曜日のない暮らし

日々の暮らしにあるささやかで素晴らしい瞬間
暮らしと心を癒してくれる生き物たち
山本弘三の写真を中心にした日記帳

ようやく、この夏初めて海へ行くことができました

2020年09月10日 | 日記

今日の花

 

 


 今年の夏は大変暑い日々が続きましたが、そのせいもあって毎日のように海へ行きたいなあと心の中で叫んでいました。

現実はとても厳しく、梅雨明けが遅かったものですから夏の仕事がたまりにたまっているうえに日中の猛暑のために野外での畑仕事はなかなかはかどらず、8月の間はいつも忙しさに追いたてられているようでのんびり海に浸かっているような暇がありませんでした。仕事のせいだけではありません、今年は生き物をたくさん飼っているというか世話をしていまして、そのための時間もばかにならないくらい取られていました。8月中は高温続きでしかも雨は全く降りませんでした。育てている植物は種類も多岐にわたり数百鉢もありますが、枯死させないよう朝と夕方鉢に水やりをしますが2時間はかかります。そして別に飼育している熱帯性の蝶たちの世話はこれはまた手がかかります。蝶の飼育についてはまた何時かご紹介したいと思っていますが、今年の8月は忙しい毎日で海へ行く暇はありませんでした。

海へ行くといっても私は海岸でぶらぶらするのではありません。多くの方は海へ遊びに行くといえば砂浜や海水浴場で少し海に入ってはほとんどの時間は砂浜でスポーツや遊びに興じるのが普通かもしれませんが、私の場合は海の中の景色を見たいし、海独特の生き物たちと触れ合いたいというのが目的です。そんなわけで人以外の生き物のいない砂浜へはあまり行きません。海中の景色が良くて生き物がたくさんいそうな場所を選びます。今日出かけた海岸は大きな湾の出口近くで潮の流れが良く生き物の豊富なところです。私にとってはそこは素晴らしい場所でして昔から良く行くところです。でも早い潮流には気を付けなければいけませんね。昔ほどの体力はありませんから。

私たち人は陸上の生き物ですから、陸上の景色や陸上の生き物たちのことはよく知っていますし慣れています。でも海の中の景色とか生き物たちとの付き合いは普段ありませんから、たまに海の中の世界と触れ合うのはすごく新鮮で驚きがあります。できれば一年中時々でいいから海の中に入ってみたいとは思いますが、陸上のことで手がいっぱいなので、夏の間に一度か二度海に入ればそれでよしとしましょう。以前水中用のカメラも買ったことはあるのですが、塩水のせいでしょうか3年で壊れました。本格的な水中カメラは欲しいとは思いますがちょっと手が出ませんね。今回も水中の景色や出来事は画像でご紹介できませんが、今日は無数の魚の群れに囲まれて一瞬幸せでした。みんな逃げないでね、一緒に泳ごう !  多く周りの魚は私のことを気にせずに口をパクパク動かしていました。プランクトンか何かを食べているようでした。泳ぐときには魚の餌を持ってこようといつも思うのですが今回も忘れてしまいました。「ごめんね、お土産を持って来ずに。」
海から出ようとする直前に海の底に転がっている大きな牡蠣の殻を見つけました。底の殻と上蓋との間が少し開いています。そして触ると閉じてしまいました。生きている岩牡蠣ですね。でも岩牡蠣は海底に転がっていては変なのです。岩牡蠣は普通の養殖カキと違って10年以上も長く成長しながら生き続けます。だから大きなしっかりした岩に付着しているのが普通なのですが、先日7日の台風の大波で岩から剥がれ落ちたのかもしれません。そうなると今後長生きはできませんので、私が持って帰って命をいただくことにしましょうと考えました。その殻の大きさと厚さからみて10年くらいは生きてきたものと思われます。

生命の故郷海から上がると、もう日は傾いていました。それから静かな海辺で太陽がゆっくりと高度を下げてゆくのを眺めて過ごします。地球の自転を感じることのできるひと時ですね。「秋は夕暮れ・・・」確かにそのように感じられますが、一日一日と日が短くなり、日の沈むのを見るのは何かともの狂おしく思えることもあります。家路はできるだけ急がず、何度も車を止めては日没を眺めながら帰りました。

 


安下庄湾の岬先端にある集落伊崎

 

ここが今日海中遊覧する海岸です。

 

 

ごつごつの石だらけの海岸で遊びに来る人はほとんどいません。

海底も岩だらけで砂地はほとんどありません。潮の流れはよいです。

小魚が多いですがときに魚の大物もいます。

アワビ・サザエもいますがこの頃漁業権のことをうるさく言われますからね。

水中では普段陸上で立って歩いている感覚と全く違うのを感じます。そして体重がほとんど0です。陸上では人は縦になっていることが多いですが、海中では横になっています。
宇宙へ行ったこともないし生活したこともないのですが、無重力の生活と海中での動きとは似ているのではなかろうかと思いました。しばらく海中にいて海岸に上がると縦になって動くためのバランスが失われていて最初ふらつくことがあります。

 

唯一の獲物 海の幸

 

 

海から上がるともう夕日でした。

海にせり出した崖

この崖の上に私の子供のころには見事な枝ぶりの巨大な松の木がありました。樹齢はおそらく数百年はあったと思われます。その間風雪に耐えて長い間人々から海上からの目印として親しまれてきたことでしょう。きっと江戸時代の人も目印にしたのではなかろうかと思われるほどの巨木でした。

 

この日は鳥が少なかったです。

 

 

着替えも済んでさあ帰路に

この頃サングラスは欠かせなくなりました。タモリさんみたいですね。皮膚も目も紫外線から守らなくてはなりません。

10年余り前までは私も船を持っていてこの時間になるとおなじように沖を目指して出かけたものです。この光景にはとてもなじみがあります。

 

あっという間に日が落ちてきます。

夕日に向かってカメラを向けていると突然目の前に海のほうから黒い蝶が現れました。

秋ですね、トンボもいました。

 

普段、夕日をのんびり眺めることはありませんね。

上空はまだ青空です

晩夏の一日の終わりました。眺むれば夏の終わりの日が沈む今日も一日生きた証と