曜日のない暮らし

日々の暮らしにあるささやかで素晴らしい瞬間
暮らしと心を癒してくれる生き物たち
山本弘三の写真を中心にした日記帳

感動の島 祝島その3

2016年09月27日 | 日記

 「今日の花」はお休みします。


今日は「平 萬次さんの棚田」について写真で紹介させていただきます。

まったく予備知識なしで祝島を訪れたのですから見る物すべて驚きの連続です。島の南斜面を横に横に続いてゆく農道を2時間くらい歩きました。農道の入り口に「平さんの棚田へ3㎞と書いてあったのは覚えています。私たちの第一の目的は祝島に生息している蝶の調査ですから3キロ歩くのも2時間かかりました。そして開けた所に出て驚いたのです。一般的に棚田と言うと狭い田圃が地図の等高線のようにカーブを描いて何段も続いている光景を思い浮かべます。平さんの棚田というのもそのような姿を想像していたのですが全く違っていました。目の前にそびえる石垣は田んぼと言うには立派過ぎる石垣で古い城か砦の跡かと思いました。でも確かに地図の上では平さんの棚田と書いてあります。信じられない気持ちで近づくと先に行った仲間の人がおじいさんと楽しげに話をしているのが見えてきてまた驚きました。もしかしたらここの地主さんだろうかと思いながら私も仲間に入り挨拶をしました。とても気持ちの良い方ですぐに話に引き込まれました。挨拶は交わしたもののその方がどなたかまだ分かりません。思い切ってお名前を訪ねました。「平萬次」ですと答えられましたが私にはその方がどのような方かまだ分かっていません。ここが「平さんの棚田」と呼ばれているからにはここの地主さんであることは間違いないなと思いましたがこの立派な石垣のことなどまだ何もわかっていません。ただその立派さに驚いているばかりでした。小屋を案内してくださると言うので平さんについて二階に上がりました。そして小屋の中に案内してくださり部屋の中のものを一つ一つ説明してくださいました。その話を聞いているうちにこのおじいさんは只者ではないなと感じるようになりましたが、さらに上の田んぼに案内されたのでみんなで付いて行きました。小屋の上の田んぼの石垣は高さが10メートル近くあるように見えました。石垣のわきを滑らないように気を付けながら登って行きました。そこは広い一面の草原でした。平さんの説明では昨年までこの田圃で米を作っていたそうです。その名残で雑草の中に穂を出した稲が混ざっているのです。高い石垣の端まで出るとまさに絶景です。曇り空だったのが残念でしたが目の前は瀬戸内海が広がりその向こうに愛媛県の佐田岬が細く伸びています。海を絶えることなく行き交う貨物船が眺められ、佐田岬の先端から大分県との間は太平洋に向かって開いています。瀬戸内海の中でこんなに雄大な眺めの所は他にあるでしょうか。それはそれは素晴らしい眺めでした。私たちはまだお弁当を食べていなかったので平さんにお断りしてこの棚田で食べさせて位抱くことになりました。その間、平さんがおじいさんの代から三代に渡ってこの地を切り開きこの素晴らしい石垣の棚田を作ってこられたことを話してくださいました。何の予備知識も持たずやって来た私にとっては平さんの身の上話はまさに感動の連続でした。大正時代の末ごろここに入植して原野を切り開き、重機もない時代に自然の大きな石を使って一から石垣を積んで行きこの見上げるような石垣の田んぼを作り上げたお話は本当に驚きです。昔の城の石垣を築くように何百人何千人が集まって作るのではなくおじいさんを中心に家族だけでこのような城の石垣にも負けないような石垣を築いたことは驚嘆に値します。実は私もみかん農家ですから時には畑の修理などで石垣を築くこともあります。今年も七月に梅雨の雨で崩れた石垣を修理しました。高さ1.5メートルで幅が3メートルくらいですから手作業でやってもできる規模ですがすぐに重機を借りてきました。重機があると手作業に比べて何倍も何十倍も楽です。多少ですが石垣を組んだこともあるわたしですのでこの石垣を作った苦労はすごくよく分ります。そんな苦労を苦労とも思わず何十年も続けられる精神を持つことに更に強い感動を覚えました。私が安下庄の住民であることを話すと平さんは安下庄には従妹がいるから「平は元気でいる。」と伝えてくれと言われました。今年83歳になる平さんは今年で全ての田んぼで米を作るのをやめられたそうですがもっと早くに来てここが美しい水田であった時の光景が見たかったです。下の道まで下りて私たちを見送ってくださいました。そして平さんの笑顔はとても素敵でした。この棚田が草木に覆われて原野に帰るまでに何度かまた来てみたいと思いました。

 

(写真の数が多いのですが、私の感動を察して御覧になってください。)

突然に表れたそびえたつ石垣

初めての対面ですが、出会った時から素敵な笑顔だと感じました。

 

生活の一部を垣間見ることができました。

 


 小屋に案内していただきました。

 

手入れの行き届いていたころの写真です。

平さんのおじいさんは平 亀次郎さんと言います。おじいさんはすごい方だったようです。

窓からの眺めは素晴らしいに尽きます。

今でもお茶を沸かしているそうです。ランプが見えますがここには電気は来ていません。大きな鋸がありますがあの鋸で原野の大木を切り開いたのでしょう。

おじいさんの写真でしょうか。

 


小屋の上の田んぼに行きました。素晴らしい眺めです。

 

昨年までお米を作ったという田んぼには稲穂が見えました。

赤い矢印のあたりが佐田岬の先端です。青い矢印の所に伊方原発があります。

矢印の下に白いドームが見えます。

 

高い石垣の上で海を眺めながら、平さんのお話を聞きながらお弁当をつまんでいます。

 

お話を聞くほどに石垣の素晴らしさが増してきます。上の石垣の右端が未完成のままになっています。私がもう少し若かったら手伝いに来ますと言えたかもしれません。今でも石一つくらいなら継ぎ足して帰ることもできますが、ここに来る人が一つづつ石を組んで行けばいつか完成するかもしれません。あと150年かかると言われたガウディのサグラダ・ファミリア教会はみんなの力でもうじき完成するそうです。この石垣も完成させたい気持ちが湧きました。

昔全ての田んぼで米を作っていた時には石垣の草や木はなかったそうです。その頃の石垣の全景を見たかったです。

こんなに広い田圃が下から上まで5~6面あったそうです。今は全て草に覆われていました。

山の急な斜面を見てください。

 

帰りの渡船の時間が気になるので、暇を告げました。

この大きな石がよく人力で動かせたものです。

 

最後にまた従妹によろしく伝えてくださいと言われました。

やがてこの地も荒れ果てて行くでしょうが、この石垣の遺構は何百年も形をとどめるかもしれません。

平さん家族の作り上げた棚田は原野に戻っても末長く残って行くと思います。何時かすべて忘れ去られたとしても。

 

 平さんについて詳しく知りたい方はネットで検索してください。たくさんのお話が出てきます。