専門が違うコロナに関する研究を発表されただろうかと気になる方も多いのではないかと思います。
私は前々からコロナの専門家会議に物理学者を入れたらとブログに書こうかと思ってはいたのですが、私が書いたって何の影響もありませんので止めてしまいました。というのもPCR検査を多くすると医療崩壊を起こすとか色々な理由で、検査数を抑えていることに対して専門家会議が異議を唱えておりませんでした。漠然と変な方向に進んでしまっている印象を多くの方々が抱いていたのではないかと思います。いわゆるその道の専門家は、現場や色々なことを考慮に入れ過ぎて適切な判断ができなくなる状況に追い込まれることが往々にしてあります。この点、門外漢は客観的に分析出来て何が重要なことであるかを洞察することが可能です。特に物理学者は諸問題を分析し、帰納し、数式化し量的考察を行うのを常としているのです。ということで今回良い実例を見せていただいたのです。

 だいぶわき道にそれてしまいましたが、「虚数の情緒~中学生からの全方位独学法」 の37ページから数ページに渡り引用させていただきます。
 -以下引用ー
 わが国では、「科学技術」と一括りにして語られる場合が多いが、これは本当に面倒な問題を惹き起こす複合語である。<中略>「科学」と「技術」は全く別物である。それは、寧ろ正反対の方向性を持ったものである。この両者を混同する所に多くの悲劇が生じる。その最も大きな違いを簡単に言うと、「専門性の違い」となろう。ここでは、それらに従事する人、即ち「科学者」と「技術者」の違いから説明していこう。
 「科学者」は、固有の専門を持たないのが普通である。<中略>本来、科学者は、自らの興味、或いは、その時代その国の必要性に考慮して、軽快に多くの学問間を渡り歩くものなのである。<中略>敢えて「専門」という言葉に拘泥すれば、科学者にとっての専門とは「科学的な考え方」の事であり、本来それ以外には無い。科学者は、この「科学的な考え方」を唯一の武器に、興味ある分野を片っ端から攻略していく「狩猟民族」なのである。<中略>
 逆に「技術者」は専門を持つ。専門を持たなければ、それは「技術者」とは呼べない。彼らは、生涯を通して同じ作業を遣り続け、その道の職人、一芸名人になるのである。<中略>勿論、技術者も他分野への興味は持つ。然しながら、その興味は後で本来の自分の分野での技術を高める為、その目的の為の好奇心に留まることが殆んどである。<中略>当然、科学と技術に、善悪、優劣のある筈もなく、お互いが補い合ってこその存在であるが、それは決して「科学技術」などと一括りにできるものではない。対立し競い合いながらも協調し合う、「相補的」な関係である。
-引用終わりー

 このように物理学者である小田垣先生が医学の分野に取り組まれることは不自然なことでもなんでもないことなのです。むしろ当然のことなのかも知れません。
 お医者さんと一口に言いますが、その中には臨床を中心にされている方、研究を中心にされている方など様々でしょう。医師免許を持たない医学博士もいらっしゃいます。先の科学者と技術者の分類に従えば、研究を中心にされている方は「科学者」、臨床を中心にされている方が「技術者」とでもいえましょうか。心臓や脳外科医はよく職人に例えられます。それほどに匠としての技が求められている訳です。

 さて、先ほどのコロナの専門家会議のメンバーは「科学者」なのか「技術者」なのか、もしくはその両方を兼ね備えた方々なのか気になるところです。今後の政府の判断は専門家会議の結論に大きく左右されることになります。
 そういった意味で専門家会議のメンバーには専門外(現在は弁護士だけ)の方も参加してもらいたいと思っております。


出口戦略!?

2020-05-07 | 政治・経済・社会
 ここ数日の報道で出口戦略の話題が増加してきているように思います。これは緊急事態宣言の期間が延長されたこともあり、閉塞感が一段と高まり何らかの光明を見出さなければ耐えられないといった状況を反映したものであると思われます。
 "Stay home!"と言われても人間食っていかねばなりません。国が全て面倒を見てくれるわけではありません。生き延びて行くためには先立つものが必要です。誰だって感染したくはありません。死の恐怖と戦ってでも仕事に行かざるを得ないこともあります。まだ仕事があれば良い方という方もいらっしゃることでしょう。極端に言ってしまえばコロナで死ぬか、飢え死にするかといった究極の選択であるのかも知れません。

 新型コロナウイルスとの戦いを戦争と例えられることがあります。今まさに兵站を絶たれ、武器も食料もない孤立した戦いを強いられているのではないでしょうか。こういう時にこそ指揮官の冷静かつ冷厳な決断がその後の明暗を分かちます。
 最近の政府の様子を見ていると先の大戦末期の大本営の状況を想起させられます。前線の状況を直視せず、希望的観測や精神論で突き進むつもりなのでしょうか?
 この国はこの反省に立脚して国家を建設してきたはずです。その後紆余曲折があったにせよ、これを引き継いできているはずです。しかしながら、また同じ繰り返しをしているように見えてしまうのは何とも皮肉なことのように思えてしまいます。
 現在、国難の最高指揮官は、自ずと知れた内閣総理大臣たる安倍晋三氏なのです。一国民として、しっかりとした国の舵取りを願うしかありません。



 

ボウリング場営業再開

2020-05-06 | ボウリング
 緊急事態宣言は全国的に延長されましたが、佐賀県知事の判断で接待を伴う飲食店を除いて休業要請が5/6で終了する旨の発表がありました。これを受けてセンターでも5/7営業再開に向けて動きだしたようです。

 営業自粛前から営業時間の短縮、換気の実行、消毒アルコールの設置、県外者の入店規制などの対策を行っておりました。またヨーロピアン方式のみで運用(1ボックスの片側1レーンのみ使用)し、投球者同士のクリアランスを図るような工夫もしてこられました。
 営業再開にあたっては、これに加えて入店時の検温も行うようです。その他細かいことは県や業界団体等と調整を行った上で実施されるものと思われます。

 何はともあれ営業再開は喜ばしいことです。もっと長期間の休業を予想しておりましたので少しほっとしているところです。月例会やリーグ戦の再開はまだまだ先のことになりそうですが、少なくとも最低限の練習はできるようにはなりそうです。

 今後はボウリング場からクラスターの発生を出さないような行動をとることが求められていることを自覚しなければならないものと考えております。今回のコロナ自粛休業でボウリングができない辛さを思い知らされました。ボウリングができる喜びを噛み締めて今後もボウリングライフをエンジョイしたいと思っております。


ボウリング・シミュレータが欲しい!!!

2020-05-01 | ボウリング
 2週間以上ボウリングができない日々が続いています。4年前にボウリングを始めてこのような長期間のブランクは初めてです。
やはりシャドウボウリングは長続きしませんでした。連れ合いは今朝方突然2kgの鉄アレイあったよねと言い出しました。何するのかと思いきや、ボール替わりに素振りをするつもりらしいのです。どうせ長続きはしないと思いますが・・・。
 どのような練習をするにしても、何らかのフィードバックが無いと闇雲にやったところであまり効果が期待できないのではないかと思います。それに得手勝手な練習は変な癖をつけてしまう可能性だってあるのではないかと危惧されます。

 財力のある方、あるいは腕に覚えのある方は自宅に1レーンの練習場を作ってしまうことだってできるかも知れません。しかしながら、そこまでせずともボウリング・シミュレータがあればなと妄想してしまいました。
 アプローチとレーンはスパットまでは現物に近いものを用意し、それから先はスクリーンなどにプロジェクションする。色々なオイルパターンを設定できるようにしておき、カメラでボールを追い、着床点、ボールスピード、アクシスローテーション、アクシスチルトなどを分析し、軌道を計算しスクリーンに表示する。最終的にはピン飛びまで再現(音も含めて)できれば!

 まぁ、ここまでやれば相当高額なものとなってしまいそうですので、着床点とスパット付近の通過点とその間の時間を計測すればボールの初速度(速さと方向)が分かりますから、これで自分が意図した投球との乖離が分かります。これだけでも結構いい練習が出来そうです。
 アプローチとレーンはコンパネか何か良い材料を探せば、日曜大工程度で出来そうです。センサーは画像解析技術があれば比較的簡単にできそうですが、その他にも色々と工夫次第では安価な方法が見つかるでしょう。
 
 練習できないことから妄想したことですが、自宅に練習場を作ることもできるのではないかと思えるようになりました。
さて、ボウリング・シミュレータができるのが早いか、ボウリング場が再開するのが早いか?

 やはりボウリングはボウリング場でするのが一番ですね!!!